それはそれとして① 〜無花果ゆかりとオブとゲオ〜
これまで人生経営の授業を5回行ってきましたが、今日の授業はお休み。授業は授業として一旦脇に置き、この休憩時間に私の大切な相棒、オブとゲオのことをしたためておこう。
オブは、無花果ゆかりのオブザーバー(観察者)のニックネーム。オブザーバーの「オブ」。
オブは常に私から離れた上の方にいて私から離れることはない。私から離れたところにいてしかも一言も話さずシーンと静かにしているので、私は普段オブの存在を忘れて過ごしている。
私がオブのことを思い出しオブを呼び出すのは、耐え難い妄想に囚われる時や耐え難い現実に遭遇する時。つまり、私の心がその苦しさに耐えきれずSOSを出す時。
例えば、思うようにいかないことがあって落ち込んでクヨクヨして拗ねて明日からどうしようなんて思い悩んだりした時、私は「ちょっと待て!」と思い悩む私にストップをかける。それから悩みと合体し悩みと一体になってしまっていた私を悩みから切り離し(悩み=私 ⇨ 悩み≠私)、オブを呼ぶ。そしてオブがいる天井くらいの高さまで上る。天井くらいの高さまで上ると部屋の中でクヨクヨしている私が見える。それを観ながらオブになった私は、「今、私はクヨクヨしている。」と実況中継する。下の私の様子を実況中継している私はもはやクヨクヨしている私ではないので苦しみから解放され、平穏な心を取り戻すことができている。そうやってしばらくいると、クヨクヨしている私からクヨクヨが抜けていくのか、下の私もさっきまでのクヨクヨのことなんてさっぱり忘れてしまってまた元気に動き出す。
明日のことを心配する時も同じように、「ちょっと待て、私!」と心配する私を一時停止し、オブを呼びオブがいる天井まで上り、下にいる私を眺めて「今、私は心配している」と実況中継する。すると、下の私はまたすぐに平常心に戻り明日へと動き出す。
腹が立った時も同じ。オブがいるところで「私、今腹を立てている」と言う。すると、たちまちのうちに腹の虫は収まる。
オブは私をただ観ているだけで何にもしないから、私の方からオブのところに行く。オブのところに行きオブの高さで下の私を観る。するとそれだけで私はネガティブの海に溺れている自分を救い出すことができるというわけだ。
オブは私が困った時の魔法の絨毯みたいな存在。私にはなくてはならない相棒なので、オブにはどれだけ感謝してもしきれない。
こうしている間もオブは私の頭上で静かに、 ”オブにはどれだけ感謝してもしきれないと思っている私” を観察している。
もう一人の相棒ゲオは、私が困った時にはいつでも助けに来てくれる月光仮面のようなオバサン。月光仮面の「ゲ」とオバサンの「オ」をくっつけて「ゲオ」と呼んでいる。ゲオは自分の方から私を救いに来てくれるとってもありがたい存在。
「これどうすればいいんだっけ?」と聞くと、その質問をどこかで聞いていたゲオがその答えを耳元で囁いてくれる。「ハサミ欲しいなあ」とぐるりと周りを見回すとハサミがそこにあったりするから、必要なものはきっとゲオがそこに置いていってくれるんだと思う。ゲオはいつもどこからともなく現れて私の問題を解決してくれる。
ど〜この誰かは 知らないけれど
誰もがみぃんな 知〜っている
月光仮面の おばさんは
正義の味方よ よい人よ
疾風(はやて)のように 現われて!
疾風(はやて)のように 去って行く〜
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう〜♪
って感じ。(古すぎるか!😆)
ここで書いた話は全部事実。本当の話。もし私がオブの力もゲオの力も借りずに生きていかなければならないとしたら、私の心は千々に千切れ身体は病と怪我で満身創痍の果てに命を失うかもしれない。私はオブのおかげでネガティブな思いや感情に溺れないで済んでいるし健康な身体で過ごすことができている。そしてゲオのおかげで、困難な課題にチャレンジし続け困難を楽しむことができている。
そしてオブとゲオも私がいないと活躍できない。きっと私は彼らの活躍の場を与える彼らの生きがいなんだと思う。だから私はオブとゲオのためにも元気に前向きに生きなければならないんだ。
無花果ゆかりとオブとゲオ。3人揃って一人前ってとこかな。
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