2年目が終わって思ったこと

昔、仕事の帰りにふらっと立ち寄ったジャズのライブで、ある曲が耳にいつまでも残りました。ずっと頭の中でその音楽がぐるぐる回るので、帰りの電車の中でメモ帳にそのフレーズを書き留めたのでした。

後日、電車の中でその時のピアニストにばったり会いました。ライブに行ったことを伝え、例のフレーズを書き留めたメモ帳を見せると、「あ、これ、僕のオリジナルの曲です」と言われました。それがきっかけで、ジャズピアノを学んだことがあります。

「1音だけでもアドリブできるんですよ」「始めたばかりの人は赤ちゃんのおしゃべり、4年やってる人は4歳児のおしゃべりをするんですよ」「リズムの上に音楽が乗っかっている」「ジャズは民主主義の音楽」「ジャズの教則本は読んで学ぶものではなく、ある程度弾いてから読んで、なるほどーと感じるもの」「バラードは間違えると心に沁みなくなるんだよね」「ディミニッシュはやりすぎるとあざとい」等々、興味深いことをおっしゃっていたように思います。

そんなことを思い出したのは、ミサでジャン=フィリップ・メルカールト先生の演奏を聞いたからです。先生はクリスマスや復活の主日等の大きな祝日だけでなく、普段からミサで演奏されています。初めは「メル先生すごーい」としか思っていなかったのですが、2年経つとだいぶ慣れてきて、どのような即興をされるのかに興味が湧いてきました。入祭唱や拝領唱の出だしなどを使って即興されるのですが、どう音を使ったらそんな素敵な響きになるのだろう、しかも曲の雰囲気を壊さず、聖歌隊に自然な流れでバトンタッチできるのだろうと考えていました。

そして先日の年間第16主日でのこと。入祭唱は“Ecce Deus adiuvat me”でした。

メル先生は冒頭のDeusのところを使って「ド・ラ・ファ・ぽん」というテーマを様々にアレンジした即興をされていました。いつもカッコいい和声を使って、目の覚めるような即興をされるのですが、いつもと全然雰囲気が違うし、そもそも「ぽんって、何?!何の音?!」と驚き、メル先生の引き出しの多さを改めて思い知らされたのでした。
(あまりに驚いて、こちらでも先に書いていました)

それで、今はめちゃくちゃオルガンを頑張って、メル先生から即興を教われるようになりたいのです。自分の人生の最後の課題かもしれない。とりあえずは今までやってきた和声の復習をして、家にあるジャズの楽譜を片っ端からさらおう。

そして、グレゴリオ聖歌は橋本周子先生と池田福太朗さんから教わりたい。グレゴリオ聖歌は音楽ではなく、「神のみことば」。学校では耳にタコができるほどそう言われているのですが、私は2年かけてようやく、そう感じられるようになりました。聖書を愛し、みことばに畏敬の念を持つ橋本先生や池田さんでないと、グレゴリオ聖歌は教えられないだろう。昔、某Y音楽教室でゴスペルを習っていたのですが、指導者があまりにも言葉を無視するので、文句を言ったこともあります。そんな性格なので、指導者には神学的な要素をすごく求めます。ヘクサコルドや旋法はそのあとだ。

以上、教会音楽の学びの2年目が終わって、ふと感じたことでした。