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interview Simon Ratcliffe about Village of The Sun "ベースメントジャックスがビンカー&モーゼスとのコラボでスピリチュアルジャズ!?"

ベースメントジャックスのメンバーがUKジャズの人気デュオと組んでスピリチュアルジャズのプロジェクトを立ち上げた”

と聞くと、なんだか胡散臭くも感じてしまうが、Village of the Sunの音源を聴いてもらえば、その素晴らしさに驚くはずだ。

ベースメントジャックスのサイモン・ラトクリフがコラボレーションしたのはビンカー&モーゼス。2010年代末から盛り上がっているUKのジャズ・シーンの中でも特に人気と知名度があるデュオだ。そして、サックスのビンカー・ゴールディングス、ドラムのモーゼス・ボイドのふたりともUKを代表するプレイヤーだ。

ビンカー&モーゼスの二人は普段はハイブリッドなサウンドを中心に様々な文脈の音楽を演奏している。ただ、このVillage of The Sunでは普段の彼らとは異なる演奏を聴くことができる。

コルトレーン系譜のファラオ・サンダースからカマシ・ワシントン、ケニー・ギャレットにも通じるパワフルな演奏を思いっきりやり切るサックスのビンカー・ゴールディングス、そして、エルヴィン・ジョーンズ的な”ジャズ”ど真ん中のドラミングでがっつり叩きまくるモーゼス・ボイド。この2人がここまでストレートにスピリチュアルジャズ文脈の演奏にチャレンジした作品は他にないだろう。

そして、このプロジェクトの素晴らしさはその演奏の質と楽曲のベクトルのバランスにある。はっきり言ってビンカー&モーゼスのジャズ・ミュージシャンとしての演奏の自由度はまったく失われていない。特にモーゼスはどんどんフィルも入れるし、リズムパターンも変えていく。にもかかわらず、クラブジャズ的な気持ちのいいグルーヴは失われていない。これってDJでかけられそうだなって安定感とジャズミュージシャンならではの抽象性や変化への意識が共存している。

それを生んでいるのはサイモン・ラトクリフが2人の演奏の上から加えた様々なサウンド。全体をひとつの大きなグルーヴとしてまとめつつ、ビンカー&モーゼスの自由な演奏を許容しながら、それらをグルーヴの中での豊かな営みとして聴かせるためにも貢献している。サイモンのビンカー&モーゼスの演奏へのリスペクトがこのアルバムを特別なものにしているのは間違いない。

ちなみにベースメント・ジャックスとの繋がりも用意されているのもポイントで「Spanish Master」「Ted」ではベースメントジャックスのヒット曲を思い起こさせるようなラテン調で、しかも、かなりダンサブル。にもかかわらずアルバムの中で浮いていなくて、同じ世界観の中に納まっている。トータルでよく練られているアルバムだと思う。

個人的にはクラブジャズの傑作だと思う。

とはいえ、なぜこんなアルバムが生まれたのか、なぜビンカー&モーゼスなのか、そして、そもそもサイモン・ラトクリフとジャズの関係は何なのか、など、気になったことは多かったので、レーベルにお願いして取材をすることにした。

ちなみにプロジェクト名のVillage of The Sunはフランク・ザッパの名曲と同じ名前。ズーム画面にはサイモンのオフィスが映っていましたが、彼の後ろにはザッパのポスト―がドーンと飾ってありました。

取材・編集:柳樂光隆 通訳:染谷和美 協力:Gearbox Records

◉スタジオの向かいにあったジャズ・レーベルが紹介してくれたビンカー&モーゼス

――“Village f The Sun”というプロジェクトを始めたきっかけから聞かせてください。

まずビンカー&モーゼスとの出会いから話しますね。チェコのプラハから来たトリオのNTSのプロデュースを友人経由で頼まれて、それに取り組んでいたことから始まります。彼らはすごく難解な音楽をやっていたんだけど、ミュージシャンとしてはとても優れている人たちだったんです。そんな彼らのレコーディングを僕が所有するベースメントジャックスのスタジオでやることになりました。そこはいくつものオフィスが入っているコンプレックス・ビルディングの中にあり、僕らのスタジオの向かいにはたまたまギアボックス・レコーズのオフィスがありました。せっかくプロデュースしたし、NTSをどこかからリリースしたいよねって話になったんだけど、僕にはジャズのレーベルの知り合いがいなかった。その時、スタジオの向かいにギアボックスのオフィスがあったから、とりあえずそこに持って行って、レーベル・オーナーに話をしてみたんですよね。そしたら、すぐにリリースに同意してくれたんです。

――とんとん拍子ですね。

そうなんです。それはBasement Jaxx Presents NTS『The Valve Mastered Sevens』としてリリースされたんですよ。で、リリースするんだったらギグもやらないかってことになって、そんな話の流れの中で僕はブッキングも担当することになりました。それは僕の得意とするところではなかったから本意ではなかったんですよね。そんな時にギアボックスから「うちからリリースしているビンカー&モーゼスとツーマンでギグをやったらどう?」って話をもらったんです。これは2015年のこと。彼らは既にMOBOアワードも取っていて、ジャズ・シーンでは知られている存在でした。だから、彼らの名前を借りる感じでハックニーにあるボーテックスってヴェニューで一緒にやってもらおうってことにしたんです。

◉ソロEP『Dorus Rijkers』の延長線上にあるVillage of The Sun

――すごい展開ですね。

そのギグは集客も良かったんですけど、僕はなによりビンカー&モーゼスの演奏に感動したんです。自分のことを振り返ってみたら、2011年に自分のソロEP『Dorus Rijkers』を出しているんですね。ラトクリフって僕の名前でね。そこではジャズ・フュージョンもしくはエレクトロ・フュージョンをやっていて、そこにロック的な要素も入れつつ、ベースメントジャックスとは違う形で実験的なことをやろうとしたプロジェクトでした。そこではビートをドラマーが叩いていました。

ちょうどそれに続くソロ作をやろうって思っていたときに自分の中にまずドラムが浮かんできたんです。ドラムってサウンド的にも、スペース的にも幅をとる楽器ですよね。だから、ドラムに関することをまず決めておいて、そこに自分の音楽をスーパーインポーズしていくような形で空気感を作っていく音の組み立て方が僕の音楽の作り方なんです。だから、ドラマーを誰にするかは重要なことなんですね。そこで真っ先にモーゼス・ボイドが浮かんだから、彼にコンタクトを取ったんです。

モーゼスは当時、すでに忙しい人だったし、色んな活動を並行してやっていたんですけど、彼が当時、最も力を入れて、頻繁にやっていたのがビンカー&モーゼスだった。だったら、ビンカー・ゴールディングにも参加してもらおうと考えた。つまり、当初はセッション・プレイヤーとして2人に参加してもらうプランだったんですよ。3人のプロジェクトとしてやろうってことじゃなくて、僕がやることを2人に手伝ってもらおうくらいの感じでした。

――なんというか、偶然とひらめきで進んでいっていますね。

ははは、僕の人生っていつもそんな感じなんですよ。当初、NTSみたいなアヴァンギャルドなトリオの録音してみたものの確信が持てなかった。本当にニッチな音楽ですからね。でも、今、こうやって僕のプロジェクトの話をあなたとしているわけだけど、チェコのトリオとの仕事があったから、こうなっているわけですよね。そこからギアボックスのダリルと出会って、ビンカー&モーゼスと繋がった。物事ってそんな感じで勝手に繋がって進んでいくんだなって思うんですよね。だって「あいつとあいつは今、夫婦だけど、そもそもあいつと僕が18の時に知り合っていて、僕らがあれをやっていた時にたまたまあの二人が出会って…」みたいな感じことってよくありますよね。「とりあえずやってみる」って大事なことなんですよね。その時は大したことじゃないと思っていても、やってみると次への扉が開くことも少なくないので。

――それはすごくいい話ですね。

ですよね。ビンカー&モーゼスはサックスとドラムだけで、色んなものを削ぎ落としたスペシフィックな音楽をやっているんですけど、その音楽性を自分が持っている素材とどのように組み合わせればいいのか、最初は読めていなかったんですよね。彼らの音楽はカテゴライズするのもなかなか難しいですから。レコーディングはとりあえず本当にシンプルな曲の断片のようなものの上に二人に乗っかってもらうところから始めました。何らかのフレーズをループさせてレコーディングしたものを2人に送ってみる形で進めました。

それを最初にやったのが「Village of The Sun」「Ted」の2曲。「Ted」に関しては僕が好きなカナダのグループのテッド・モーゼス・クインテットの曲のコードをコピーして、そこに別のキーのメロディを乗せて作りました。ヒプノティックでメディテーション効果のあるようなものをループで作っていくのがハウスの世界に馴染んでいる僕のやり方ですから。ただ、あの2人と一緒にやったらどうなるのかは全然予想ができませんでした。まぁ、とりあえず、スタジオだけ取ってやってみようって感じでしたね。

◉ベースメントジャックスとジャズの繋がり

――さっき、テッド・モーゼスのインスピレーションについて話されてましたが、サイモンさんはベースメント・ジャックスをやっているころからジャズが制作のインスピレーションになっていたのでしょうか?

僕らは活動の初期からアメリカのハウスミュージックの影響を受けていました。その中でもマスターズ・アット・ワークをはじめとして、ラテンジャズやアフロジャズからの影響を受けた人たちが僕らのインスピレーションでしたね。当初のEPでは1曲はハウスバンガーでクラブ直行って感じのDJ向けの曲。もう1曲はアンビエントな曲。あと1曲は何かしらの形でジャズの影響が入っている曲って感じで制作していました。僕らは自分たちを多角的に表現したかったんですよね。

――なるほど。

そもそもフィリックス・バクストンと僕は音楽的に全く違うところからきているんですよ。ジャズに関してもフェリックスはファラオ・サンダースアリス・コルトレーン、もちろんジョン・コルトレーンも。彼のはこのあたりが好きなんですよね。

でも、僕はフランク・ザッパが好きなので、ザッパを通じてジョージ・デュークスタンリー・クラークがまずは好きになった。そこからウェザー・リポートアイアート・モレイラみたいなジャズ・フュージョンにハマっていったんです。ベースメントジャックスの最大のヒット曲といってもいい「Samba Magic」アイアート・モレイラ「Samba de Flora」をサンプリングしています。あの曲はアメリカのクラブでもかなりプレイされて、僕らがメジャーで有名になる前のクラブヒットになりました。その後にもアイアート・モレイラとはFuture Earthって名義で「Kazoulu」って曲を共作していたりもするんですよ。

――ジャズやフュージョンの要素は常にあったわけですね。

そういうこと。僕らはダンスポップ的なイメージを持たれているけど、もう少し深く僕らを知っている人は僕らのジャズ的な側面を理解してくれていると思うんですよね。だから、ベースメントジャックスのファンは今回のアルバムにも驚かないんじゃないかなと思いますね。僕らがそもそも持っている実験性みたいなものと通じていますから。

そもそもベースメントジャックスのJAXXの部分は「Jack Your Body」って曲で有名になったジャッキング(Jacking)っていうシカゴハウスのダンスから来ています。でも、もうひとつはJAZZのZをXに変えたって意味もあるんですよねXXにしたのはシカゴハウスのレーベルのTRAXXへのリスペクトもあります。だから、このユニット名には僕らの美意識が詰まっているんですよ。

――なるほど。ベースメントジャックスのおふたりの世代を考えると、80年代からイギリスで盛り上がっていたジャズDJのカルチャーやアシッドジャズ、ニュージャズ、レアグルーヴなどを体験してきたでしょうから、ジャズにも親しみがあるのも当然ではありますよね。

フェリックスは89年とか90年代くらいだと思うけど、ディングウォールズによく行ってて、ジャイルス・ピーターソンのDJに夢中だったらしんですよね。だから、クラブでジャズがプレイされていて、みんなが踊っていたって話はフェリックスからいつも聞いていたんですよ。

――フェリックスさんはジャイルス・ピーターソンパトリック・フォージがやっていた伝説的なパーティー「TALKING LOUD AND SAYING SOMETHING」(アシッドジャズの重要レーベルTalkin Loudの名前のもとになったパーティー)に行っていたということですか。なるほどなぁ。

その頃、いわゆるレイヴカルチャーと同時にイギリス中のラジオであらゆる音楽が流れるようになったんですよ。クールなラジオだって認識されていたような番組だと、ヒップホップが流れたと思ったら、エレクトロが流れたり、レアグルーヴからジャズから、何でも流れていました。リスナーはそれらのすべてをひっくるめて「ダンス・ミュージック」として楽しんでいました。それはある世代にとっては新しい音楽だったけど、同時にそれは過去の音楽を改めてセレブレイトしているような音楽でもあったと思います。その過去の音楽の多くはジャズだったので、僕らが普段ラジオから聴いていた音楽にジャズは常に織り込まれていました。だから、僕は実際にクラブには通わなかったけど、そういうフィーリングは常に感じていたし、状況は把握していたって感じですね。なぜなら僕が熱心に負っていたポップカルチャーの中にもそういった音楽は入り込んでいたので。だから、僕も当時、アシッドジャズ・レコーズをやっていたエディー・ピラーとも知り合っていたんですよ。当時はアシッドジャズ、アシッドハウス、レアグルーヴに象徴されるようにすべてがグル―ヴィーになっていって、ロックじゃなくなっていった時期でした(笑) 当時、僕はロックが大好きだったけど、同時にそのグルーヴィーな流れにも巻き込まれていました。きっとそれらはそれまでにあったものに対するオルタナティブだったんですよ。だから僕らは自由さを感じたし、すごく興奮しました。あの頃のすべてがグルーヴィーになっていく流れはある意味では革命だったと思いますよ。

◉アルバム『First Light』のこと

――今の話を聞いたら、あなたが『First Light』みたいな素晴らしいアルバムを作ることができた理由のひとつがわかった気がしますね

そうかもしれませんね。『First Light』では自分が美しいと感じるものを音楽という形に仕立て上げただけなんですよ。人間は生きていく中で、色んな経験をして、そこで感動したものが積み重なって自分の美意識が出来上がっていくと思います。その美意識に従ったのがこのアルバムですね。

ジャズの世界に関して言えば、僕自身は侵入者(Intruder)のような存在だと思っているんです。僕はジャズのエクスパートではないので、自分が聞きかじってきたものをちょっとずつ積み重ねながらやってみたのが自分にとってのジャズであり、このアルバムなんです。僕としては想像上のジャズバンドを自分なりに作って、ジャズの世界のアウトサイダーとしてこの音楽に取り組もうと思いました。その世界の深みにどっぷりハマって「僕はここに関してすごく詳しいんです」って視線でやるんじゃなくて、その世界から一歩引いて、ストレンジャーの視点でものを見ることで開放感が生まれて良いものになることもありますから。今回のスタンスはそれですね。

――このアルバムを聴いたときに、DJやる時に使えるなって僕は思ったんです。ビートは一定ではなくてモーゼス・ボイドのドラムはずっと変化し続けているので、ダンス・ミュージックそのものの作りには無いっていない。でも、きっとクラブでかけたらいい感じだと思うんです。このアルバムではそういうダンス・ミュージックとしての、クラブでの機能性については考えていましたか?

それは全く考えてなかったんですよ。きっと僕の中にあった要素が自然に出てきて、結果的にこうなったんでしょうね。それに今回のモーゼスのノリもあるのかもしれませんね。あとは、僕が作ったプロダクションの部分はベースメントジャックスを聴いてた人には聴き馴染みのあるトーンだろうから、それがダンス・ミュージックを聞いてきた人には通じるってこともあるかもしれない。先日、ギアボックスのインストア・イベントでDJをやって、このアルバムからもかけたんですけど、みんな踊ってましたね。激しく踊るって感じじゃないけど、身体や腕を動かして、みんな気持ちよさそうに踊っていた。そういうエネルギーを持っている音楽なんだなって自分でも感じましたよ。だから、それを指摘してもらえるのはうれしいんですけど、狙ってやったことではないんですよね(笑) もともとジャズって踊るためのものでもあったわけだから、自然なことなのかもしれませんね。

――では、スピリチュアルジャズっぽい曲調が多いですけど、それに関してはどうですか?

「Village of The Sun」は特にそうですよね。僕の中にはファラオ・サンダースアリス・コルトレーンがリファレンスにはありました。彼らの音楽はスピリチュアルなものを持っていますよね。マントラ的で、インド音楽だったり、民族音楽だったり、世界中のスピリチュアルな音楽の要素をいっぱい取り入れてやっていたわけですから。実はビンカーと演奏の方向性について話をしているときに彼の口からファラオ・サンダースの名前が挙がったことはありました。だから、ヴァイブスやフィーリングに関して、僕らは最初からわかり合えていたってことだったんでしょうね。

――なるほど。

コードに関しては頭で考えて作り込んはないんです。「なんかいい感じだね」ってのをドローン的に使っています。繰り返し繰り返しリピートするグルーヴの中でその上に乗せるんですけど、「ヴァイブス的に楽しければこのままでいいじゃん」って感じで「これを繰り返していこう。そのままジャムを続けよう」って感じでしたね。どの曲も4小節なり8小節なりのいいと思った部分をひたすら繰り返して、ディープハウス的なメンタリティで作っていた、とも言えるます。そこもスピリチュアルな作りに繋がっているのかもしれませんね。実は最初の2曲は2016年に録音したものなんです。それをギアボックスからシングルとして出したのが4年後の2020年。ギアボックスから「まだあるんだったらもっとやる?」って話になって、2020年に追加で4曲作ったんですよね。だから、収録されている曲はそれぞれが別の時期に作られているんですよ。そこでアルバムとしての一貫性を考えた時に、「Village of The Sun」を何度も聴き直して、参照したんですよ。だから、その後、新しく作った曲は「Village of The Sun」から繋がるものになっているはずだし、ここが起点になっているんだと思うんですよね。

――ループ主体ですけど、作曲はどんな感じなんですか?

僕からはビンカーにサックスでモチーフになるようなものを作ってもらって、そこから2人で盛り上げていって、彼ららしい形で上昇していって、最終的に最初のモチーフに戻ってから終わるって流れが欲しいとは伝えました。その上で、彼らには自由にやってもらっています

僕としてはベースメントジャックスの世界で身に着けてきたものを使って、いつも通りやっただけって感覚なんです。僕がやったのは彼らの演奏の上にレイヤーを重ねていくって作業をしただけ。2人の演奏がクライマックスに近づいていって盛り上がっていったら、僕のレイヤーも一緒に盛り上がるようにサウンドを重ねていった。その結果としてやり過ぎてしまうこともあるわけで、そうなったら一つずつ外していって、最低限のものだけが残ったところが完成でした。この作業は時間がかかるものなんだけど、時間的な制約はなかったし、そもそも誰からも期待されていないプロジェクトだったから(笑) 僕としては自分が聴きたいアルバムを作ればいいやって思って作業をしていました。ポイントとしては僕とビンカー&モーゼスはまったく違うところからきているので、お互いに対するリスペクトが重要だったとは思いますね。僕は音楽的な人間ではあってもミュージシャンではないから、ジャズの世界における彼らの演奏の腕や経験値においては彼らのほうが僕より上だってことは常に念頭に置いていたんですよ。だから、彼らが気持ちよく、ハッピーに演奏できる環境を提供するってことは常に大事にしていましたね。

――すごく控えめで慎ましいんだけど、大枠のコンセプトは作っていて、あなたが舵をとっている。だから、こんなにもヴィジョンがはっきりしたサウンドが出来上がったんですね。実は僕はダンス・ミュージックのプロデューサーが手掛けたジャズのプロジェクトってあまり好きじゃないんです。ダンスに寄せすぎているとせっかくいいミュージシャンがいても演奏が活きていないことが多いし、逆にミュージシャンの演奏を主体にすると、そのプロデューサーがいる意味を感じないことが少なくない。双方がいい形になっているケースは滅多にないんですよね。でも、Village of The Sunはビンカー&モーゼスだけでは出ない演奏が入っているし、あなたじゃなければできない曲にもなっている。特にビンカーのドラムはここでしか聴けない演奏ですよね。すごく美しいコラボだと思いました。

ありがとう。自分でも満足しているし、誇りに思っています。僕も「ダンスミュージックのプロデューサーのアルバム」は作りたくなかったんです。そういうのってなんかチープじゃないですか?だから、そこはこだわったんですよ。アルバムを作るにあたって、オプションとしては「ビンカー&モーゼスがやったものを思いっきりいじってエレクトロなものにしてしまう」こともできたし、「元々の演奏に敬意を払って自然な音で鳴らす」こともできた。僕がまず重視したのは「品があるもの」にすること。ダンス系の人がジャンルを超えて作品を作る際に、エレクトロなものに、踊れるものにしようとして、なんだかチープでギミッキーなものになってしまうことって少なくないなってずっと思っていたんです。だから、もし自分がそういうチャレンジをするのなら、そうじゃなくて、まずは自分に正直になって「自分が聴きたい」って思えるものを作ろうとしたんです。

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