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みんな結婚ごっこなのかもしれない ――能町みね子さん「結婚の奴」を読む


自分の中にある願望を認めて、ひとつずつ果たしてみる。こんなシンプルなことが、なかなかできない。


この一年ほど、能町みね子さんの「結婚の奴」が好きで好きで、何度も読み返している。誰かと結婚をしてみるという、静かで壮大な試みの一部始終。

そもそも、他人と恋愛をして共同生活を営むというのが、ものすごくハードルの高いことなのだ。それなのに私たちは、結婚というワードを使って、それが自然発生する出来事かのように思い込もうとしている。

しかし残念ながら、結婚は自然に発生しない。そして、誰かと結婚してみたいという「ふわっとした願望」を自覚するのは、恥ずかしいし、面倒だし、疲れる。実現できるかも分からないし、今どき結婚して幸せになれると期待している自分にうんざりしてしまう。


だから、その願望を放置して時間をやり過ごす、という選択肢もある。よく全否定されるパターンだけど、それもひとつの選択だし、そういう人生だって全然ありだと思う。


ただ、ふわっとした願望でも、「あ、私結構本気で手に入れたいのかも」と気づいてしまうことがあって、じゃあ計画を立てて実行に移してみよう、と重い腰をあげないと手に入らないものも、やっぱりある。例えば、結婚とか。だって、白馬の王子様とか、終電を逃したイケメンとか、待ってても私のところにはやってこないので。まあ捕まえようとしても捕まらないんだけど。



この「結婚の奴」では、能町さんが、恋愛感情を持たない結婚の計画を一つ一つこなしていく様子と、そのとき感じていたことが丁寧に描かれている。あまりドラマチックに盛られてはおらず、淡々と話が進んでいくのだけど、めちゃくちゃ面白い。そして、淡々としながらも、いろんなハードルに遭遇している。夫(仮)からは、結婚は冗談だと思ってたと言われているし、戸籍上の結婚は嫌だと断言されているし、炭化したバナナも出てくるし、新居の壁も塗り終わらないし。

でも、そこで、絶望するでも大喧嘩するでも愛を叫ぶでもなく、あーそうかー、と小さなショックを受けたり、妥協をしてみたり、多くを求めたりしてみる。時には間取りをゴリ押ししたり、勝手に珪藻土マットを注文したりする。


ああ、これぞ、誰かと生活を営むということだ。そう思う。こんな話が無数に読みたい。でも、こんなに面白いのは、やっぱり能町さんだからなんだろうな。



この結婚の計画を、能町さんはいわゆる恋愛結婚と比較して、敢えて「擬似結婚」という枠組みで囲って、進めていく。ただ、読んでいてつくづく思うのは、「擬似結婚」と相対する「本当の結婚」なんてあるんだろうか?ということだ。

恋愛していようと、子供がいようと、結婚なんて、どれも結婚ごっこなんじゃあるまいか。「ああ、私の結婚生活うまくいかない」と思う人は山ほどいるけれど、それ、「結婚ごっこがうまくいかない」の間違いなのではないか。プロポーズの言葉は、「結婚ごっこしてみよう」が適切なんじゃあるまいか。そしてこの本は、その結婚ごっこの最適な教科書だと思う。疑似とかいいつつ、これぞまさに、本当の結婚ごっこじゃありませんか。



同じ本を何度も読むのは久しぶりだった。思えば20代中盤のころは、雨宮まみさんの「女をこじらせて」をいつも鞄に入れて、ヨレヨレになるまで何度も繰り返し読んでいた。あの頃、どんなに毎日がむなしくても、情けない気持ちにまみれても、雨宮さんの本を読むと、ひとりじゃないと思えたし、ひとりだとしても生きていけると思えた。


自分もずいぶん遠くまで来たなあと思い、いまこの「結婚の奴」を手に取ることができて、本当にありがたいなと思っている。










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