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私にとって重要だったのは、【娘が他人に褒められた時に、それを丸ごと肯定しその上ちゃっかり自分までも褒めてしまう】言葉を幾度となく聞いてきたことだった

私が幼い頃、まだマイカーなんてものはなく、スーパーマーケットなんてのもなかった。母は自転車で通勤し、仕事から帰ってきてから私を連れて歩いて夕餉の買い物に出かけた。八百屋、魚屋、肉屋と巡りながら夕暮れ前の町を歩いた。

母と連れ立って歩いていると、母の昔の知人に出会うことがたびたびあった。車なんか滅多に走っていない昭和の中頃ののんびりとした時代だ。

「あら、くんちゃん(母の名前は邦子なのでみんなからくんちゃんと呼ばれていた)、久しぶりやね! 元気にしとる?」

「あら〜久しぶりやね〜 元気元気! 元気に決まっとるわ!あんたは?」

「わて(私)もおかげさんで元気にしとるわいね。」と定番の挨拶の後、

私をチラリとみて、

「くんちゃんの娘?」と聞く。

「うん、上の娘や」と母が答えると、

「賢そうやね〜」

と言われるのがだいたいのパターンだった。

そこで、母は決まって

「そうや。誰の子やと思って。私の子やもん。」と笑って答えた。

おそらく半分本気、半分冗談だったのだろう。

いや、全部本気だったかもしれないし、全部冗談だったかもしれない。

その真偽のほどはもう知ることはないが、それが本気だったか冗談だったかなんてのは私にとっては大した問題ではない。

私にとって重要だったのは、【娘が他人に褒められた時に、それを丸ごと肯定し、その上ちゃっかり自分までも褒めてしまう言葉を幾度となく聞いてきたことだった】

それが人生にどんなに重要な影響を与えるかを私は大人になって仕事をするようになって知った。

母と一緒にいて母の知人に褒められることは保育園児の頃から小学生くらいまで続いたと思う。その間、私は幾度も

「賢そうやね〜」

「そうや。誰の子やと思って。私の子やもん」という会話を聞いてきた。

おかげで、私はなんの努力もなく「自分を賢いと思う人」になった。

一生懸命勉強して良い成績をとったから「私は自分を賢いと思える人」になったのではなく、何にもしていないのに「賢そうやね〜」「そうや」という会話を、それを話す人のそばで幾度も聞いていただけで「私は自分を賢いと思う人になった。」のだ。

もう一度言おう。

自分を賢い人にするために私の努力は一切いらなかった。

保育園の頃からなんの疑いもなく「私は賢いんだ」と思っているのだから、私の顔はどんどん賢そうな顔になっていった(と思う)。

「私は賢いんだ」と思う思い込みのおかげで私はこれまで大変得をしてきた。

本当に賢いか賢くないかは私にはわからない。

でも、「私は賢いんだ」と思うことによって、賢そうな顔になっていた私に人は安心して仕事を任せてくれたし、私もそれに答えようと一所懸命になれた。

大切なのはそういうことじゃないのかな、と思う。

事実がどうであれ、【今使う言葉が未来の事実を創って行く】ということ。

人は【言葉通りになろうとする力を潜在的に持っていること】を知ること。

そのことを体験を通して教えてくれた母に私はいつも最大限の感謝と愛と敬意を捧げている。




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