「置かれた場所で咲きなさい」ではなく、「咲ける場所へ移りなさい」
一つの思考実験をしよう。
あなたは第二次世界大戦中の飛行機の整備士だ。
被弾しながらも帰還できた仲間たちの飛行機を調べると、翼や胴体はボロボロだったが、尾部だけは妙に無傷だった。この場合、この飛行機のどこを補強すれば、仲間たちを一人でも死なさずに済むだろうか??
直感的には「弾痕の多い部分を補強しよう」と思いがちだ。だが、実は無傷の尾部こそ致命的な弱点であある。
どういうことか?
尾部は撃たれ強いのではなく、撃たれた飛行機はそもそも帰ってこられなかった。それゆえ、無事に帰還した飛行機の尾部は無傷だった。
この直感に反した事実こそ、いわゆる「生存者バイアス」がはらむ落とし穴だ。私たちの人生やキャリアの選択でも、このバイアスに陥ると、本当に強化すべき部分を見誤ってしまう。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を知っているだろうか。同名の本がベストセラーになり、当時私自身、母に一読を勧められてそれなりに感動するものがあったことを覚えている。
この言葉は、一見すると美しく、前向きなメッセージに聞こえる。だが、もし今いる場所が、あなたの特性や強みをまったく活かせない土地だとしたらどうだろう。無理やり根を下ろそうとしても、むしろ成長を阻害する要因ばかりが目について、いつしか花は萎んでしまうかもしれない。「生き残った飛行機」の情報ばかりが目立つように、「その場所で咲いている人」にだけ注目すると、悲壮なまでに努力して枯れてしまった人々の姿は、まるでなかったかのように見えなくなる。
同じように、「成功者の法則」だけに安易に飛びつくのも危険だ。たとえば「フリーランスで成功しているAさん」を見て、「自分も会社を辞めたらうまくいくはず」と考えるかもしれない。しかし、そこに至るまでのAさんの人脈や性格的強み、運やタイミングは見落とされがちだ。あるいは「美容外科医になれば、若くして高収入が得られる」といううわさを聞き、「自分も医師免許さえ取れば安泰だ」と結論づけるとしたら、それはあまりに短絡的で、帰還できなかった多くの飛行機の存在をまったく考慮していない。
大切なのは、自分がどんな性格で、どんな環境に適性をもっているかを知ることだ。チームプレーが得意なのか、それともひとりでじっくり考えるほうが好きなのか。朝型か夜型か。どんな仕事なら疲れにくいのか。ビッグファイブなどを参考に(下の自著に詳しい)、認知面・行動面から自分を見つめるのもいい。
面白いもので、同じ人が日本社会では「わがまま」と言われても、アメリカに行けば「自己主張も控えめで協調的だ」と評価される場合もある。つまり、個人の特性と環境の相性は絶対的というより相対的なのだ。世界一周の14ヶ月間で私が観察した外国の人の多様性からもそのことは間違いない。
精神科医をしているとよく言われる言葉に「この仕事、考えただけで眠れなくて涙が出るんです。でも3年は働かないとダメですよね?」がある。
「石の上にも三年」という言葉が示すように、確かに苦難に対してそれを一定期間向き合うことで急成長する場合もある。
しかし「置かれた場所が自分に合っているかどうか」を考えるのは、負けや逃げではない。むしろ、合わない場所にこだわり続けることこそ、自分の才能や可能性を無駄にしてしまうリスクだと私は思う。近年はリモートワークや海外就職など、場所に縛られない生き方の選択肢が増えている。「日本社会では窮屈に感じる」と言う人が、世界のどこかでは自然と受け入れられ、価値を発揮している光景を目にする機会も多い。たとえば、寿司職人が世界各地で重宝される例も、その国や地域が求める技能や個性に自分がマッチすれば、思いがけない場所で花開く可能性があることを示唆している。
もし今いる環境がどうしても合わないなら、思い切って咲ける場所へ移ることを考えてみてもいいだろう。何も、大げさに「海外移住」や「フリーランス独立」だけが選択肢ではない。部署異動、転職、地方移住、あるいは副業で別のコミュニティに身を置くなど、小さな一歩を踏み出すだけでも見える景色は変わってくる。一度しかない人生なのだから、地中深くに埋もれたまま光を浴びられないのは、あまりにももったいない。
世界は広く、私たちが思うより多彩だ。生存者バイアスが指摘するように、表面的な「成功例」や「うまくいっている姿」にだけ注意を奪われると、かえって本質が見えなくなる。真に必要なのは、「自分は何が得意で、何が苦手なのか」「どんな土壌が自分に合いそうか」を徹底して考えること。そのうえで、必要とあらば場所を移り、咲きやすい環境を求めることは、決して恥ずかしいことではない。
「置かれた場所で咲きなさい」も悪い言葉ではないだろう。しかし、それが叶わない場所だと感じるなら、勇気を出して自分が咲ける場所へ移ればいい。人生は、自分が咲ける土壌を探す旅のようなものだ。他人の「成功」という花ばかりを見つめるのではなく、自分自身の可能性という根をしっかり張るために、最適な環境を探す権利と自由が、私たちにはある。今いる場所を捨てるのではなく、よりよい場所を見つけにいく――その一歩が、あなたを本当に開花させるきっかけになるかもしれない。