挨拶暑い日々が続いてますね。お元気でしょうか? この記事のタイトルを見て見に来てくれたということは、あなたは学生で今夏休みで学校に行かなくていい日々を過ごし安心しているけど、刻一刻と夏休みの終わりが近づいてきて、そのことにおびえているのかな? もしくは、身近に学校が行くのが怖い知り合いがいて、なんて言葉をかけたらいいのかわからないって人も来てくれるかもしれないね。 単に興味本位で見に来てくれた人もいるかもね。 世間では、夏休みの最終日は若者の自殺が多くて問題になってい
河合隼雄先生(心理学者)の本「こころの処方箋」を見ていると、「どっぷりつかったものが本当に離れられる」というタイトルのエッセイに心が引っかかっりました。 先生曰く「しがらみから離れようと無理をしすぎたため、表面的には自立しているように見えても、深いところでは引っ付いていたり、ともかくべたべたと引っ付くことを期待していたりする」 この言葉は確かに僕の経験でもいえることでした。確かに自立しようといくら頑張っても謎の依存したい気持ちが出てきてうまく自立できないのです。こころの奥
主に自分の話です。 10/31~11/3の会社からもらった4連休を使って禅修行を3泊4日で体験してきました。そこでいろんな人と交流し、座禅をし、作務に取り組み、和尚さんのカウンセリングを受けて、自分の人生と向き合ってみた内的なことをつづります。 人と触れ合うことを避けている?禅修行中は自分の今の悩みは悩みがないことだな~と考えていました。ほんとにぜいたくな悩みです。 人生がおおむね順調な今、何か張り合うものが欲しいと感じていました。 そんなことをカウンセリングで話すと
もやもやという種は安らぎという花になる。 * 物心ついたころから心に『もやもや』があった。 * なにか、人生に暗い影があった。 * その『もやもや』のせいかわからないけど、 なぜだか周りの世界が 異様に怖かった。 * 周囲の人が怖かった。 いじめてくる人も怖かったけど、 優しくしてくれる人もなんだか怖かった。 * 恐怖と一緒に怒りもあった。 * 何度「あんな奴死ねばいい」って思ったかわからない。 * 誰かを憎む気持ちは強く持てるのに、 誰かを愛する気持ちはあんまり持てない。
人生を変えるきっかけって色々あると思いますが、僕はそれが統合失調症を患ったことでした。 それまで人の顔色が怖くてそれを伺ってばかりの僕は、ストレスのため込みすぎで被害妄想と無気力でいっぱいになり、寝たきりになりました。 それが、僕が僕自身と向き合うきっかけになったんです。 詳しい経緯の前に軽い自己紹介を載せておきます。 自己紹介 出身地:神奈川県相模原市 年齢:これを書いている時点で28歳(1992年生まれ) 血液型:O型 性格:真面目、優しい(自分
同じ記事をブログ にも書きました。プロフィールなども載っているので、よかったらみてね! 自己への信頼 ここでは、現在苦しくて仕方のない人、漠然と苦しい人に向けて書きます。でも自分は全然幸せだと思う人でも、もしかしたら何かのヒントになるかもしれません。 一回どん底を経験するとその苦しみを生み出しているものの正体がわかる さて、誰しも別に不幸になりたくて生きているわけではありません。生きている実感を得たい、幸せになりたいと心の奥で思いながら生きているのではないでしょうか?
ブログのほうにも書いたのですが、noteにも同じようなことを書いときます。 僕の過去話 昔の僕は身の回りのことをすべて自分一人でできるようになるのが強い人間だと思ってました。 誰かに頼るのは弱いことだとおもっていました。 鋼のように強い人間になりたかったんです。 でも本当は、弱くて脆い自分を認めその苦労をねぎらうことが、僕には必要でした。 しかし、身の回りのすべてを一人でなんて、まだ自立できていなかった僕には、こなせるわけもなかったんです。 そしてそんな自分を責め
大学生のときに統合失調症を発症し、大学に9年在籍して、やっと2020年3月に卒業できるようになったためこれまでの人生を振り返りたいと思う。 僕のこれまでの人生を振り返ると一つの一貫性があると思う。それが 「死んでも平凡な生き方をしたくない。死んでも普通の生き方をしたい。」 という強い思いだ。 普通と平凡って同じじゃん、何言ってんの? となるだろうが、もう少し話を聞いてほしい。 僕のいう普通の生き方というのは,和気あいあいとみんなと手を取り合い楽しく人生を生きる生き方