【麒麟がくる】脚本家 池端俊策氏 講演会 内容まとめ①
池端俊策氏(脚本家)講演会
脚本家の仕事~NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を振り返って
2023年1月23日に埼玉県蕨市で開催された。
池端先生の貴重な講演会に
運良く参加することができた
応募多数でキャンセル待ちの方が多かった模様
貴重なお話を、できるだけ先生の言葉のニュアンスや
当日の様子が分かるように、5回に分けてまとめました
<各まとめページ リンク>
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講演内容 【目次表】
開催会場
一講演会スタート一
冒頭
池端先生の当日の服装
自らマスクを外してくださり、
お顔を拝見させていただき講演を聞くことができた
先生の服装は黒っぽいスーツ、白いシャツ、
赤いチーフ?をつけていらっしゃった
舞台にはお一人で登壇され、
中央の椅子に座られて講演
手話通訳の方が左側に立たれていた
※当日の舞台の様子
蕨市長さんのブログに掲載こちら
講演会開催の経緯
池端先生は蕨市在住
蕨市長さんより、以前から[麒麟がくる]の講演を
して欲しいと言われていた。時世のこともあり、
なかなか会が開けずようやく実現とのこと
脚本とは
池端: 脚本というものが分からない方も
いらっしゃると思うので、
それをふまえてお話させていただく
《脚本とは》
脚本というものは人間を描くもの、究極は
出てくる人物がどういう生き方をするかということ
人生とはそういうものだと
少しでも分かってもらえるといい
脚本とは人間を描くのが最終テーマ
池端先生とNHK
池:仕事はNHKのドラマが多い。僕は真面目だから
NHKのずしーんとした空気感に違和感がない 笑
30過ぎてNHKから仕事を受けるようになり
脚本を書くように。45歳で初の大河「太平記」を書いた
太平記の話
大河ドラマ太平記の発端
池:元々 鎌倉幕府を倒した足利尊氏(役は真田広之さん)
のことを詳しくは知らず、現代劇を主にやっていたので
その時代のことをよく知らなかった
ただ、学生の頃太平記を読んでいた
とても面白い文章で太平記は愛読書だった
40過ぎた頃、「大河やるなら何やりたい?」と
NHKの人に聞かれ「やるなら太平記」と言っていた
43歳の時に大河の話が来た
その時のNHKのプロデューサーが
三田佳子さんの旦那さんの高橋康夫さんだった
「池端さん、一緒に3年、歳をとろう!」と言われ、
(大河ドラマは3年かかるという意味)
「池端さん太平記やりましょう」という話になった
麒麟がくるの話
大河ドラマ麒麟がくるの発端
大河やりませんか?
池: 過去「坂の上の雲」に関係していて、
その時に同作のプロデューサーの助手をしていた方が、
NHKのドラマ部長になっていた
70歳になってすぐくらいのある日、
そのドラマ部長に
「二人だけで話したい。池袋で会おう」と言われ、
何の話だろう大きな単発でもやるのかな?と思ったら、
「池端さん大河やりませんか?」と言われた
一瞬で、昔 太平記のときに高橋さんが言った
「3年一緒に年を取りましょう」の
3年の計算をしてしまった
いつの時代にするか?
池:プロデューサーに「いつの時代?」と聞いたら、
逆に「池端さんいつの時代やりたい?」と問われ、
池「太平記では室町幕府を創った足利尊氏だったので、
ずっと気になっていた室町の最後をやりたいなと
その時代は戦国時代とダブっている。
室町の終わりあたりいいよね」と言ったら、
P「私もそう思っています」
池「ただ戦国時代のど真ん中で、織田信長が大活躍、
家康登場、そこからやるんじゃなくて
戦国時代の最初の頃からやりませんか?」と
主役はどうするか?
一大きな声で話せない内容なので
喫茶店で二人でひそひそ話した話一
P「では誰が主役?」と主役の話に早速展開
池「織田信長無いでしょ、家康無いでしょ」
(今大河で家康やってるけど、、と先生の発言あり)
P「じゃあ秀吉は?」
池「全然無いでしょ」
※先生個人的に秀吉あまり好きではないという
池「足利尊氏が政権を取った室町、
だから足利の最後をやりたい
どういった室町の最後だったか。
そうすると終始一貫するなと」
池「足利義昭はどうか?」
P「地味でしょ」
※ここらへんはPとのかけひきに
好きか嫌いかという、、
池「斎藤道三はどうですか?」
P「道三主役は一年もちません…」
※全く想定していなかった提案でP驚いた様子
池:そしたら閃いた。明智光秀!
光秀は道三の近くにいて信長を殺した人間だから
信長との関係もやれる!と
信長、光秀、道山、三人が出れば
プロデューサーも納得なはず!と思って
池「光秀はどう?」
P「暗いですね」
P「信長殺した人ですよ、それ一年出るんですか」
池「明るくする!」笑
こうして光秀に決定
歴史書を疑うからこそ 光秀を扱う面白み
池:光秀への印象は、
いろんな本をある程度読んでいて把握していた
歴史というのは時の政権に都合の良いように
書き換えられるもので、それは古代からずっとそう
聖徳太子の時代から脚本を書いているが、
だいたい権力を奪取したものに都合の良い
歴史編纂になっている(今、そうだとは言わないが)
かつてはそうだった
特に、徳川時代は300年続いて
家康に都合の良いように学者達は歴史編纂をやった
これは間違いない
今の歴史学者も口をそろえて言っている
だから信用できない
江戸幕府によってつくられた歴史書は
常識としてどこか疑ってかかった方が良い
特に信長はヒーローだったから、
光秀は信長を討った人なのでロクなことは言われない
信長を殺したということは
なおさら悪役でとおってきている
でも、僕は疑り深い方で
信長ってそんなにいい人だったか?というのがある
信長で一番有名な【信長公記】
これは信長の部下が書いている
だからよく見ると信長が負けた戦のことは
書いていない。勝った戦しか書いていない
そういう書をだいたいメインにして
「信長像=ヒーロー」でやってきた
それを全部ひっくり返そうと思って
池「光秀はひょっとすると面白いかもよ?」と提案
P「じゃあやりましょう!」となった
主演はどうするか?
明智光秀役が長谷川博己さんになった経緯
喫茶店の片隅での話はそのまま続き、
P「光秀、誰にしますか?」と気が早い質問
池:ちょっと神経質で、ミステリアス…
池 「あ、長谷川博己さんじゃん!
最近彼で脚本書いたばっかりだし」
P「それで行きましょうか!」と、
そこで主演も決定
池:大河ドラマは《誰が主演をやるか》がとても大事
他の役者も、主演を基準に配置していく、
奥さん役は?
戦う相手はだれか?
最後に殺す信長をじゃあ誰にするか?
そういう順番で、キャスティングしていく」
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