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映画 ボーはおそれているを観ての感想

アリ・アスターの映画の意味が分からない、という人の方が幸せなのかもしれない


あの世界を理解できないということは、親の愛情をまっすぐ受けて育ち、順風満帆な人生を送れているという何よりの証拠なのだ


ボーという男が、超暴力的な現実と不気味な妄想に苦しめられ、最後に母親にこれまでの罪を償うかどうか、裁判にかけられてしまう…


ボーはおそれているの「おそれている」とは一体何に恐れていたのか

筆者はボーを取り巻く不気味な世界と、ボーの母親をおそれていたのではないかと思慮する


まずはこの終始繰り広げられた非現実の世界観についてから話そう

この不思議な世界はボーの精神疾患が元になっていると言えよう


冒頭のシーンで、精神科医から精神疾患の薬を処方して貰うところがあり、ボーは何らかの精神疾患をもっていることが伺える


ボーの見ている世界(ボーの家の外が現実世界よりもかなり荒廃しており、自分に危害を加えそうな人間がたむろしている)は危険が蔓延っているが、これらは精神疾患による幻覚や幻聴と酷似している


重度の統合失調症患者は被害妄想から来る幻覚や幻聴を訴える者が多く、自分の家や部屋の外が危険で恐ろしい世界のように歪んで見えたり、外は危険な人物が徘徊していると思い込む傾向にある 


自分は何もしていないのに、相手から怒鳴られたり怒られたりしているかのように感じたりもする また何者かに盗聴や監視されていると感じる者もいる


外科医の家でカメラで行動を監視されていたり、足首にGPSをつけられて追跡されたり、外科医の家で治療を受けていた元軍人に執拗に追いかけ回されたのは、自分の行動が何者かに監視されているとボーが被害妄想しているからであろう


また、統合失調症患者の特徴として、何者かに監視され命を狙われていると強く感じると、他責の念から自分の命を守るため、周囲の人に危害を加える可能性がある


最後母親の首を絞めたシーンは、まさにその状態だったと言える


また、途中森の中で観た劇団のシーンは「オオカミの家」の監督であるクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャによるものである 美しい絵本仕立てで、あの頃は良かったと空想した理想の過去にしがみついているようにも見える


ふたつめに、母親との関係性について、ボーは母から厳しい体罰を受け、母を恐れるようになったと推測される


母から強い駄目出しや自分勝手な癇癪をくらい、それが何度も繰り返されると、子供は自分に自信がなくなり、怯えて自発的に考えることをやめ、「お母さんどうしたらいい?」と顔色を伺うようになる


母親を苛立たせているのは自分だと思い込み、母に対して必要以上に気を使い、プレゼントを買ったり、葬儀に早く行かなくちゃと焦ったりしてしまうのだ


天井の物置に閉じ込めて折檻したり、ガールフレンドができそうになったら叱責するなど、愛や躾と言うには度を超えたものを感じる


欧州では家庭内暴力や寄宿学校での異常なしごきによって、のびのびとしたまっすぐな愛情で育てられなかった子どもの存在が問題視されている


また、そのような子供たちは大人になってからも、トラウマで人間関係をうまく築くことができず、自立して生きていけなくなってしまったり、家庭を持ったとしても、自分の子供にも同じように暴力を振るってしまうこともままある


母が劇中で言っていたセリフだが、母モナの母(ボーの祖母)もモナに対して愛情を注いでくれなかった、だから母(モナ)はボーになけなしの愛情を注いだのよ、でもボーは何も見返りをくれなかった、と…


ボーはまさしく大人になった今も母という存在に苦しんでいる

映画の始まりのシーンで、母の会社のロゴが映画の配給会社とともに映し出されるが、これは母がこの映画を監視し牛耳っているぞ、という観客への見せしめなのだ


母はボーが予定通り飛行機に乗って会いに来なかったことを必要以上に怒り、シャンデリアがぶつかって死んだという嘘をついてまで実家に来させようとした その事自体狂気である


最後の弾劾裁判のシーンで母に罰せられてしまい、暗い水に沈むボーは、本当にボーの犯した罪で罰せられたのだろうか?母親の独壇場ではなかったか?そんなにボーの罪は重かったのだろうか?


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余談だが、これらの重いテーマを裸芸やら銃撃戦やら取って付けたようなファロス主義やらで荒唐無稽、滑稽に描いたのもアリ・アスターらしいところである

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