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存在の証明〜物語が支える人生の意義〜
人が生きていくためにはその人なりの物語が必要だ。
記憶に新しい、ある元アイドル男性による性的加害事件。
アルコールの影響下(諸説あり)で、若い女性に対し権力を濫用し性的行為を強要。
拒否されると激昂し、女性を惨めに追い出したという。
被害を受けた女性の心中を思うと、胸が締め付けられる。
恐怖や嫌悪以上に、「恥」の感情が彼女を苛んでいるのではないだろうか。
<自分自身を許せなくなる> その悲しみは計り知れない。
女性の心や自尊心の回復を心から祈っている。
一方で、加害男性の再起の動きに対する世間の反応にも複雑な思いを抱く。自身の問題を認め、講演会やメディアに姿を見せ始めた彼を嘲笑する声が目立つ。
しかし、それを見て私は少なからず失望を感じてしまう。
なぜなら、人が生きていくためには、その人なりの「物語」が必要だからだ。
私たち一人一人が、自分の物語を紡ぎ、それを信じて日々を過ごしている。医師である私も例外ではない。
「自分の仕事が人を救っている」「自分だからこそ救えた命がある」と、時に無邪気に、時に自己暗示のように信じている。
もし自分が取り替えのきく存在だと考えてしまったら、目の前の仕事へのモチベーションを保つのは難しいだろう。
多くの人が、様々な役割の中で長年かけて自分の物語を構築してきたはずだ。
私たちは生きるために、自分の物語を作り上げる。
それは単なる嘘とは異なる、一種の想像上の現実だ。
他者の物語に矛盾を感じ、反感を覚えるのも自由だ。
しかし、その一方で忘れてはならないことがある。
それは、他者の物語を完全に否定することは、その人の存在意義そのものを否定することにつながりかねないという事実だ。
たとえ過ちを犯した人間であっても、自分を見つめ直し、新たな物語を紡ごうとする姿勢には一定の敬意を払うべきではないだろうか。
もちろん、これは加害行為を正当化するものではない。
被害者の痛みや社会的な影響を軽視してはならない。
しかし、加害者の更生と社会復帰の可能性を完全に閉ざすことも、また別の問題を生む。
私たちに求められているのは、他者の物語に耳を傾ける寛容さと、同時に批判的に考察する力のバランスなのかもしれない。
そうすることで、互いの物語が交差し、より豊かな社会の物語を紡ぎ出せる。
わたしはそんな「物語」を信じたいと思う。
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