翡翠とフォッサマグナの糸魚川市 女王『奴奈川姫』
お疲れ様です!
奴奈川姫について語ります。
奴奈川姫は、卑弥呼がいた頃に新潟県糸魚川市に住んでいた姫で、高志国(こしのくに)の女王でした。
でも、高志国というのは福井県若狭から山形県南部までととても広い国なので、この広さを統率するような強い政治力や軍事力はなかったそうです。
ただ、翡翠の加工は縄文時代から高度な技術を持っていました。
そして、中国や朝鮮半島からの入口は若狭の港が盛んだったようです。なので、軍事力を高めるよりは商業、交易に力を入れていました。
糸魚川市や奴奈川神社に伝わる話は、下の地図に書き込みました。
奴奈川姫が一部の人に知られているのは、日本書紀や古事記に登場するからだと思います。
スサノヲノミコトの息子やら娘の婿やら、あやふやな存在のオオクニヌシ丿ミコトに求婚されたからです。
世間的にはこちらのラブストーリーに重きをおき、奴奈川姫は縁結びの神様として祀られています。
でも、地元の伝説では悲劇の姫として伝わっているようです。
645年の乙巳(いっし)の変で、「蘇我入鹿(そがのいるか)」が殺されると父親の「蘇我蝦夷(そがのえみし)」は自邸に火を放って『天皇記』『国記』もろとも焼却し、自害しました。
そこにあったかもしれませんが、高志国には文献が残っていないので、歴史学者は高志国を無視。
考古学的には糸魚川市の『長者ケ原遺跡』長岡市の『馬高遺跡』などが発見されていますが、歴史学者は考古学と結びつけたがらないようです。
その歴史学的に残っている『日本書紀』を作らせたのは、蘇我氏総本家を滅ぼした「中大兄皇子」系の天皇です。いやな言い方をしますが、自分たちを「善」として作っていると思うんですよね~(笑)
いちばん有名なのは「八岐の大蛇(やまたのおろち)」です。この説明に「コシの八岐の大蛇」と書いてあります。
コシは高志国、古志、越で、「コシの八岐の大蛇」は「高志国の悪党」という意味ではないでしょうか?
まぁ、私の地元をひいき目で見ると(笑)
高志国は翡翠で大儲けしていて妬まれたのかな?(笑)
文献が残っていないので憶測の域を出ません。
でもでも、『卑弥呼』は『魏志倭人伝』には書いてあってもお墓も残ってなければ、彼女を祀る神社もありません。
卑弥呼の存在は信じて、奴奈川姫は信じてくれない。それも変な話ですよね。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。また次回に。
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