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interview JTNC6:Mark De Clive-Lowe - 日本をルーツに持つジャズ・ミュージシャンがLAで作った日本をテーマにしたアルバム『Heritage』のこと
マーク・ド・クライブロウはウエスト・ロンドンのブロークンビーツ~クラブジャズのシーンのキーマンだった。(※マーク自身による以下の00年代ブロークンビーツの名曲を集めたプレイリストはそのシーンのど真ん中にいたからこそ作れる選曲で素晴らしい。)
それが突如LAに移住。ジャズ・ミュージシャンとして活動を始めた。そこではUKで培ったクラブ・カルチャーとUSのライブ・カルチャーを組み合わせたイベント《Church》を立ち上げてシーンを活性化させたり、ドワイト・トリブルやハーヴィー・メイソンといったLAのベテラン・ミュージシャンが音楽をアップデートするのに貢献したり、ジャズだけでなくエチオピア音楽を演奏するバンドに参加したり、LAのハイブリッドな環境にフィットして、シーンに欠かせない存在にもなっていった。
そのマークがある時期から、LAで日本をテーマにした音楽のライブをするようになり、日本にライブで来た際に立ち話をしていても日本の話をするようになっていたし、奈良で尺八奏者と共演したりもしていた。
「そのうち、日本をテーマにしたアルバムを出すから!」とも言うようになった。
『Heritage』というタイトルで発表されたアルバムはその日本をテーマにしたアルバムだ。
僕は以前、『Heritage』についてこんな感じでレビューを書いた(ここへのアップ時に追記修正)。
以前、マークと立ち話をしているときに「日本の音楽とエチオピアの音楽って音階が一緒なんだよ。面白くない?」って彼が僕に言ってきたことがあった。「たしかにエチオピアのジャズって日本の演歌みたいな"いなたさ"があるよね」なんて会話をしていたことを今まですっかり忘れていたけど、このアルバムを聴いてふと思い出した。
ニュージーランド生まれでロンドン経由LA在住のマークは母親が日本人なので日本語が堪能だし、実際に日本に住んでいたいたこともあるっぽい。そんな彼が日本をテーマにしたジャズ・アルバムを作ったのは自身のルーツを見つめ直す意味もあるのだろう。
ただ、僕は少し違った視点でこの作品のことを考えてみたい。
LAで活動するマルチプレイヤーのデクスター・ストーリーがエチオピアの音楽をテーマに作った『Wondem』という作品がある。LAにはリトルエチオピアと呼ばれる地域があり、エチオピアからの移民も多い。そういった環境がLAにあるからこそデクスター・ストーリーはそんなアルバムを作ったと思われる。ちなみにカマシ・ワシントンもエチオピア音楽からの影響を公言しているが、それもエチオピアと馴染みが深いLAという土地ゆえの影響だと言っていいだろう。LAには他にもアルメニア人も数多く住んでいて、ティグラン・ハマシアンやアルティョム・マヌキアンといったアルメニア人が自身のルーツをテーマにした興味深い音楽を生み出している。近年そういったLAの面白い音楽が(ジャズ評論家である)僕の耳に入ってくるのは彼らが様々な地域の音楽を現代的なサウンドとして演奏するためにLAのジャズ・ミュージシャンたちのシーンと繋がっているから、だろう。マークはLA移住後にデクスター・ストーリー『Wondem』にもアルティョム・マヌキアン『Citizen』にも参加している。この『Heritage』はそんなLAでエチオピアやアルメニアの音楽を演奏するミュージシャン達との交流の中でマークが気付き/目覚め、温めてきたものなのかもしれないと僕は考えている。なぜなら、『Heritage』にはアメリカでジャズを学び、ロンドンのクラブシーンで成功をおさめ、LAのジャズシーンへと飛び込んできたマークのキャリアだけではなく、LAのシーンでの活動の中で再発見した自身のルーツでもある「日本」が鳴っているからだ。そして、その「日本」的なサウンドからは、エチオピアの音楽を思いださせるものも鳴っている。それは日本の音楽をオリエンタリズムや神秘性として鳴らすのではなく、日本の音階やメロディーや響きが持つ美しさの核心を引き出すように奏でているピアニストとしてのマークが聴こえてくる。
その旋律を日本人の僕が聴いていると、なぜだか「日本らしさ」よりも「知らない国のフォークソング」を聴いているような不思議な、それでいて普遍的なノスタルジーを感じてしまい、いつの間にか日本がテーマの作品であることを忘れている自分がいる。それは世界中を転々としてきたマークならではの個性がもたらすものなのかもしれないし、ニュージーランド生まれのマークが彼なりの方法で辿り着いた「日本らしさ」がもつ新鮮さゆえ、なのかもしれない。
それでいて現代的なエレクトロニクスも駆使するのがマークわけで、そこにニューエイジにも傾倒するカルロス・ニーニョが加わってくると、ここ聴こえる「日本らしさ」は東洋性=非西洋性としてまた別の意味を宿していて、スピリチュアルな音楽が目立っていて、アリス・コルトレーンの歴史的な役割が強調されることも増えているLAという土地の音楽とも繋がってくるのも面白い。
こんなジャズはきっとマーク・ド・クライブロウにしか作れない。
柳樂光隆(Jazz The New Chapter)
繰り返すが、こんなジャズはマークにしか作れないし、日本人が聴けばあまりに興味深いアルバムでもある。ぜひ、聴きながら、このインタビューを参照してほしい。
ちなみにsouce81さんによるこのインタビューを併せて読むとより深く理解できるかと。
取材・編集:柳樂光隆 通訳:湯山恵子 協力:rings
――ここからはあなたの音楽の話を。これまでにいろんな音楽をやってきましたよね。
そうだね。世界中を旅して日記のように作ったが『Six Degrees』。ロンドンにいって最初の夏にブロークンビーツのやつらに会って、その後キューバに行った。IGカルチャーやフィル・アッシャー、バグズ・イン・ジ・アティック、ジョー・クラウゼル、フランソワKに会って、キューバではチューチョ・バルデスに会った。ジャザノヴァにも会ったね。『Tide's Arising』はアフター『Six Degrees』って感じ。『Six Degrees』の後、プロデューサーを立てろって言われて、受け入れられなかったから僕はユニバーサルを去った。『Tide's Arising』は自分がプロデューサーであることを証明したアルバムだね。
『Journey 2 The Light』はジャズとビーツを合わせたものが作りたかった。今、振り返るとこれじゃなかったなとは思うけど、そこの部分は『Church』では上手くできた気がしている。
『Renegades』はLAに引っ越してきてからのもの。これは半分ロンドンで、半分がLAなんだ。僕のアルバムは全てのアルバムにストーリーがある。
『Church』はクラブナイトからアイデアが出て、それが発展してできたもの。僕は坂本龍一が好きなんだけど、彼は美しいメロディーを弾いたかと思えば、実験音楽やノイズ音楽をやったりする。彼は全部やってる人なんだよ。そのくらい自由になりたいよね。
『Heritage』のVol.2の方はビーツも入ってるし、ベースもヘヴィー。だから僕のことを知っている人にはわかりやすいみたい。Vol.1の方が驚くようなものだったみたいだね。僕はひとつのスタイルだけじゃなくて、あらゆる音楽をやって、受け入れられたらいいなって思ってる。
――その『Heritage』のコンセプトは日本ですよね。
自分のルーツを演奏するプロジェクトをやろうとずっと前から考えていたけど、まだ準備ができていないともずっと思っていた。でも、作曲をはじめて、日本と自分との繋がりを感じながら作曲をしてみたら、すぐにできてしまったんだ。曲を書いた後に「この感情って何だろう?」って考えていたくらい。
「Ryugu-Jo」って曲がある。僕は小さいころに日本人の母親から浦島太郎の話を聞ていたからもちろん竜宮城のことは知っていたんだ。だから、竜宮城っていうマジカル・パレスのイメージを思い浮かべて、そこに流れている音楽は何だろうって想像したら、すぐに浮かんできて曲が書けてしまった。
「Niten-Ichi」に関しては、僕は昔から宮本武蔵と二刀流に興味があるから。彼の二天一流っていう二本の刀を一つにしようとする考え方はすごく面白いと思う。自分の音楽の作り方を考えても、アコースティックとエレクトロニックを両方使うし、どうやってその二つを一緒にするかってのは宮本武蔵と同じだなって思っていた。だから自分がいつか宮本武蔵をイメージして曲を書くのはわかっていたし、それはやりたいことのひとつだったんだ。ここでは侍が戦っているイメージを考えながら曲を書いた。日本の音階のこともそんなに意識せずに、日本人としてそのテーマがどういう意味合いを持っているかを考えながら書いたらこの曲ができたんだ。だから、「この曲のどこが日本なのか」って聞かれたら、全てって答えるしかないかもね。
――つまり日本的な要素を取り入れるみたいな発想ではないということですね。
そうだね。アートを通して自分自身と向き合って、自分自身を掘り下げる作業って言えばいいのかな。ジャズはブラック・アメリカン・ミュージックでしょ?僕は黒人でもないし、アメリカ人でもない。だから、「僕の音楽って何なんだろう?」「自分のストーリーって何だろう?」ってずっと考えていた。若いころはピアノだったら、ケニー・カークランド、ハービー・ハンコック、マッコイ・タイナーとか大好きで、彼らみたいな人になりたいって感じだったけど、いくらなりたくても他人にはなれない。「どうやったら“自分”になれるんだろう?」ってずっと自分に問いかけていた。その答えがようやくこういう形で出たと思うんだ。僕がソロ・ライブをやるとクラブジャズとかダンスフロア系じゃん?バンドと一緒になるとジャズ系じゃん?ソロの場合は鍵盤を演奏しながらも無意識にDJのモードになってしまう傾向にあって、それは自分でも楽しいし、すごく簡単。そこにはMasters At Work、ムーディーマン、IGカルチャーとかの影響が出てしまう。一方、ドワイト・トリブルとやるときはジャズのモードだから、けっこう大変。そして、そこにはコルトレーンとかハービー・ハンコックとかの影響が出てしまう。これまでの僕はそんな感じだった。でも、『Heritage』のライブをやったときはこれまでに感じたことのない全く違う感覚があって、誰かの影響が出ているんじゃなくて、これは完全に“自分”だって思えた。それは初めての体験だったんだ。だって『Heritage』のインスピレーションは自分の人生だし、自分の祖先だから。つまり自分の先祖とコネクトするような体験だったんだ。
――なるほど。
僕は『Heritage』の曲をライブで演奏する前に、必ずその曲の意味をお客さんに説明する。お客さんも喜んでくれるね。だから、bandcampにも曲解説をしっかり載せている。「Shitenno」と言う曲については特にしっかり説明しているんだ。それで自分が説明しているうちに、自分にとってのその曲の意味みたいなものが分かってきたんだ。自分にとっての四天王っていうのは自分の祖先のことなんじゃないかなって。四天王は天の上から見守っているわけだから。このプロジェクトをやることで理解できた考え方がいろいろあるんだ。
以下、「Shitennō」の曲解説をbandcampから引用
“The Four Heavenly Kings” can be often found protecting Japanese temples – intimidating giant statues wielding swords from within the gates of the temples. For the shogun and great rulers, their shitennō would be their four right-hand men – bodyguards, protectors and aides. In keeping with this whole project, I see my ancestors as my shitennō, watching over me and protecting me as I journey and walk forward. The compositions paints the picture of them in two ways – the warrior embodiment of the shogun’s four protectors represented in the main melodic theme, and the metaphysical idea of the shitennō in ancestry and the spirit world in the lush harmony of the second section.
――ニュージーランドで育って、日本に住んでいたこともあって、ロンドンに移住して、その後LAに辿り着いた。あなたは世界中を移動しているし、移住してもいる。なのに、敢えて、今、こういう作品を作ったり、自分に向き合ったりしたきっかけってあるんですか?
子供のころから自分と日本の間にはコネクションがあるのはわかっていたけど、どういうコネクションがあるかはわからなかった。そもそも僕はニュージーランドで育ったから、自分のことをニュージーランド人だと思っていた。でも、他のニュージーランド人とは何か違う。当時のニュージーランドにはハーフ・ジャパニーズはほとんどいなかった。だから、自分は社会のどこの場所だったらフィットするんだろうっていうのがなかなか見えなかった。
10歳から毎年、日本の親戚を訪ねて日本に少し滞在していたんだ。でも、その滞在では日本のことは少しわかったけど、深いコネクションはわからなかった。高校生の時には一年間の留学もしたんだけど、その時もまだわからなかった。ホスト・ファーザーはお坊さんでジャズマニアでね(笑) 僕は仏教には全然興味がなかったけど、ジャズは大好きだった。そこの家に着いて、ホスト・ファーザーの部屋の前を歩いたら、すごくかっこいい音楽が流れていた。そこで「今、流れているのはなんですか?」って聞いたら、マイルス・デイヴィスの『Live at Plugged Nickel』のボックスセットだった。僕はそれ聴きながら、マイルスの画集をよく読んでいた。
それ以来、週に2,3回ジャズのライブに行くようになった。僕にとっては学校よりもそっちの方が学校みたいな感じだったね。その時に大西順子さんや原朋直さんとも知り合った。その頃から僕はジャズ・ミュージシャンのライフスタイルがいいなって思うようになった。ニュージーランドに帰ったら法律の勉強をする予定だったんだけど、やっぱり音楽がいいなと思って、音楽の道に進むことにした。振り返ってみると、お坊さんのおかげなんだよね。
実は僕は1996年ごろ、本当のデビューアルバム『First Thoughts』を出しているんだ。『Six Degrees』が2000年だから、それよりも全然前だね。ジャズのピアノトリオのアルバム。その頃、日本に年に一回演奏しに来ていた。ニュージーランド大使館で演奏したり、新宿DUGでもやった。一回、静岡でピアノトリオと神楽の共演をしたこともある。その時のトリオがスリープ・ウォーカーをやる全然前の杉本智和さんと藤井伸昭さんだった。その頃、日本に行くときに母親から「せっかく日本で演奏するなら日本の音楽もやったほうがいい」って言われていたんだけど、僕は「そんなのやりたくないよ」って言ってた。でも、いつも言われるから諦めてやったわけ。そのためにいろんな曲を聞いたから、「上を向いて歩こう」をアーマッド・ジャマルっぽく弾いてみるとかはできた。でも、それは日本とコネクトしているというよりは、ただメロディーを使って僕のやり方をやってるだけだったんだよね。コネクションは感じなかった。だから、長い間、日本に対して興味が持てなかった。
――そこまで遠かったものがなぜここまで近くなったんですか?
それにはきっかけがある。3年前にアヤワスカをやったんだ。アヤワスカは南アメリカの植物。これはハルシネーションを起こす作用があるんだけど、楽しむためにやってはいけなくて、儀式のために使わなくてはならない。LAでその儀式があった。それは植物が自分が知らなくてはいけないものを教えてくれる儀式でね、これはとんでもない経験だった。一晩の間に色んな事が起きた。そこでその植物は僕に日本とのコネクションを見せてくれて、日本ともっと繋がったほうがいいって教えてくれたんだ。これまで日本はライブで来るくらいの場所だったんだけど、スピリチュアルな繋がりを感じるようになったんだ。
――なぜ、アヤワスカを?
1年に3回誘われたんだよね。1回目は行くわけねーだろって感じで、2回目はちょっと考えとくよって感じで、3回目は準備出来たって感じ。もともと興味があったから。僕はウィード大好きだしね。アヤワスナはあらゆるドラッグと違うレベルにあるもので、毎週セラピーに通うようなことが一晩で出来てしまう。
――なるほど。
だから『Heritage』にまつわることは音楽だけの話じゃないんだ。僕がこれまでに作ってきた作品はすべていい音楽だったし、いい作品だった。でも、それらは“音楽”だった。『Heritage』は全く違うもの、いうなれば自分の”ライフ・フォース”みたいなものと言ってもいいね。
――アヤワスカのスピリチュアルな体験があなたにきっかけを与えたってことですが、あなたは僕にアリス・コルトレーンのアシュラムの話をしてましたし、お坊さんの家にホームステイしてた話もしてましたけど、東洋の宗教のスピリチュアルな部分に惹かれたことはなかったんですか?
宗教の中でも仏教には興味あったね。最悪なのはキリスト教だから。世界の問題の多くはキリスト教にあるでしょ?仏教が原因で起きている問題なんて無いじゃん?だから、仏教のコンセプトは理解できる感じがするんだよね。
――そういう東洋の宗教や東洋の哲学の考え方がアメリカでも求められている感じはありますよね。
そうだね、カリフォニアは特にね。もともとLAの人はスピリチュアルに関心ある人が多いからね。20世紀は西洋に支配されていた時代だったけど変わってきている。今はアジアや中東が強くなってきている。ゲームチェンジがあって、西洋の人たちもそれを意識しているんじゃないかなと思う。アメリカはもうかつてのようには立ち上がれないと僕は思っているよ。
以下、同じ日のインタビューなので、併せてどうぞ。
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