肩凝りの話
肩が痛い。肩が痛いから首も痛い。首も痛いから頭も痛い。ついでに腰も痛い。私はいつも肩が凝っている。いつからなのか覚えていないけど、気付いたらずっと痛い。肩凝りのない世界があったらどんなに素敵なのだろうと思う。それはもう夢の国ではないか。いつだってどこかしら重くて痛い。こんな憂鬱な凝りなんかどこかに行ってくれればいいのに。そんなことをたまに考えたり考えなかったりする。
私は心配性だ。それもとっても。毎日色んなことが心配で仕方がない。鍵はちゃんとかけたか?エアコンは切ったっけ?ガスは?家を出てから小走りで1つ目の信号を渡るまで心配していることなんて珍しくない。誰かと話をすれば、「余計なことを言ってしまったのではないか?」「自分の意図することが伝えられていないのかもしれない」などと正解などわからないことを心配し、悶々としている。そんな毎日を過ごしてたら肩だって凝るのも無理はない。心配事なんて出そうと思えば無限に出てくる。そんなことはわかっている。わかってなんているけど心配になってしまうのだからどうしようもない。窮屈で窮屈で仕方がない。それは自分で作ったしがらみの中でもがいてるからなのかもしれないけれど、纏わりついた色んな悩みや心配から逃れられずに、肩凝りのせいだけにしてなんとか暮らしている。悩みや心配事なんてきっと誰かに相談すればいいのかもしれないけど、誰に相談すればいいのかもわからない。自分に起きることは自分で解決する。自力で生きるをテーマに生きてきたせいで、毎日悶々としている。本当はたくさんの人に助けられているくせに。そういうことには目を瞑ってしまう。だから肩が凝って頭が痛くなる。
たまにどうしようもなく晴れた日に空を見上げる。そんなときは大体胸が少し締め付けられる。どうしてなのかはわからない。ただ、何かを思い描く余白があったあの頃を思い出すからなのかもしれない。もう余白なんてないことを知ってしまった。あの頃に戻りたい的なノスタルジックな思いに駆られているわけではない。むしろ戻りたくないと思っている。戻ったところで息苦しい日々が続くだけだ。今の私は思う存分、息ができる。深呼吸だってできる。だから青空がもっと遠くまで続いていることだってわかる。今の自分はあの頃の自分よりも絶望はしていない。大人になってよかったなと心から思う。だけど本当に大人になれたのかなとも思う。たぶん大人になんてなれていない。大人の自由さを手に入れただけだ。世界の広さを知っただけだ。ただそれだけだ。でもそれだけで十分なのかもしれない。
私は今日も肩が痛い。非常に肩が凝っている。もうすぐ整体に行ける。楽しみで仕方がない。体が軽くなったら空を見上げてみよう。たとえ晴れていなくとも。たぶんどこかはきっと晴れているはずだ。私は今日も1つ目の信号まで小走りで向かう。
頑張ります!一生懸命頑張ります!!