😇ボツになった書き出しの供養😇
「哲学とは何か」という問いに対する最も簡潔かつ適切な回答は恐らく「哲学者によって哲学の定義は異なる」というものである。そして、古今東西の哲学観を調査し、「哲学」という語の意味を外延的に(或いは哲学者Xにとっての哲学観FはYであるという関数的仕方で)規定すれば、もはや問うべき謎は残らない。しかし、この答えに納得出来ないならば、その者は、寧ろ、事実ではなく価値を問うていたのかもしれない。つまり「哲学とは何か」と発問することで、例えば「哲学の名の下(もと)で私は何を考察すべきか」と思案していたのかもしれない。実際、現代においては、論理学、物理学、地球科学、心理学、生物学、教育学、社会学等々が既に一個の学として哲学から自立し、それぞれ着実に進歩し、人々がその恵沢を享受しているのであるから、もはや哲学に固有の機能(エルゴン)など何が残っているというのかと懊悩する者が現れても不思議ではない。この問いへの解答は、もちろん一本の論文で扱い得る範囲を超えている。けれども、かかる問題意識を自覚する我々が再び「古今東西の哲学観」に目を向けるなら、「哲学者によって哲学の定義は異なる」という単なる事実のみならず、本来の目的(テロス)である「私は哲学をいかに定義し、いかに哲学すべきか」という謎の解消にも幾らか役立ち得るように思われる。
(クリスチャンなのに「供養」とかいう言葉を使ってしまって不謹愼でした)