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親が悔い改めたら私は救われるのかという話

ふと思った。

私の生家は家業があり、田舎ゆえに男尊女卑で、そういった家と反発する母親と祖父母の板挟みで育った。
町の顔役みたいな家業なので、板挟みであることを外に出すことは憚られ、感情と存在を押し殺し大人しい生き物にならざるをえなかった。

母親は自分の味方であるように、母親の望む姿であれと教育し、評価されてきた。
そのせいで私は無条件的な愛というのが分からないまま育った。つまり私は心に拠り所のないまま育った。

だから恨んではいる。怒ってもいる。

また母親は己のプライドを高めるために陰謀論にハマり、食と健康のために無添加だの自然派だの熱心にやっている。
電子レンジに怯え、スマホを触りながら頭の横に置いて寝るなと注意し、医療にかかることを拒否し、ワクチンを接種した人から匂いがして気持ち悪いと言い、あやしい浄水器に大枚をはたき、水素を吸う。
科学的におかしいことを説明しても理解できない。
そして私の惨状を「食が悪いせいだ」と否定してくる。

聞いていて苛々する。
苛立つ理由は馬鹿なことを言っているからだと思っていた。こんな馬鹿な母親で恥ずかしい。人に迷惑をかけているんじゃないか。やめてほしい。

しかし、もしかしたら、
今までの自分の所業を棚に上げ、食品や添加物のせいにしていることに腹を立てているのかもしれない、とふと気付いた。

じゃあ、じゃあだよ。
もし今までのことを親が悔い改めて、謝ってくれたら私は救われるのかということ。

たぶん救われない。
きっと泣いて罵るだろう。今更遅い、全部お前のせいだと責めたてるだろう。

でもそれがしたい事なのかもしれない。

だから自分の面倒をみろ、と言ったっていい。お前のせいなんだから、死ぬまで面倒みろよと。
それでは苦しいことも、幸せにならないことも想像はつく。

でもそれでいいというか、もうそうなっているんだわ。私の恨みを晴らすには、私は不幸にならないといけない。だからか。
トロフィーキッズになんかなってやらない。お前の育児は間違っていたことを証明する。

その為に私は今不幸になろうとしているんだな。

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