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ばーばの大学院な日々〜無事に

ばーばです。
緊張でオェーってなりそうになりながらの修論発表が終わりました。

修論の題目は[中学校キャリア教育「知る・気づく・みつけるー探索プログラム」の実施と効果の測定]です。

これまで15年間継続している、中学校での出前授業を、生徒の変容を測ることで、「プログラム評価」しようとする試みでした。

キャリア教育の評価は、ひとつには管理者やカリキュラムの企画者が評価する「教育プログラム評価」と生徒が自己評価する「生徒評価」に分けてされているという流れがあります。
国とか、先人が言っているのはこっち。

先行研究のもうひとつの流れは、進路選択についてのレディネス(成熟度)の変容を測るものです。
これは、実践した授業によって生徒が進路について自己選択と決定ができるようになってきたかを測ることで、キャリア教育の効果を測ろうとするものです。

で、どちらにも何かしっくりこないものを感じて、他の方法はないだろうかとうろうろしたのが私の大学院での研究でした。

なんていうか、キャリア教育の目的は、生徒が自己理解を深めて、「自分」を頼りにして「自分のこれから」を選び取って行けるようになるということだと思って授業での働きかけをしてきましたが、それを「進路選択」と絞り込んでは来なかったよなあ…という…
例えば、生徒のある時点での進路の希望があって、キャリア教育を受けてそれが変化したという研究(最終的にどこまで行きたいか〜[高校]までだったものが[大学]に行きたいに変わったみたいな)があったとして、それって意味あったんだろうか?だって進路には本人の希望よりももっともっと現実的な課題や問題が複雑に絡むじゃん!それを考えさせるってことは、ある生徒にとっては、自分でどうにもできないことに向き合わせることになってしまうのではないかと思って、中学生の進路に対するレディネスを測ることへの違和感はこれだったのかと今気づきました。(まさにこれを書いている今です)

ああ、そうか、副査の先生がコメントくださった「前田さんのやっているプログラムを見ても、この研究で測ろうとした『将来への意識』も、ずいぶんと『職業』に偏っているように思いますが、そちらを重視しているということか?」という言葉がやっと腑に落ちました。

そうなのよ
私は生徒が持つ「働く理由」を測ることで、生徒の「職業観」の成熟を見たかったんだな。
てことは、価値観とはなんぞや、その中でも職業についての価値観とはなんぞや…という部分を掘り下げないとならなかったんだなあ…と、発表から3日経って薄ぼんやりと考えているところです。

ははぁ、なるほどそうか…
ひとつ研究をまとめたとしても、スッキリしなかったのは、あれもやればよかったこれもやればよかったと次々と浮かんできちゃうからなんだなぁ…

まずは自分におつかれさん😆と、ご褒美しまくっております笑


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