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いただきます

少し前に呟いた事。
語彙力はないけれど自分の精一杯で想いを綴るので読んでいただければ幸いです😊🍀


先日お寺に行く機会があり、住職さんとお話していた時の事。

荒行に行っていた時のお話を聞いていて
睡眠時間は2時間弱
寝ている時間も誰かが
代わる代わる読経をして
修行中にお経が切れることがないようにしていたと。
あとは1日に何度もある水行
食事は1日2回、重湯のようなお粥と汁物のみで飲み干すだけ
ほぼ5秒で食事が終わる。

そんな毎日を100日間。
聞くだけで想像を絶する…

「そんな極限状態で亡くなる方はいないんですか?」
おそるおそる聞いてみたら
「もちろんいますよ~。
だから私達は死装束で荒行しているんです。死んだらすぐに焼いてお骨になって帰ってきて安置されるのでお骨と一緒に修行は続きます」

…聞いてる方はもう言葉がない。


目の前にいる人が経験してきたこと
それは自分の想像を超えすぎていて
私は一体何に
毎日あくせくしたり悩んでいたりするんだろう、と。
そんなことを思いながら帰路についた。

その翌日、
近くの食堂でひとりで昼ごはんを食べていた時の事。
いきなり私の中で衝撃が走った。

普段から食べる時には「いただきます」と手を合わせてから食べている。
この国ではごく当たり前な光景。
でもひとりだとつい
スマホを見ながらだったりテレビを見ながら食べている時もある。
この日もそうだった。
でもいきなり気づいちゃったのだ。


「いただきます」の意味を。

食べ物の命を「いただきます」
作ってくれた人に「いただきます」
恵みに感謝して「いただきます」

頭の中では解っていた。
当然だとも思ってる

でも命があり、
それを作ってくれたり育ててくれた人があり、
健やかに育つ大地があり
空気や水やおひさまがあり…
育てるために
作るために
飼料や肥料やらを作ってくれる人がいて
それを運んでくれる人がいて
運んでくる車や船や電車や飛行機や
それをまた作ったり整備する人がいて…

そう。感謝して食べようと思ったら
キリがなくなってしまったのだ。


昔は
家で作ったもの
住んでいる地域でとれたもので食事をしていたから
まだ感謝が行き届いていた。

でも今は世界中から輸入したり
購入したりすることがほとんどで


うまく言えないが
とにかく身の丈に合わないのだ。


もう少し自分の生活や食事を見直してみようと思った。



少しでも感謝が行き届き、
身の丈に合った生活ができるように。


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