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夏なので、読書の感想文。
この2ヶ月くらいにわたって夢中で読んでいた何冊もの本について報告します。
わたしの心が昂る理由
最初に、何がわたしをざわつかせるかを、乱暴に説明しますね。
地上には、ネアンデルタール人とか北京原人とかの、原人とか旧人とか呼ばれるいろんな種類の古いタイプの人類が数多く存在していましたが、それら古いタイプの人類は何らかの理由で絶滅してしまいました。そして日本には、古いタイプの人類が生息していた痕跡は発見されていません。いなかったのです。
今、地上に生息している人類は、すべてホモ・サピエンスです。アフリカで発生して進化して約10万年前にアフリカを出発して世界へ広がっていったということが、さまざまな研究からあきらかになっています。
人類の祖先はアフリカ大陸を出て、遠くヒマラヤを目指し、ヒマラヤの北側と南側を通って東アジアの大陸の果てで合流し、そこから日本列島へと辿り着いた。
ヒマラヤの、北側へ行った人たちの一部はシベリアからアラスカを経由してアメリカへと渡っていった。
ヒマラヤの、南側へ行った人たちの一部はスンダランドを経てオーストラリアへと渡っていき、そこから太平洋の島嶼へと広がっていった。
大昔の日本に人類がいたことを示す遺跡は数多く残っていて、どれも3万8,000年以降のものです。遺跡から導き出せる結論としては、3万8,000年以前には日本列島に人類はいなかった。人類は、3万8,000年以降になって日本にやってきた。
その移動が始まった時期に日本列島がどういう状態だったのかが問題です。
結論から言えば、人類は、海を渡ってやってきた。
人類は、航海しなければ、日本にやってくることはできなかった。
これですよ。これぞ歴史の始まるところ。
3万8,000年前の祖先が舟で海を渡って日本にやってきたことを想像すると、
どうしようもなく心が昂るのです。
更新された旧石器時代の物語
今までわたしがイメージしていた初期の日本のストーリーは、幼い頃に読んだ少年少女向けの科学読み物が元ネタになっています。
大陸とつながっていた頃の日本列島にマンモスなどを追いかけながら歩いて移動してきた祖先たちは、山海の幸に恵まれた日本で楽しく暮らしていたのですが、気候が変動して海面が上がって大陸と切り離されてしまった時に取り残されて、日本人になった、というストーリーです。
でも、それは違うのだそうです。
最終氷期には海水面が今よりも80m〜130mも下がっていたのだそうです。でも3万8,000年頃にホモ・サピエンスが日本にやってきたその時期に、日本列島が大陸と陸橋でつながっていた事実は無いのだ、ということが研究によって明らかになった事実なのですって。論拠はいくつも説明されていましたが「台湾と沖縄と本土の生物相は違うでしょ、それは陸橋が無かった明らかな証拠だよ」と言われれば、もう十分に納得してしまいます。
ホモ・サピエンスが日本に到着する経路は3つ考えられます。でも、
1. 樺太北海道ルートでは、海面低下の際にも津軽海峡は陸化しなかった。
2. 対馬ルートでも島は切り離されていた。海を渡らずに日本には来られなかった。
3. 沖縄ルートでも、台湾と与那国島間の海峡は水深700m超。つながっていない。
台湾から与那国島への実験航海
2019年7月には、丸太をくり抜いて作った手漕ぎの舟で台湾から与那国島まで渡る実験航海が成功しました。何よりも心が躍るのは、この実験航海をめぐる物語を読むことです。海部陽介先生が書いた本に詳しく書かれています。計画段階で出された本も、実験後に発表された本も、最高に面白い。
黒潮の流れる海を、男女の漕ぎ手が、丸太をくり抜いて作った舟を漕いで渡った、
その末裔がわたしたちなのだ、という仮説を証明する実験です。3万8,000年前の人類が駆使し得た技術に関する仮説に基づいて壮大な実験が行われたのですが、当時の人類に帆を操る技術があるとは考えづらい(この点も丁寧に検証されている)ため、実験航海は丸太舟で行われることになりました。
女性も漕ぎ手でなければなりません。
子孫が生まれるためには、両親が必要です。つい、男女の遭難者が日本に漂着したケースを想像してしまいますが、実際の漂着物は台湾から与那国島へは流れつかないし、遭難者が水平線の先に陸地の見えない広大な海を黒潮に押し流されつつ漂流して命をながらえた状態で日本の陸にたどり着くというのは、実際のところ、困難なのですって。なぜなら人は「椰子の実」ではないのですから。
女性も漕ぎ手でなければ、日本で先祖が子孫を残して繁栄していくことは不可能なのですって。
海をゆくひとびと
骨の遺跡が残りづらい土壌、奇跡的に発掘された遺跡、残っていた貝器、貝塚、発掘された遺跡から出てくる装飾品、民俗学で明らかになる儀礼行為、多くの研究の成果としてわかってくる新しい道具技術の流通…。
考古学だけでなくさまざまな研究の成果を組み合わせて、見えてくる先祖の姿。
何冊も読むうちに、ぼんやりしたイメージが輪郭を帯びてきます。先祖たちが海の民として日本列島を舞台に日々の暮らしを生きていたことが、リアルに感じられてきます。
例えば、産地が限られている黒曜石とヒスイが、日本中の遺跡から発見される事実があります。それは人がモノを流通させていた証拠です。孤島である神津島に黒曜石を取りに行き、持って帰ってきて流通させていたことが、黒曜石の成分分析で明らかになるのです。
祖先は海路で物資を運んでいたのですね。
水運を駆使していたのですね。
祖先は、海民だったのですね。
祖先は、鋭敏な神経を持っていて、
自然との向き合い方をよく知っていたに違いないですね
鳥や蝶の飛ぶさまから水平線の先の陸地を感知する知覚に優れた者、
植物を使って便利な道具を作るのが得意な者、
遠目のきく者、海流を読む者、天候を読む者、
勇敢な者。慎重な者。仲間の心を希望に向かわせる者。
人びとが命の極限で力を合わせて、歴史の最初のところを作ってきた。
夢中で想像の翼を広げて、
海の上を飛ぶ燕になったかのような心地で、読書を進めました。
今年の夏、わたしは書斎の旅人です。大きな海を渡っていく旅です。
祖先たちが、舟を作りながら、舟を漕ぎながら歌っていた歌を、
聴いてみたいな、と、思います。
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この記事に関して読んだ本
タイトル・著者・発表年(写真に写っている順)
黒潮圏の考古学 小田静夫 2000年
サピエンス日本上陸 海部陽介 2020年
人類がたどってきた道 海部陽介 2005年
日本人になった祖先たち 篠田謙一 2007年
アフリカで誕生した人類が日本人になるまで 溝口優司 2011年
南の島のよくカニ食う旧石器人 藤田祐樹 2019年
日本人はどこから来たのか? 海部陽介 2016年
直立二足歩行の人類史 ジェレミー・デシルヴァ 2021年
(日本語翻訳版は2022年)
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