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桜が感傷的な気持ちを呼びおこすと気づいたのは、いつだっただろうか

都内では、桜が満開を迎えました。見上げれば、一面に薄いピンクのお花を眺めることができます。年に一度のお楽しみですね。

桜を待ち望む気持ちは、正直、学生の頃にはありませんでした。桜は卒業に花を添えてくれる存在、きれいで儚い。

その程度の認識でした。



気持ちが変わってきたのは、看護師として就職してからのことです。

新卒で大学病院に就職した当時。たいへん忙しく、昼夜を分かつことなく働き続けました。慣れない仕事に疲弊し、桜の開花宣言はニュースで耳にするだけ。桜が咲いていたと思い出す頃には、すでに葉桜に切り替わっていました。

そして迎えた三年目の春。その日も忙しく、医師からのオーダー変更が尽きません。患者さんの体調にあわせ、点滴の追加指示や内服の追加処方・内服量変更などの指示がひっきりなしに出されます。

文字通り、目の前にオーダー変更の書かれた紙が積み上がるのです。この用紙が一定量を超えると、残業が確定。どんなに精力的に働いても、定刻に上がることはむずかしいと客観的に判断される仕事量です。

途中、ナースコールがあれば中断。緊急性があれば早めにリーダーへ報告するの繰り返し。ルーティン業務をすませると、あっという間に定刻。目の前に積み上がっていたオーダー用紙は消えましたが、明日への準備と記録が残っています。

ふと周囲を見渡すと、同じように残業確定になった同期が二人。学生のときから仲良しです。せっかくなので、一緒に夕食をとる約束をしました。

がぜん、仕事の効率が上がります。一致協力して終わらせました。

その帰り道。
「せっかくだから、桜でも見ながら行く?」

誰からともない提案に、乗っかりました。少し遠回りして、三人で夜桜のきれいな並木道を歩きます。当時は、夜10時を過ぎてもきれいにライトアップされていました。

今日一日の業務を終えた達成感や、患者さんを無事に夜勤に申し送りできた安堵感。社会人として二年経って、少しは一人前になれた気持ちと、仕事を任されて嬉しい気もち。そして同じ思いで過ごせる仲間の存在。

じきに、私たちは新人教育を担当することになります。私たちが教える側になるなんて、まだまだ先と思っていました。社会人として無我夢中だった二年間、少しは認められたのかなと思える不思議な感覚でした。

「私たち、今日はかなりがんばったよね!」

そんなエールを送り合いながら、労をねぎらって眺めた桜は、夜空にきれいにに映えていました。

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