2022年7月20日

気がついたら鬱だった。
大体いつもそうだが、「何かうまくいかない。」「何か集中できない。」「何かやる気が出ない。」という何となくな違和感がここ数日続いていて、昨晩突沸した。
「何もかもがダメだ。」「もうどうにでもなれ。」「あーあ。終わり終わり。」退廃的な思考に堕ちていった。感情を正しく言葉にすることが出来ず、どんな娯楽を摂取してもいっそうイライラが募り、どうしようもなくなってしまった。沈み込むというより、爆発するタイプの鬱だった。
今朝はアルバイトがあった。睡眠はままならず体調は最悪で、タスクも山積みなので精神状態も最悪だった。暴飲暴食をしていたのに貧血で立ちくらみがしたし、呂律も回らなかったし、単純作業が思うように進まなかった。魂をすり減らして何とかシフトを乗り越えた。晴れて自由の身となったが、外は久々の猛暑で、これも身体に堪えた。最悪な状態だった。
ただ、ここに転機が訪れた。帰宅して、昼食用に米を炊いて50分ダラダラと待っていた。何かをしていた訳では無い。適当にYouTubeを流したり、SNSを見たり、山積するタスクのことを考えて嫌になったり、有意義なことは何もしていなかった。ただそれだけだったのだが、米が炊けた時には、何故か既に心は晴れやかになっていた。

不思議な体験だ。モチベーションが上がらない時は何か楽しいことをしようとか、そんなつまらないことをよく聞く。そんなものはハッキリ言って全く効能がない。だから時々、どうしようもなくなる。
ただ、ある瞬間、不意に心が軽くなった。再現性があるのかは分からないが、僕は今日救われた。
楽しいことがあるから元気でいられる訳でも、辛いことがあるから憂鬱になる訳でもない。原因など無くとも気持ちは簡単に上下する。
生化学では、脳が抱く感情はシンケーデンタツブッシツだとかホルモンだとかのバランスだと説明する。ただ、そんな無機質なもので僕の感情の上下を説明した気になられてはたまったものじゃない。中核にあるのはどこまでも非合理的で非科学的な『僕』という概念だ。そんな『僕』をコントロールすることは、僕にだって困難だ。ただ待つ。期待せずに待つ。それである瞬間、急に変わることだってあるのだ。これからも予期しない躁と鬱が僕を引っ張るだろうし、その度に焦るだろう。ただその時に、正しい対処法なんてものは無いのだと諦めておくと、少しは余裕が出来るかもしれないと思った。

しかしまぁ、困ったことはまだある。元気になって余裕が生まれたからといって、状況そのものが好転したわけではない。今日こそ進捗を、取り戻す。

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