維新だから博物館を軽視するわけではないという話

これみて、維新の知事だからと猛反発を受けてるのですが、全国的な問題になっています。

ようするに、高齢化で家じまいをしてしまう→蔵にしまってある物をどうにかしたいけど処分するには忍びない→博物館に寄付という流れが非常に多い。

博物館も何が価値あるのかわからないし、100年後に価値が出るかもしれないと思って捨てられないのですが、しかしながら、図書館であれば収集とともに廃棄もコレクションの維持するためには重要なことであると考えられておりますし、廃棄というのも質の維持には大事なものではないでしょうか?

図書館の場合にはある本を処分してたとしても、そのことによってその本が永久にこの世から消えることのように国会図書館を頂点に図書館はネットワーク化され、一冊一冊の本はコンピュータにより管理されていますし、郷土資料のように図書館が管理しないといけない資料とそうでない資料とでメリハリをつけることがほとんどですが、素人目にはそうしたネットワーク化だとか、収集品のデジタルアーカイブ化による活用が遅れているような気がするのですがどうなのでしょうか?

この問題は政治批判で、じゃあ予算を増やして収蔵庫を増やせとなっていないことです。もっとも収蔵庫を増やしても理屈の上では人間が社会生活を続けるうえでは民俗資料は無限に増えるわけで、予算を無尽蔵に確保できたとしてもいつかは破綻する時が来るわけで、どう持続的な収集活動を行うのかという問題がつきまとう。

そこを無視して、政治や文科省批判、せいぜい予算を出さない財務省を殴るための棍棒に使われているというのは、本質的に博物館には興味がないんじゃないかなと思うのです。

そもそも件の博物館は廃校に収蔵品をおいているのですが、ただ雨風しのげばよいというだけで非常に劣悪は環境におかれてるのは想像に難しくないわけですが、維新の知事になった途端に急に収蔵品が増えたりなんかしてそういう事になったのかと言われたら大変に疑問です。

民俗品の中でも槍玉に挙げられた農機具は非常に大きいわけで、非常にどこも大変に苦労されているようです。いっそ国立農機具博物館でもつくって体系的に収集するということが必要なのかもしれません。

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