統合失調症から立ち直った僕のプロフィール
人生を変えるきっかけって色々あると思いますが、僕はそれが統合失調症を患ったことでした。
それまで人の顔色が怖くてそれを伺ってばかりの僕は、ストレスのため込みすぎで被害妄想と無気力でいっぱいになり、寝たきりになりました。
それが、僕が僕自身と向き合うきっかけになったんです。
詳しい経緯の前に軽い自己紹介を載せておきます。
自己紹介
出身地:神奈川県相模原市
年齢:これを書いている時点で28歳(1992年生まれ)
血液型:O型
性格:真面目、優しい(自分で言うの恥ずかしい(笑))、めんどくさがり屋
趣味:プログラミング、電子工作、読書、哲学、仏教、人と話す、英語学習、子供と遊ぶ
尊敬する人;自分をしっかりもって生きている人
経歴:地元の公立小→私立の中高一貫の進学校(男子校)→地方の国立大学(機械系学科)→統合失調症→復学→統合失調症再発→再復学→卒業(大学9年在席)→就職☆今ここ
職業:組込みエンジニア
統合失調症を発症
幼いころ、寂しくて、退屈で、心が死んでいく気がしてました。
たぶん両親のそれまでの人生で形成された人格とか、親の子供との距離感とか、家庭の雰囲気、そして僕の生まれ持った性質が、 いわゆる子供の心の発達に必要な愛情を感じにくいものして、自分の殻に閉じこもってしまう在り方にしていたのだろう。
と今は思います。
何とも言えない窮屈さを感じながら育ちました。
誤解のないように言いますが、僕の両親は全然悪い人ではありません。
むしろ常識的で、暴力も振るわないいい人たちです。よく旅行にも連れて行ってくれました。
子供のことを想ってくれているいい親です。
しかしどこか人と接するときぎこちない。
そんな両親のもとに僕は生まれました。
いつしか孤独感を心の奥底に封印しながら僕は生きるようになります。
そして高校生になりました。
高校時代の僕「なんか、生きるのがつまらない、苦しい、誰も信じれれない、どうしたらいいんだろう?」
高校時代の僕「そうだ地方の大学に行って、一人暮らしして、人生変えよう!」
そんな感じで謎の生きずらさに悩んで、一人暮らしで人生を変えるため大学受験の勉強にいそしんでいた高校時代…
「何か、一人暮らしで生きることを頑張れば、何か自分の中のスイッチが入って、キラキラした人生に目覚めるのでは!?」
「キラキラした大学生活を送れば、このなぞの空虚感がはれて、満たされるのでは!?」
そんな新生活への期待は受験勉強のエネルギー。
完全に意識は「今ここ」にないどこかに向かっていました。
そして僕はそこそこいい大学に受かり、機械系の学科に入学しました。
しかし、一年が過ぎたころ・・・
僕=何をやってもダメダメ。
という方程式が自分の中で強くなるだけの生活を送ってました。
サークル活動も合唱、オーケストラ、テニスとやってみましたが長続きせず、文化祭の委員会活動も自分なりに頑張りましたが飲み会の席でちょっとチャラい奴に「イケア(当時の僕のニックネーム)死ねよ」とみんなの前で言われ、大ショック。
学食でもアルバイトしてましたが僕の仕事の遅さに腹の立った上司がペットボトルを僕に投げつけてきたりしました。(その上司は辞めさせられました(笑))
大学の授業でも、ついていけず何個か単位を落とす始末。
たぶん当時は頑張りすぎるくらい頑張ってました。
頑張っていたけど、何を頑張っているのかあいまいなまま、でした。
なぜそんなにいろいろ活動したか?
それは自分を変えたかったからです。
それまでの僕は友人関係でも、大人との関係でも、人間関係が苦しかったんです。誰も信じることができず絶望してました。苦しさ・絶望を具体的に言うと、なにか自分と他人との間に深い溝を感じてたりとか、周りが全員敵に見えて心を安らげる関係を築けなかったとか、そして生きているのが空虚に感じたりとか。
いろいろ活動することで、自分を教化して、洗脳しようとしました。正しい人格を身に付けようとしました。
ほんとはみんなみたいに和気あいあいと笑いあえる関係が心の底から欲しかったんです。
誰かと何でもない会話で盛り上がりたかった。ほんとにそんな些細なことが夢だった。
そして自分の人生を空虚なものでなく生き生きとしたものにしたかった。
しかしそのためにどう生きていいかわかりませんでした。
何を信じていいかわかりませんでした。
そのため、ただ無作為に頑張り、人間関係のストレスにつぶれました。
一人暮らしで誰も癒してくれる人がいなかったのも、ストレス解消のため毎日遅くまでネットサーフィンしていたのも原因。
誰かと会うのが苦痛でしかなかった。
もう誰かの顔色をうかがう毎日が嫌で嫌で仕方なかった。
レンタルDVDを返却期限までに返すことすらおっくうになりできなくなりました。
でも、それがきっかけで実家に連絡が入り両親が迎えに来てくれたので、ある意味レンタルDVDにたすけられた(笑)。
そこで医者に連れていかれ、統合失調症と診断されました。
寝たきりの生活
統合失調症には陽性症状と陰性症状があります。
陽性症状は被害妄想や幻聴・幻覚などの症状、陰性症状は感情の鈍化・平板化、無気力などの症状。
僕は最初のころは陰性症状がほんとに辛かった。
どんな面白いテレビや映画を見ても、これっぽっちも心が動かないために、生きている実感を感じられず絶望してました。
死んでるように生きる日々でした。
ここがまさに僕の人生のどん底だったと思います。
そのころの唯一無理をせずにできたことは寝ることとyoutubeでいろんな人の人生相談を聞くことでした。
楽しいとまではいかなくても無理なくできることがあれば、少しは「生きてる!」と感じられる気がしたんです。
このころから少しづつ、考え方が「人生はがむしゃらに頑張らなければならない」から「無理のない範囲でできることをやろう」という風に変わっていったと思います。
このような経験から自分に無理なくできることは何だろうと考えるようになりました。
与えられたものをこなすだけの考え方から、少しずつ主体的に考えるようになっていったと思います。
そして家族の献身的なサポートや、自分に合う薬に出会えたことで、少しづつ元気になっていったんですよね。
またそのころから、デイケアという通所型の精神障碍者のリハビリテーション施設へ行くようになりました。
それまで学校という環境から、全然別の人種がいる環境に行くのはある種の新鮮さがあったんですね。
そして世の中にはいろんな人がいるのだと勉強になりました。
人間関係は相変らず苦手で被害妄想っぽいのもあったのですが、それでもあのどん底に比べたら幾分かマシでした。心が動くから。
また当時、『最強伝説 黒沢』(福本伸行 作)という漫画をアメトークで知りそれを漫画喫茶で読んだとき、ものすごく感動して大号泣!!
主人公の冴えないところが自分と被り、それでも必死に少しでもマシな人間になろうと生きてく姿に感銘を受けたからです。
この漫画についてはそのうち記事にできたらと思います。
そしてそのように感動できる自分にも驚きました。
そして嬉しかったです。
人間らしい心が自分にまだあるのだと分かったから。
大学へ復学
そして、そこから大学に復帰することを決めました。そして自分のやることを二つに絞りました。学業と筋トレです。
自分にできるのは、大学の勉強と、体を動かすことだけだと判断し、人間関係はひとまず置いておくことにしました。
復学してからはひたすら、勉強と筋トレばかりしてました。
それは寝たきりの生活を経て「何か一つでもできることがあるというのは希望」だと思ったからです。
ひたすら自分にできることをしようと決心できたのは、統合失調症にかかったおかげかもしれません。
しかしそれで人生が充実したかというとそうではありませんでした。
相変らず人間関係が苦手で怖い信じられない、周りの人間に比べて自分は劣ってるという劣等感はあるし、あまり楽しい学生生活ではありませんでした。
やっぱり自分を変える必要があるなということで、思い切って留学に行ったりしてみました。そこでもホームステイ先の家族との人間関係が苦痛で、その父親に土下座してホームステイの契約の取り消しをお願いしました。
家を出ていくときその父親から「be strong!」との言葉をいただいたことを今でも忘れません。
他にもキャバクラに行ったり、風俗に行ったり、ナンパをしてもみたり、自分を変えようといろいろ行動を起こしてみましたが、うまくいかないし、人生は空虚なままでした。
そしてそんな空虚な生活が一年続き、孤独感でいっぱいの自分に気づきました。僕は本当は寂しかったんだと気づきました。
そしてそんな空虚な生活が一年続き、孤独感でいっぱいの自分に気づきました。僕は本当は寂しかったんだと気づきました。
話はちょっと変わって、僕の大学は入学すると、担当となる教授が付くシステムがあります。
復学してからは担当教授が変わり、一、二回ほどその担当教授と面会をしたことがありました。
でも相変らず僕はその人にも心を閉ざして、表面上で接してました。
そんなことは忘れていて、寂しさでいっぱいの僕はもう休学して働くしかないと血迷い、その旨を大学の事務室に連絡しました。
たぶん、ここじゃないどこかに行けば、自分は変われると妄信してたのだと思う…
大学の研究室見学をさぼって、人生について考えながらぶらぶら散歩の僕。
家に帰ると寮長さんが、待ってました。
当時僕は学生寮に住んでいたんです。
話を聞くと、休学申請の知らせを受けた大学の担当教授が寮まで僕に会いに来ていたらしい。
正直、一度か二度、あっただけの人間がそんなことまでしてくれることへの驚き、自分に関わろうとしてくれる人がいることへのうれしさ。そんな感情が混ざって良く分からなかった(笑)
もうその頃には、人を信じられない恐怖よりも、誰かにすがりたいという欲求が勝っていたんです。
電話番号を置いていってくれたので、電話しました。
その先生に生きることに悩んでいると伝え、その先生は生き方の話をしてくれて、僕はその話を聞いてました。
とりあえず次の日に直接会う約束をしてその電話を切った。
その時に「ああ、僕はもう救われた…」と感じました。(まだ早いよ!w)
そして次の日、先生に会うとすぐに自分の胸の内を出しました。
「僕はみんなと違っておかしいんです!」
「居場所が欲しい…」
「こんな自分を生んで育てた親を憎んでる。」
そんなことをひたすらしゃべった後、先生はひたすら聞いてくださり、「それはつらかったなー!」と優しい言葉をくださいました。
その時に僕は胸の中に熱いものを感じて、感動し、涙がぽろぽろ出てしまいました。この経験は一生忘れません。
この人の人間らしい温かさを魂で感じた瞬間でした。このような人間らしい熱のある人には、今考えてもまだ数えるくらいしかあったことがありません。
人から優しくされることがこんなにうれしいなんて知らなかった・・・
たぶんこの胸に宿った熱がが求めていた生きてる実感であり、人とのつながりであり、人からの愛だったんだなあ。と今しみじみ思う。
そしてここから僕の人生が進んでいきます。
人間関係の心地よさと人を信じることを知った僕はいろんな人と関係を築ける可能性を少しずつ広げるようになりました。
まずは当時住んでいた学生寮の寮長さんに身の上話をしたり、
保健室の先生、大学の相談員さんに話を聞いてもらったり、
お悩み相談をしているお寺の住職に相談したり、
精神科の先生に自分の心の内を伝えたり、
心理カウンセラーと一緒に自分を見つめなおす練習をしたり、
整体の先生に泣きついたり、
担当教授の先生の家に転がり込んだり、
そこに一緒に住んでいた他の学生と家族について真剣に話したり、
同じ実験グループの仲間に、「実は僕は障害を持っていて、何か不快なことをしたらごめんなさい」と予防線を張ったり、
などなど。
とにかくすごく積極的に人と関わろうとしました。
その原動力は孤独感でした。
この気持ちに気づいてしまった以上、もう人間関係を諦めて、誰も信じないということはできなかったのです。
いろいろ人と関わろうとしましたが、それまでの疲れが出てしまったのか、まだ無理をする癖がなくなってなかったのか、体がまた動かない。また被害妄想のため、人のいるところに近づけなくなりました。
これはダメだと悟り、両親に連絡しました。そして精神病院に入院することになりました。
精神病院へ入院
そこで信じられないくらいの心の痛みを経験し自殺未遂までしました(さっき救われたとか言ってたのに!!💦)
なにか、ぼくはもう生きてちゃいけない気がしたんですね。統合失調症おそるべし…
ベッドに縛り付けられながら寝ているうちに、少しづつ精神は安定。
またそこには24時間自分の話を聞いてくれる人(医師、看護師さんなど)がいたのも回復の大きな要因でした。看護師さんと人生の話をするか、寝ているか、という生活を送りました。
そして「今じゃないいつか、ここじゃないどこか」を目指さなければいけないと思っていた僕はここで本当の休息をとることができました。「今、ここ」に自分の居場所を見つけることができました。
たぶん、僕はこのときに一度死んで生まれ変わった。
そんな体験でした。
人間つかれているとろくなことを考えません。
また、看護師さんへの話の内容としては
「僕、嫌われているかもしれない」
「僕は人を愛することができない人間かもしれない」
「こんなダメな自分は死んだ方がいいのかもしれない」
と自分のことばかりの話。
こんな話をひたすら聞いてくれた看護師さんには感謝しかありません(というかこれ書いてて、僕こんなにメンヘラだったのかとびっくり(笑))
僕に必要だったのは、自分の寂しさを受け止めてくれる環境だったんですね。
たぶん好きなだけ自分の悩みをストレートに周りの人間にぶつけて、それをただ聞いてもらうという経験を積むことで、僕の孤独感は癒えていきました。
たぶん幼い子供が環境からの愛情を経験してスクスク育っていく過程を、24歳の大人が経験している感覚。
ただ、その時の僕は人は信じるに値すると学習していたので、環境に対して心をオープンにすることができました。
そこで少しづつ僕の対人意識が変わっていきました。
あれ?僕そんなに嫌われてないんじゃね?むしろみんな真面目とか優しいって言ってくれているから、好かれてるんじゃね?
そして
みんなも言葉には言わないけど、誰かに話を聞いてほしかったり、交流したがっているのでは?
と他人を気遣う余裕も生まれました。
「人(少なくても僕)が自分殻を破るには、自分の力だけでなく、他人の力が必要」
ということや
「こちらが心を開けば、相手も心を開く可能性が高い」
ということを学びました。
それから、就労移行支援施設でホール・厨房の仕事をしたり、実家の土木業でアルバイトをしたりして、2018年4月から大学に復帰しました。
それから大学に二度目の復学をして、就職活動を終え、卒業研究もこなして、大学を卒業し、新社会人として今に至ります。
ブログ運営の目的
僕には、幼少期から漠然と悩みがありました。それが…
どう生きたらいいか分からない
なんか寂しい
誰も信じられない
他人の顔色が怖い
安心して生きられない
漠然と他人が怖かったし、信じられなかった。そんな自分も信じられませんでした。だから何となく自分の本心を隠して生きるようになりました。しかし、ほんとは寂しかったんです。
でもみんなが孤独感を抱えてなさそうな様子だから、僕も「寂しさなんて感じてないよー」みたいに振る舞ってました。
もしかしたらそれで人と自分を比べるようになったのかもしれないし、それが人生の空虚感の原因かもしれない。だから世界に安心感を持てなったのかも。他人に心を開けなかったこともそれと関係があるのかもしれない。分からないけど。
そんな僕でも、人を信頼して相談することが人との距離を近づけ、心を軽くすることを知りました。
これにより、人間関係は互いに歩み寄りあうことで信頼関係を築くことが大切だと学びました。信頼は生きることの安心感であり、安心感は人生を楽しむ余裕を生みます。
すべては安心感から始まるといってもいいかもしれません。
ズバリこのブログの運営目的は
・僕の得た生きている実感・気づき【人生への安心感、自己や他者への信頼】を言語に再構築して伝える
・このブログを読んだ人の人生に安心感をもたらすお手伝いをする
です。
自分の得た気づきを何とか言語にして、再構築することで誰かと共有し、役に立てることがあればいいなと考えています。
あと、人間関係の苦手意識を克服して得られた実績も載せておきます。
・友達の家族とも仲良くなれたので、価値観の違いを体験できる。
・友達の家に普通に泊まれるので、別の家庭の雰囲気を楽しめる。
・友達のために飲み会を開いたりと自発的に動けるので、感謝されやすくなる。
・ノリが軽くなる、朝活とか普通に行ける。そして交友関係が広がる。
・誰かのために行動するのに、躊躇いがなくなる。こないだもnoteをやってる友達に500円サポートして、喜ばれた。
・友達のベンチャー企業とかに参加してプログラミング教育のイベントとか開けるので、よりプログラミングに詳しくなれるし、イベントの開き方を学べる。
・カフェの店長と仲良くなって、イベントとか開ける。その店の常連さんとも仲良くなれる。
・家族や学校以外で居場所を作れるようになる。
・コミュニケーションが円滑になるので、わからないところはすぐ聞いて、仕事(大学の研究)が捗る。
・人との縁を大切にしない人とは距離を置くようになるので、人間関係に振り回されない。
・Twitterとかで知らない人に絡むのに楽しさを見出し、フォロワーが増えやすい。本格的に始めたここ2ヶ月で60から120にふえた 。
・人間関係でぐちぐち悩まなくなり、生きるのが楽になる。
最後に
毎日の生活の中で、新しい自分に気づいていく毎日を送っております。
そんな日々は昔の自分では考えられないくらい充実してます。
でも、今の自分から見ると昔の自分は本当に信じられないくらいつまらないことで悩んでいたなと思います。
そんな自分から変われたのは、本当の自分に気づくことができたからです。
このプロセスを経るのは人生で一番大変で怖かったですが、一番の誇りです。
このブログが誰かの生きづらさを、ちょっとでも少なくするきっかけになれば幸いです。
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