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仏教と生き甲斐:「仏教の誕生」佐々木閑著を読んで

私は仏教の本質を
全く理解していなかった、

佐々木閑著
「仏教の誕生」を
読んで気付いた。
 
仏教の核心を
これほど明確に
平明に書いた本を
私は知らない。
 
紹介して下さった
noterさんに感謝。

本来の仏教は、
生きることに迷い苦しむ
人達のためだけに存在する、
 
広く、一般大衆にとか
世界宗教になることなど、
はなっから目指していない。
 
仏教は
一般的な社会の
価値観に馴染めず、
生きることに絶望を感じている
人達を救うための教え。
 
「心の苦しみを消す、いって見れば、
病院の様な立場に立つ宗教なので、
健康な人には必要とされないものです」(P116)。
 
その仏教が、
時として、
社会の価値観において
成功者と呼ばれる人達をも
惹きつけるのは、
何故だろう?
 
ビートルズも
スティーブ・ジョブスも
仏教にハマった。
 
佐々木閑さんはこう書いている:
「しかし、どんな人も悪条件が揃うと病気になります。
そのとき仏教は、そういった人達を区別なく平等に受け入れ、
そして治るまで治療する宗教です」(p117)。
 
「病気」が治って
再び娑婆に戻りたければ、
仏教を捨てて
帰って行けば良い。
 
この懐の大きさが、
キリスト教などの
一神教の価値観に
縛られる社会で
生きる人たちを
惹きつけるのかもしれない。
 
 
佐々木さんの本を読んでも、
解けない疑問が一つあった。
 
お釈迦様は
「人の思惑とは無関係に動いていくこの世の中で、
自分の欲にかられた希望の世界を望むこと自体、
虚しい行為なのである。」
 
「自分の心の安楽を求めようとするならば、
その道は一つしかない。それは、求めないことだ」
と、仰った(p80)。
 
そういう悟りを開いた
お釈迦様が、
何故、餓死を選ばず、
説法の道を選ばれたのか?
 
生きることも、
自らの学びを伝えて
苦しむ人を救うことも
「欲」や「希望」
ではないのだろうか?
 
でも、
気がついた。
 
きっとそれは、
「生き甲斐」と
呼ぶべきものだろう、
と。
 
自分の欲を
遙かに超えたもの。
 
身近な人や社会にとって
必要なもの、
大切なものを
提供すること。
 
なんの見返りも期待せず、
希望すら持たず、
宇宙の事象として
存在する自分の
役割を果たすこと。
 
そうして
燃え尽きて、
お釈迦様は、
涅槃に入られた。
 
清々しい
お気持ちだっただろう。
 
比べることさえ
おこがましいが、
私もそうありたいと思った。

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