見出し画像

「わかろうとする活動」

最近、懐かしいのに得体の知れない高揚感に包まれて、ふわふわしていました。
今日から、ゼミが始まりました。半年間かけて人類学を学んで実践します。

と言っても、完全に人類学素人なので、課題図書を読んでもだんだん眠くなってしまう今日この頃です。伸びしろがすごいです。

タイトルにした「わかろうとする活動」というのは、初回のゼミセッションの中で主催のお二人の話や、他のゼミ生の話を聞いていて、私が現時点で人類学を形容しようとすると「わかろうとする活動」になりました。

日頃、アジャイルコーチとしてチームや組織にお邪魔して観察を行い、良い変化が起きるようにサポートさせてもらう活動をしています。
今回のゼミを会社の先輩から紹介してもらった当初は、「人類学という言葉を聞いたことはあるな、でもそれがどう今の仕事に繋がるのかはよくわかっていないな。。」の状態でした。「当初は、」とか言ってみましたが、今も全くわかっていません。

このゼミに申し込もうと思った1番のモチベーションは、「わかろうとする活動」が上手くなりたいからです。

  • 日々向き合っているチームの中で起きていること、そこにいるメンバー、伝え合う言葉、伝え合わない言葉、私はわかった気になってしまっていないか。

  • 本当に見えているのか。

  • 見ようとしているのだろうか。

  • 彼らにとって、最も役に立つのは何か?

これは、アジャイルコーチとしてチームに向き合うときに、自分に対して持っている問いです。
最後の問いには、常に答え続けていきたいと思っています。答えられないことがたくさんあるので、また最初の問いに戻るのがいつもの流れです。

この、目の前の複数人が行う営み(チームでのソフトフェア開発)を「わかろうとする活動」は私が行う業務の中で大きな割合を占めています。
そして、この活動は正解がなく、終わりもない活動だと感じています。
「終わりがない」と聞くと、ネガティブなイメージを抱く方もいるかも知れませんが、私はこの活動が大好きです。人間大好きなので、全然苦じゃないし面白い。
と同時に、業務として行うので成果を残したい、もっと上手くなりたいとも思っています。

「わかろうとする活動」が上手くなるべく、この6ヶ月間、ゼミ仲間と一緒に、楽しみ、悩み、表現しながら学んで実践していこうと思います。

そういえば、少しづつ人類学の書籍を読んだり、今回のゼミで比嘉さん、水上さんの話を聞いて、私の中に浮かんだ問いがありました。
「人類学の中で、変化はどう扱われているのか」という問いです。

アジャイルコーチという活動は、良い変化をチームや組織に起こすことを目的にしています(と、私は思って活動しています)。どんな変化がそのチームにとって最適か、必要な変化は何か?を知るためにその組織・チームを「わかろうとする活動」を日々行っています。しかし、私から見える人類学という世界は、なるべくそこ(フィールド)にいる人たちのありのままの営みを観察し、誰かに伝えられる形(論文等)にまとめる、というのが一連の流れであり、変化を促す働きかけはむしろタブーのように見えました。

ゼミの質疑応答の時間にこの「人類学の中で、変化はどう扱われているのか」を聞いてみました。ちょっと緊張していてあまり回答をメモできず&覚えておらず(致命的!)箇条書きの取り止めのないメモになってしまいますが、置いておこうと思います。

  • 観察を行うときに、積極的に変化を促すことはしない

  • 変化を促す→植民地支配という文脈で語られることがある

  • ポストコロニアル

  • 開発人類学:衛生の向上(「良い」変化の定義がわかりやすいものは変化支援の対象になりやすそう)

  • 人類学の中では、変化を促すことは公共性の高い分野で価値が認められている→「だからメッシュワークを作りました」(ここの流れが緊張と興奮で吹っ飛んでいるのでビデオを見返したい。。)

ゼミ初回を終えた今の心境は、
「田舎の、空気の澄んだ冬の空に、光の強さがさまざまな星が、目の前にブワーっと広がっている」そんな感覚です。

たくさんキラキラしているものが目前に広がり、ワクワクしている反面、みたことない星たちを前に、まだここの星たちの間に線を聞くことはできず、繋がっていません。星座としては認識できない。
なので、無数の星はまだただの点で、星座のストーリーや表情はまだ見えません。

ちょっといきなりポエムが誕生しちゃいましたが、今見えている風景をどんな星座にして隣の人に手渡せる形にできるのか、楽しみです。

最後まで読んでいただきありがとうございます!最後、ポエムですみません笑
また、ちょくちょくレポートを書いていこうと思います。では!


いいなと思ったら応援しよう!