見出し画像

それぞれにみんな変な人たち。

先日読んでいた本の中に
とても印象深い内容があった。

人と関わることが苦手だったし億劫だったけど
仕事をして結婚して子供ができてと環境が変わるたびに、人と関わることの面白さを感じている。
その中で思うことは、
人はみんな変な人たちの集まりなんだということ。
誰かと関わることで
普通とは何なのかを考えさせられる。

みたいな内容、、←すっごく曖昧w
だけどこんなニュアンスでした。

もっと沢山面白いこと書いてあったけど
このヒトはみんな変な人たちという感覚。
みんなそれぞれに変な人だと思うと
人って面白いと感じたのかもしれない。

それはきっと、無意識に自分が普通という概念をもっているからで
それ以外の感覚があると、にかわってしまうのだと思う。
(この方はそれを否定しているということではなく、それを納得しているという感覚だと思う)

なるほどなぁ、たしかになぁ、って率直に思った。

以前の私だったら、変な人って死語だった。
変わってる、とか
不思議ちゃん、とか
そういう言葉を言われたら
「 私ってみんなと違うんだ 」
「 みんなと一緒にしないと 」 という
自動思考が発動してて。

言われる=否定された
違うこと=ダメなこと

そういう感覚があったから。
だから、違いを埋めるために頑張っていたし
自分を取り繕うことに努めていた。

心の事にふれて、向き合うことを実践しながら
私が発動してしまう自動思考の根っこも
少しずつ分かってきて、
変とか変わってるって言われることに対しての
違和感のようなモノを
わたし自身が認めて受け入れていくことで
以前より自分の変わった部分も好きになってきた感覚がある。 

だからこそ、変な人と言われたって
だよな?って感覚が凄くある。

相手からの変な人の言葉も
人格否定しているわけではない場合がほとんどで、人格否定してるのは思考からくる自分自身だったりする。
行動や言動に対しての指摘が存在否定にはならないから、
そこを切り離して考えることをもっとやっていけると
死語じゃなくなっていくんじゃないかと思う。 

わたしたちみんな変な人。
それを言われて

言葉にざわつく?モヤモヤする?

それって何で湧いてきたんだろう?

きっときっかけがあるはずだから、
掘り起こししてみたらいいと思う。
出てくるモノが沢山あるはずだから。

そして、普通とは何か?
一般的な常識とかルールとかそういうものではない
思考の部分での普通って、
かなりアバウトだし境目がないし、はっきりしていない。
だから、それ変だよ?って言われたら
わたしには普通なんだけど?ってモヤッてなると思うの。(みんなに共感してほしいという欲求もあるから)


普通でいるということの難しさ。
だからって、嫌われないために、とか
輪を乱さないために
そうすることで自分のありのままに蓋をして
なかったことにするのは
もうやめたらいいよね。

結局、拗らせてたのは自分だったりするからね。


わたしらしくとか、ありのままとか
沢山言葉は聞くけれど
良い部分も、治したいと思ってしまう部分も
全部自分だと認めること。
いい部分だけをピックアップして認めても
モヤモヤは晴れないから。

講座では、そんな部分にもふれていきます。
よかったら覗いてみてください。
心に寄り添う - Think time -


最後まで読んでくださり
ありがとうございました!


2月になりましたね。
月日の移り変わりの速さに驚きです。
2月もマイペースに配信します!
 

2025.02.03
emi.

いいなと思ったら応援しよう!