186. 茶道と私
また、ひとり、
スイスから
大切な方を長門にお迎えした。
ひろみ先生。
ジュネーブに暮らしていた頃の
お茶の先生だ。
多動症の私が、
茶道をやっていたなんて
自分でも驚きだ(^0^;)
茶道を始めたきっかけは、
気分転換。
交際の長かった人と
別れたばかりで、
寂しくて、
いくつかの習い事を
同時に始めた。
茶道、
ピアノ、
スコティッシュ・カントリーダンス
韓国語。
今、生き残っているのは、
韓国語だけ。
茶道は、
長い間じっと
座っていなければいけないし、
決められた所作の形を
守らなければならない。
私の本質と、
AからZまで
真逆だ。
それでも、
ずっと興味があった。
堅苦しい日本のお茶教室は、
到底、無理だけど、
ガイジンさん向けに
日本領事館が主催する
茶道教室なら、
野蛮な私でも大丈夫かも?
と、思って始めた。
その時の先生が、
ひろみ先生。
ひろみ先生にとって、
多分、私は最悪の弟子
だったと思う。
詳細は、
恥ずかしいので
書かない(^0^;)
それでも、
ひろみ先生は、
私が住処を帰る度に
訪ねて来て下さって、
美味しいお茶を淹れて下さった。
ひろみ先生のお茶は、
とてつもなく美味しい!
同じお抹茶、
同じ水に、
同じお道具。
なのに、
私が淹れるお茶とは、
全く別物の
天国のお茶になる。
ジュネーブで
お茶を習っていた頃、
先生の
「もう一服いかが?」
に、私はいつも
茶道に似合わない
大きな声で元気に答えた
「ハイ、お願いします!」
しかも、何度も。
先生は笑いながら、
何度も薄茶を淹れて下さった。
短い茶道修業だったけど、
先生の教えは忘れていない。
「今、ここに」を
丁寧に過ごすこと。
大切な人達と
心地よい空間を
共有して愉しむこと。
先生が湯本で
淹れて下さるお茶は、
格別に美味しいだろう。
楽しみだ〜。