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社会人の海外短期語学留学 ‐事の発端編‐

あの日を境に変わった人生

2011年 東日本大震災。

あの日から、何かが変わった人は多いと思います。
かくいう私もそのうちの1人。
とはいえ、震災の話をするとどうしてもシリアスになりすぎるので具体的に何があったかという話は割愛します。

今回重要なポイントは、失業したこと。
職場のビルが地震により一部崩壊し再開の目処が立たず、東京本社は早々に仙台支店の撤退を決定しました。
元々将来性のある仕事ではなかったし、食料や半壊した家をどうするか、余震が怖くて眠れない、ライフラインはいつ復旧するのかという問題のほうが重要だったので、当時仕事を失った事は正直些細な問題だったのですが。

なんとか生活が落ち着いてきたころ、ハローワークに通いながら再就職を目指していた私は、いかにもブラックそうな求人情報しかないPC画面を見ながら ふと思いました。

「無職。これは、今しかできないことをする絶好のチャンスでは?」

昔から洋楽が好きで(しかし英語は全く話せない)、海外に漠然とした憧れを抱いていた私は思い切って決断したのです。

海外留学に行く!!


当時23歳。すぐにでも正社員を目指して再就職するのが“正しい”ことはわかっていました。
1~2年しっかり留学できるほどの貯金もありませんでした。
なにより英語が出来ない。
それを踏まえて、ビビって決めた留学期間は…なんとたったの3ヵ月。笑

何もわからないので、とりあえずネット検索して一番上に出てきた大手の留学エージェントにコンタクトを取り、カウンセリングやら学校のパンフレット取り寄せを行い、あれよあれよと話は進み。
あとは申込金を支払うだけとなりました。

が、しかし。
振り込み予定日の前夜、改めてエージェントの見積もりを細かく見ていて思ったのです。


いや、高くね?


今までエージェントに全て任せることに1mmも疑問を持ちませんでしたが、ビザ申請は自分で行ったらいくらなのか等を今更調べまくりました。
夜中の無駄に集中力を発揮するおかしなテンションのときに。
結果、私の場合ただの観光ビザでの入国だったので自分でも余裕で申請できるし、費用も安いことにここでやっと気づいたのです。苦笑

そして最終的にたどり着いたのが「現地無料エージェント」。
無料といっても、特定の保険会社で海外保険の申し込みは必要でした。
でもそれは元々入ろうと思っていた保険だったので問題なし!
現地での様々なサポートも受けられて、言うことなし!
即、お高いエージェントとおさらばしました。
(相談に乗ってくれていた担当の方には申し訳なかったです。。無理に引き留めることもなく、のちに聞いたその会社の悪評とはかけ離れた、誠実な社員さんでした。)

無料エージェントを利用して学校もホームステイ先も決定し、いざ行かん


オーストラリアへ!!



ゴールドコースト

初めて降り立ったオーストラリア、ゴールドコースト。

空は快晴。
期待と不安で胸がいっぱいです。
空港までエージェントの手配通り迎えの車が来てくれて、さっそくホストファミリーのお家へ!

ほどなくして家につき、ドライバーさん(オージー)が家のチャイムを押す。


・・・。
反応がない。

またチャイムを押す。

・・・・・。

やはり反応がない。

え、、留守?まさかね?今日くるって知ってるよね?!
ドライバーさんがどこかへ電話をかけ始めた。
太陽の日差しが照りつける中、場違いの長袖パーカーを着て汗だくになってくる私。

電話が終わり、私に何やら状況を説明してくれているようでした。
が、しかし私は英語が出来ない。
彼が何を言っているのかさっぱりわからない中、
なんとか聞き取れたのが「20 mins」。
20分がどうしたんだ。という混乱の中、一仕事終えたドライバーさんは「Bye☆」と爽やかな笑顔で去ってしまいました。


ポツンと家の前に取り残される汗だくの女。


10分ほど経った頃。
お隣のお家の奥さんが心配してくれたのか不審者だと思ったのか話しかけてきてくれたのです。
しかし私は英語が…(以下省略)。
とりあえずカタコトの英単語と身振り手振りで、ホストファミリーを待っていることを伝えます。
すると奥さんがホストマザーに電話をかけ、そして私に「今くるって」と教えてくれました。
なんて優しいんだ。ありがとうございます!!
隣人の携帯番号を知っているなんてスゴイ!と別のベクトルからも感動。


そして更に待つこと30分
オージー(オーストラリア人)の時間感覚はどうなっているのか。
なんとホストマザーが家の中からハーイ☆と言いながら現れました。

ちょっと待って。
家の中から?え、家にいたの??

混乱する中、軽い自己紹介を済ませ
部屋に招かれて早々
「水着持ってる?サンダルは?その他の荷物は置いて行ってね」
という謎の指示。
とりあえずスーツケースから水着を探す時間もなさそうのでTシャツに着替え、ビーチサンダルを履いてリビングに行くと、マザーは庭に出るドアを開けて

「さぁ行くわよ☆」

…どこに?家はここだよね…??とまた混乱しながらも、色々と質問出来る語学力がない為 黙ってついて行きます。

するとそこには


なんということでしょう。


立派な水辺とボートがあるではありませんか。
颯爽とボートに乗り込むマザーと、操縦席にいたファザー。

オーマイゴッド。

ホストファミリーは、プライベートボートをお持ちだったのです。
お金持ちか。これは大当たりのステイ先なのでは?!

40分以上、暑い日差しの下家の前で待たされたことは これでチャラだ!

どこへ行くかは未だ不明。
ここは湖なのか海なのか、それすらわからないままボートはスピードを上げてどこかへ向かっていきます。
晴天と水しぶきが気持ち良い。


巧みな手捌きでボートを操縦するホストファザー



気づけば辺り一帯が大豪邸のエリアへ突入。
マザー曰く、金持ちの別荘地だそうです。
もしかしてホストファミリーもここにセカンドハウスを持っているのか…?!と思った矢先、まだまだかかるから座って休みなよとのこと。
どうやら違ったみたいです。

しばらくして到着したのは、小さな島でした。

島へ降り、しばらく歩くと海の家を宿泊場に変えたような、ちょっと立派な小屋がありました。
そしてその前では若い男女がBBQ中。
どうやらホストファミリーの娘と、その彼氏らしいです。
ラブラブカップルとその親、そして私という若干気まずい状況の中 BBQは続きました。

当時はまだSIMフリーのスマホというものもなく、やることがないまま時間が過ぎていきました。。
私は残念ながら陽キャではないし、英語力0点なので会話にもついていけず。かといって見知らぬ小さな島で一人ぶらぶら歩くわけにもいかず。
正直この空間と時間が苦痛でした。
先ほどまでボートに乗っていた時のワクワクは消え失せてしまいました。

自分の不甲斐なさに嫌気がさしていた時。

「今から釣りに行くよ~」

と、ホストファザーの鶴の一声!
釣り=集中する=しゃべらなくても気まずくない!!
何より私は釣りが好き。
助かったー!!!!!
魚よ、ありがとう!!!!!

水を得た魚のように元気を取り戻した私は夢中で魚を釣り上げ、
誰が一番多く釣れるか選手権で1位を獲得。
いつのまにか皆との距離も少し縮まり、和気藹藹。

それからの記憶は、あまりありません。

小屋(ホストファミリーの別荘でした)にみんなで泊まったのは覚えていますが、疲れのためかベッドに入った瞬間爆睡したのでしょう。
慣れない場所で緊張して眠れないなどということは全くなく、持ち前の図太い神経がここで役立ちました。

翌日はみんなで家に戻り、ようやく小さな島から脱出できたことに安堵しました。

 
思いのほか長くなったので、今回はここまで。


勢いではじめたNOTEへの投稿。
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次回『語学学校編』につづく・・・

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