「自分をかまわない」勇気
私もできていません。
だから「無理だよね」と同意を求める。愚痴になる。
「自分を気にしないために気をつけたほうがいいこと」を書きたいけど、私はできていないのでご了承ください。
あくまで「主語は私」だから。
あなたに向けて話せていないから。
私は自分のことが嫌いだ。
基本的に「どうでもいい」 「自分のことを考えたくない」ので、
自分とは良い感じに距離をとれている(と思っているけど、主治医ちゃんはなんて言うだろう?)
最近は、主治医ちゃんによる精神療法のおかげか、
カウンセリングのおかげか、
自分のことを「なんでもいい」「どうでもいい」と思うことがある。
その頻度は南病院にかかる前より多くなったけど、
それでもやっぱり自分が嫌いだ。
主治医ちゃんに本気でむかついた瞬間である。
「なに上から目線で言うてんねん」と、
エセ関西弁が出そうになった。
一瞬で我に返った。あぶねww
私にとって、多くの精神疾患者にとって、
「自分」というものの価値と大切さがわかっていない。
心の中では「自分なんてどうでもいい」が占拠している。たぶん。
でも、その中にも「自分だから」が少なからずある。たぶん。
自分を「大切なもの」として扱う必要はない。たぶん。
残念ながら私にはできない。いや残念ではないか、私にはできない。
ただ自分を「社会を回している一員」だと、思いたい。気づきたい。
服着てる。少なからず食べてる。住む場所がある。俺だって僕だって私だって、お金を回す。
ここまでnoteを読んでくれてありがとう。私のためになってる。
「人として生まれたからには後世に名を残す功績を」とか、そんなのはいらない。必要ない。
功績があるってうちらが勝手に思ってるだけで、織田信長もリンカーンも「昔を生きていた人」たちのうちの1人だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「名もなき一人」として誇らしく
有名である必要はない。今この場所に「自分」がいること。それを自分がわかっていたらいい。
「自分がいてもいい場所」
自宅と職場とあと2か所くらいあるといい。
(私は職場すらないから詰み)
最近はオタク的活動もしてないのよ…
「自分」が複数いたら、
それぞれの自分が充実していたら、
それだけで「自分はここにいてもいいんだ」って時間が増える。
医師が言う「趣味を持て」も、それが狙いなのかな?と思う。
もちろん「無理に趣味やれ」とは言わない。
何が趣味なのかわからないし、どこからが趣味なのかもわからない。
無理ない範囲で、自分の世界を広げられたら、と思う。