めめちゃんって、クラスのみんなから煙たがられてるよね
私が小学校高学年の頃、表向き友達だった子に言われた言葉です。
私は小学校で2回転校しています。
小4で関東から東北に。その後東北の同じ市内に両親が家を建てて小5の二学期に2回目の転校。小4で転校していろいろあったけど、少ないながらも友達もでき、小5で転校する前はちょっと残念だったのを覚えています。
2回目の転校。私は転校初日からおたふく風邪にかかってしまい、数日間学校をお休みしました。回復後、何人ものクラスメイトが私に話しかけてくれて、友達になろうとしてくれました。嬉しかった。
でもしばらくすると、みんなが好意的な中、私には違和感がありました。話についていけない。
友達同士の話題はファミコンの話ばかり。でも私は目が悪くなるからと言って親にファミコンを買ってもらえなかったから、話に入れずただ聞いているだけ。
最初グループに入れようとしてくれた女の子達はピチレモンという雑誌が好きでよくその話をしていました。でもうちは雑誌と言えば「小学5年生」しか買ってもらえない。おしゃれなんて早すぎる、と。
多分、もっと私が器用だったらうまく立ち回って仲良くできたのかもしれませんが、その頃も自分について話すことが苦手で、黙って聞いているだけでした。友達同士で楽しんでいる話題に入れない転校生と誰が仲良くするでしょうか。
また、私自身が遊びより勉強したい子で、学級委員気質なところもあり、今思えばちょっと変わった嫌な小学生だったのだと思います。
そのうち、クラスメイトが私と徐々に距離を取っているのがなんとなく分かりました。
ある時から、クラスでグループに入っていない子が私に話しかけてくるようになり、一人になりたくない私はその子と卒業するまで行動するようになりました。6年生の時には一緒に放送委員もしました。
でもその子は私を陰ながらいじめの対象にしていました。何かあるごとに私の首を絞めたり、嫌がらせをしたり、他の子と一緒になって私を無視したりする子でした。
うちにも遊びに来たこともあったので、母は外面的には私と仲の良いように見えたその子を親友と見ていたと思います。でもその後日、彼女は私に言いました。「めめちゃんって、家に友達呼んだの延べ何人くらい?」「めめちゃんって、クラスのみんなから煙たがられているよね」と。分かってはいたことだけど、ショックでした。
学校に行くのが辛くて、私は何度も学校に行くことを拒否しましたが、親は許してくれず、まさに引きずられて学校に行ったこともありました。
親はそんな私について学校の担任の先生に相談したことがあります。でも担任は私の事情を聞くこともなく、私に対して「学校に来なさい」というだけでした。母が信頼を置いていた、小学校5~6年の頃のクラスでも人気者だった担任は、きっと私のことを嫌いだったのだと今になれば分かります。他の子と溶け込めないめんどくさい小学生だったから。
あの頃の自分にはどこにも逃げ場がなかった。でも逃げたかった。そしてこんな友達がいたらいいなって思いながら、架空の友達を絵に書いて空想しているような子でした。