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メメントモリ〜死者の日に思い出すこと〜

顔に髑髏のメイクアップをした人々の写真を見たことがあるだろうか。

メキシコシティのパレード

その白く塗られた顔に施された華やかな装飾は、死を忌むべきものではなく、祝うべき対象として描き出しているということは意外と知られていない。

これはメキシコの死者を弔うための伝統的な祝祭「死者の日」で地元の人々が故人を偲びながら楽しむために始めた習慣で、「骸骨カトリーナ」という風刺画からインスピレーションを得たとされている。

ハロウィンとは一線を画す、どこか大人びた神秘的な雰囲気を漂わせる「死者の日」に、私は以前より深い憧れを抱いていた。

私がメキシコを訪れたのは、「死者の日」が開催される2019年10月26日だった。

死者の日(Dia de Muertos)は、毎年10月31日から11月2日までの3日間にわたって行われる。この期間は、特に11月1日と2日がメインの日とされており、地域によっては少し異なる場合もある。具体的には、10月31日は幼くして亡くなった子どもたちを迎える「天使の日」、11月1日は大人の魂を迎える「諸聖人の日」、11月2日はすべての魂を敬う「万霊節の日」として知られている。

世界一周から帰国して2年以上の月日が流れていた。

地球の裏側へ1人でバックパックを背負って降り立った瞬間、久しぶりの冒険に対する胸の高鳴りと同時に、懐かしさと切なさが胸をよぎったことを鮮明に覚えている。

「本当に世界を旅していたんだな」少しずつバックパッカー時代の感覚が蘇る。

日本での穏やかな暮らしへの愛着と、それを捨ててでも放浪を再開したい衝動が心の中で綱引きをしていた。そんな時期の話である。

旅程は、まずメキシコシティで華やかなパレードへ参加する。

その後はマヤ文化の生きた遺産とも言える、メキシコ先住民が多く暮らすチアパス地方の山岳都市サン・クリストバル・デ・ラス・カサスで、より深いメキシコの精神性に触れる。

そして最後に死者の日の伝統が最も色濃く残ると言われるオアハカへ向かうというものだった。

メキシコと聞けば、多くの人々の脳裏にはステレオタイプな映像が浮かぶだろう。
マフィアの麻薬戦争という暴力的なイメージを持つ人もいれば、太陽の下で口髭を蓄えメキシカンハットをかぶり陽気に歌う「ドンタコス」おじさんを思い描く人もいるに違いない。

しかし実際のメキシコは、そうした単純な図式では捉えきれない複雑な様相を呈していた。人口の6-70%をメスティソ(スペイン人と先住民の混血)が占め、15%の白人、15%の先住民で構成される多民族国家である。

言語も地域によって異なり、文化的な多様性に満ちた国だった。日本の5倍もの国土を持つその広大な地では、10日程度の休暇では数都市を巡るのが精一杯なのだ。

メディアが描くようなメキシカンハットの陽気なおじさんにもTatooだらけのマフィアにも出会うことはなかったが、代わりに温かな心を持つ人々との忘れがたい出会いに恵まれた。

メキシコシティでは、突然の豪雨から逃れるように駆け込んだレストランで、席に困り途方に暮れていたびしょ濡れの私を心配した現地の家族が、まるで古くからの知人のように彼らのテーブルへと招き入れてくれた。

サン・クリストバルでは、街の路地で偶然出会った温厚な老医師と、メキシコの医療事情や日本の精神医療について、まるで時が止まったかのような深い対話を交わした。

遠く離れたアジアの島国からの訪問者を、彼らは純粋な好奇心と温かな心遣いで迎え入れてくれた。その優しさは、今でも私の心に鮮やかな記憶として残っている。

さて、話を死者の日へと戻そう。
メキシコシティでは2016年以降、ジェームズ・ボンド映画「007スペクター」の影響を受け、現代的な解釈を加えた華やかな大規模パレードが開催されるようになった。

街は祝祭の熱気に包まれ、渋滞に巻き込まれてパレードに間に合わないのではないかとやきもきした記憶が蘇る。メキシコシティは、古い伝統と現代アートが見事に調和した魅力的な街で、その躍動感は私の心を強く揺さぶった。

007のオープニングを思わせる洗練されたパレード

しかし、最も深く心に刻まれているのは、旅程の最終目的地でもあるオアハカ、そしてナサレノ・エトラビージャ・デ・エトラなど周辺の村々での体験だ。 そこでは、より親密で、より本質的な形で死者の日が息づいていた。

特に忘れられないのは、家族総出で墓地に集まり、一晩中故人を偲ぶという伝統的な営みだ。

墓は鮮やかなマリーゴールドの花で彩られ、無数のキャンドルの灯りが闇夜に揺らめき、この世とあの世の境界が溶けていくような幻想的な空間を作り出していた。

幼い子どもたちから年配者まで、老若男女問わず集まり、この世を去った愛する家族の帰還を夜通し待ち望む。

映画「リメンバーミー」でも印象的に描かれていたように、マリーゴールドには特別な意味が込められている。その鮮烈なオレンジ色の花びらと強い芳香は、「故人の魂が迷うことなく現世へ戻るための道しるべ」として、生者と死者を結ぶ架け橋の役割を果たすのだ。

日本にも故人を偲ぶ「お盆」という伝統行事は存在する。しかし、現代化の波の中で、その本質的な意味は徐々に薄れ、親族が一堂に会する機会すら減少の一途を辿っているように思える。

私自身、ここ数年は仕事や様々な事情に追われ、先立った親族の墓参りの機会さえ、めっきり少なくなってしまった。

だからこそ、家族が一つとなって夜通し墓前に集い、色とりどりの花々とゆらめくキャンドルの灯りに囲まれたあの光景に、私は心を打たれたのだろう。それは、自分自身が見失いかけていた死者との向き合い方を、静かに、しかし確かに問い直す機会となった。

死者の日がお盆と決定的に異なる点がもう一つある。

それは、死者の日という祝祭が、カラフルな装飾や陽気な雰囲気の中で「死」を祝うという点だ。

私たち日本人の感覚では、故人を偲ぶ際には厳粛で悲痛な空気が当然とされる。しかし、それは単に私たちの文化が築き上げた一つの常識に過ぎず、世界に目を向ければ、まったく異なる価値観が存在することに気付かされる。

死者の日は、単に故人を追悼するだけの行事ではない。それは、死者と生者の永続的なつながりを祝福する祭りなのだ。

死を恐れ、忌避するのではなく、むしろ身近な存在として受け入れ、生と死の連続性を認識する——そんな深い洞察が、この祭りには込められている。

この「死を受容しながらも、生を祝福する」という考え方は、古代ローマに由来する警句「メメント・モリ(Memento mori)」と響き合う。

この言葉は、人生の有限性を自覚することで、かえって現在の生をより深く、より豊かに生きることを私たちに促している。
中世ヨーロッパでこの概念が特に重要視されたのは、戦争や疫病により、生と死がより直接的に隣り合わせだった時代背景があってこそだろう。

死者の日メメントモリ——この二つは、避けることのできない「死」という事実に正面から向き合い、そこから人生の真の意味や価値を見出そうとする点で、深く結びついている。

清潔で安全な現代社会において、私たちは疫病や飢餓など、「死」を想起させる状況と日常的に対峙する機会を失った。だからこそ、死者の日という祭りとメメントモリという概念は、現代を生きる私たちに欠けているものを静かに、しかし力強く問いかけているのかもしれない。

「有限の生をより深く生きよ」
メキシコでのこの体験は、私にそう語り続けている。

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精神科医kagshun/EMANON
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