アートと暮らし

前回の話で作品を作るスタンスについて根本から考え直す経験について書いたが、New Yorkという街は世界中から挑戦や成功したい人が集まる場所でありながら、私は毎日の瞬間瞬間を味わい楽しむということをNew Yorkの人達から教えてもらい、生活に染み付けられた場所だったと本当に思う。
そしてそれは私のそれまでの概念、そしてライフスタイルを変えた。

忙しい街でありながら、街中で昼間から優雅にカフェや公園の芝生の上で読書する人、気持ち良さそうにぼーっとしてる人がたくさん居る。彼らは時間や自分以外の何かに縛られている感じがしない。(日本でこれやってたら、あの人浮浪者?みたいな目で見られそうだし日本じゃそういう人をあまり見ないんだけど)
私も自然とそれを日々大切な時間にするようになった。
特にコロナ以降。
ロックダウンで街が全停止し、(ロックダウンでの経験はまた追々書きたいと思う)多くの人が自分と向き合う時間を持たざるを得なくなった。
ロックダウン明けの街は以前より更にチルする人が増えたように思った。
もしかしたら自分がそうなったから見えるものが変わたのかもしれないけど。

心という形のないものを確かめて見つめ、会話しながら日々をクリエイトしていくクオリティを誰もがリニューアルしたのではないかな。
元々、自分をよく知り、他人の目や動向なんて気にせずに表現するのが上手いニューヨーカー達から学ぶことは多く、コロナによりそれが更に意識的なものになったと思う。

そして少しの期間だけどお付き合いをした人の言葉が今も忘れられないきっかけになった。
彼は芸術の大学で哲学を教えるプロフェッサーで、”アートはその人の生活そのものだ”と言っていた。
とてもシンプルでそして私の今ままでの活動や創作に対しての概念を丸々おさめてくれる言葉だった。
物質的にアウトプットするだけがアートではなく、その人が生きてきたオリジナルの暮らしをクリエイトする作業こそがアートだと腑に落ちた。
それはとても生き生きしたもので日々自分を楽しみ、暮らしを育み、慈しんでいる人は輝いていて表情や所作全面に現れている。
そういう自分でいると内側から揺るぎない自信が生まれてくる。

アートを観る意味、作る意味、見せる意味は他者を介して知り、自分の存在価値などを確認したりして安心する=幸せを得るためのものである人が多いと思うけど、やっぱり対他者の前にまず自分のみで自分自身をとことん知り
五感で自分にしかないオリジナルの暮らしを愛でることが行き着くところであり、これ無くしては本質的に始まらない根幹だと私は思う。



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