安心感=変わらない、を変えない限り人類の明日はない、かもしれない
半年前からダイエットをして体重を3キロくらい落とした。
今回ダイエットに取り組んでみて辿り着いた結論は、ダイエットという言葉自体もやめた方がいいなということだった。
ダイエットというと一時的な目的を持った行動と捉えてしまう。
でも、現代人に必要なのは”ダイエット”ではなくて、食生活の根本改革、もっと言えば生き方の根本改革なのだと思う。
人類は進歩を通じて、食べ物を簡単に調達できるようになり、移動も通信もどんどん便利にしてきた。
今でもそれは”便利”な方へ一方通行で進めている。
色々と問題が起こっても、解決する方向はより障害がなく使いやすい方へ、となる。
でも、その現代人の文明のおかげで人類の未来はどんどん危機に瀕しているのも事実じゃないだろうか?
もし、あなたが今、今の食生活を続けていたら1年以内に確実に死にますよ、と言われたらどうするだろう?
きっと死なないでいられるよう食べ方を変えようとするのではないだろうか?
今気候変動が年々大きくなり、大災害も増えている現状があるのに、結局のところ、便利な方向への歩みを止めないのは、一年後に死ぬかもしれないのに、相変わらずおいしいものだけを求め続けているようなものではないか。
人間にとって一番大事なのは、お金でも愛情でもなく、安心なのではないか?と最近思う。
お金や愛情というものはその安心を得るために必要なだけだ。
この世の富を独占しているような大富豪も、世の中を自分のいいように動かしている独裁者も、安心して暮らせているとも言えないに違いない。どちらもやったことがないから想像でしかないけれど。
富をたくさん持っていれば失う心配が付きまとう。
独裁者は権力を維持することに汲々としていることだろう。
私たちが住んでいるこの日本はもともと災害の多い場所だ。だから安心して生きるということから元々遠いところにいるのかもしれない。それが日本的、と言われる社会の特徴の原因になってることも大いにあり得ると思う。
まあそれに深入りすると横道に逸れるのでそれは置いておいて・・・。
自分にどうすることもできないことは考えても仕方ない。
でも、どうにかできることなら努力をしたいと私は思う。
今年の夏の暑さは今までに経験したことのないレベルだった。いよいよ地球環境が危機的な状況をあらわにしてきたのかな、と思う。
地球環境が人間に住みにくいところになりつつあるのなら、じゃあ、火星に移住しようなどと考える前になんとか人間が住み続けられる場所にする努力をもっともっとすべきじゃないかと私は思う。
富や便利さの追求と地球環境を守ることを同時にすることは不可能だけど、火星に移住しよう、という考えは富の追求の理由になり得る。
つまり、火星移住の考えの根っこには富裕層が自分たちの生活を手放したくないということを表しているだけじゃないかと私は想像する。
安心=変わらない、という図式がある。
今ある物を手放したくない、ということは、例えばDVにあっていたり、カルト集団から抜けられなかったり、という場合にもあるくらいだから、ましてやいい暮らしをしていたら、それを変えるということはなかなか困難に違いない。
でも、お釈迦様が説いたように、この世に変わらないものなどないのだ。
地球はいつでも回っているし、この宇宙は全てが動き続けている。私たちの体も刻一刻と変化をしている。
富裕層を頂点として、現代人の便利な暮らしを維持したい、という欲求を根本的なところから見直さない限り、人類の未来は本当にないと私は思う。
だから、変わらない=安心、という図式はこれからの時代捨てて行かなければいけないものなんだと私は思うのだ。
私たちは今本当にギリギリの地点にいるということをもっと肌身に感じた方がいい。
この夏自然の側から異常な暑さ、という形で突きつけてきた現実を、もっと真剣に考えた方がいいんじゃなかろうか?
冬の寒さがきてこの夏の暑さを忘れてしまう前に。