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何より大切なのは、わたしとあなたの実践であり体験なのだと思う。
わたしは昨年10月から毎月、自分の内面にあるものを絵に描き、それを通じて対話する「スケッチライン®」という場を、アトリア参宮橋というカフェで開いています。
何をするのか、どんなふうに役立つのか、はじめはぼんやりとしか伝わらない場かもしれません。けれど、これまで4回の開催で34名の方が足を運び、そこで生まれたものを持ち帰ってくれました。
▶今後の開催予定はこちら(概要も書いてあります)
会を重ねる中で、「なぜわたしはこの場を開いているのか?」という問いの輪郭が、少しずつ浮かび上がってきました。それを言葉にしておこうと思います。
少し長いですが、読んでいただけたら嬉しいです。
わたしは、詩人・茨木のり子さんの「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という詩を読むたび、「うっ」となって言葉につまるくらいには、繊細な人間です。
そんなわたしも、社会の中で他者とともに生きていく必要があります。ありがたいことに、この世界には、人との距離感や関係性、自分のものの見方や感じ方、その奥にあるものを理解し、扱いやすくするための理論やツールが数多くあります。
わたしも、それらに触れることで助けられたし、今もなお支えられています。けれど、時にそれを大切にするあまり、自分の「実際に起こったこと」や「そこから感じたこと」を軽んじてしまうことがありました。
ある理論やツールに出会ったときの感動は、ときに救いにすら感じられます。同じようなことで悩んでいる人に伝えたい、届けたいという思いが自然に湧いてくることもありますし、実際にわたしもそうしている1人です。
けれど、それを絶対のものと信じすぎるあまり、そこにうまく当てはまらない自分の体験を「なかったこと」にしてしまったり、「未熟なもの」として扱ってしまったりすることがありました。まるで、自分自身につけるバッテンのように。
そんなとき、問いが浮かんできます。わたしは、わたしの感受性くらい、自分で守れているのだろうか?
何よりも大切なのは、わたしやあなたの実践であり体験だと思うのです。
本来、理論やツールも、わたしたちを小さくするためにあるのではないはずです。むしろ、その願いとは裏腹に、それを「正解」として崇めすぎてしまうことで、自分自身の体験を遠ざけてしまうことがあるのだと思います。
けれど、たとえ時間がかかっても、自分の体験をまっすぐに見つめていると、理論やツールは神棚に飾るものではなく、一定の距離を保ちつつ、隣を歩いてくれる心強い仲間のような存在になってくれます。その小さな感覚の違いが、わたしたちの姿勢や佇まいとなってにじみ出し、日々の関係性や生き方に些細だけれど大きな変化をもたらしていくのではないかと思うのです。
わたしは、自分の体験を、誰かや何かに委ねるのではなく、自分で大切にしていきたい。
思いっきり飛び跳ねたくなる瞬間も、ズーンと沈み込む時間も、わたしをつくるかけがえのない要素として。
そして、他者との間にいながら、思いっきりわたしの影響を発揮し、他者からも受け取る。そういう景色を見たいし、そんなふうに生きていきたいと願っています。
だからこそ、日常の実践をそっと支える場として、その人のイメージや体感をできるだけそのまま扱い、自分の輪郭をたしかめ続ける機会を届けているのだと思います。
「スケッチライン®」は毎月参宮橋で開催しています。よかったら、足を運んでみてください。
▶今後の予定はこちら!
おいしい食事を用意して、お待ちしています。
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