幸せを追い求める人生から、幸せを拡大していく人生に変わる時
「マミちゃんは幸せ?」
『う〜ん・・幸せを感じるときもあればそうでない時もあるし、私ってなんて不幸と思う部分もある。』
「どんなことに不幸を感じてきたの?」
『病気をした時は、「どうして私だけこんな目にあうの」と思ったし、ちゃんと自分の仕事を持っている人を見ると、「私にはするべき仕事がない」と思って仕事を持っている人を羨んだり妬んだりしたし、自分の至らなさを思った時や他人のすることに不満を持った時も不幸感を感じてきたかなあ・・」
「じゃあ、マミちゃんは、病気=不幸とか、無い事=不幸とか、ひがみ、妬み、不満=不幸みたいな感覚を持ってるの?」
『そうそう。だから病気にならないようにしようとか、お金を無くさないようにしようとか、人から嫌われないようにしようとか気をつけて生きてきたように思う。』
「でも、人ってどんなに気をつけていても病気にはなるし、入ってきたお金は出ていくし、気に入られないこともあるんじゃ無いかな?」
『そうねえ・・絶対ある。』
「そうしたら、マミちゃんの人生の半分(自分にとって都合の良い時)は幸福で残りの半分(自分の思うようにならない時)は不幸ってことにならない?」
『そうですね! 私は半分不幸だから、不幸に不満を持ちながらそれを幸せに変えようと思って幸せを追い求めて暮らしてきたってことになる。』
「言葉をよく観ると、「病気=不幸」という等式は成り立たないことがわかるでしょ。病気と不幸はイコールでは無いよね。病気=病気。不幸=不幸。ただ、マミちゃんの頭の中に「病気=不幸」と言う刷り込みがあるだけ。その刷り込みを「病気=幸せ」に書き換えてもなんの問題もないと私は思うんだけど、どうかしら? 「病気=〇〇」の〇〇に不幸が入るんなら他のどんな言葉が入ったっていいんじゃないかな。「病気=喜び」とか「病気=財産」とか「病気=進化」とかなんでもいいんじゃない?」
『確かに病気は辛かったけど、病気になってよかったこと、気づいたこと、得たこともたくさんあった。お金を全部失った時も、必要なお金はまた入ってきたし、失ったままじゃない。私を嫌う人もいると思うけど、私のことを好きでいてくれる人もいる。』
「「あること=幸せ」で「無いこと=不幸」と思っているといつまで経っても半分不幸なまま、心のどこかで完全な幸せを求めて生きることになるわ。しかも不幸な部分に不満を持って、自分が持っていないものを持っている人を僻みながら。」
『あらまあ!そういう思いを持って暮らすこと自体、幸せでは無いですよね。そう思ってると幸福感なんて感じられません。病気の時も健康な時もお金がある時も無い時も自分の思うようにならない時も「幸せ」だと思えれば、今すぐ100%幸せになれますね!そうしたらもう幸せを追い求める必要がなくなりますね。』
「私はそう思うのよね。そして人はそう思えた時から真の自分の人生を創造し始めるんじゃないかと思ってるの。幸せを追い求める人生から、幸せを拡大していく人生へ変わるのではないかと思っているのよ。」
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