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映画 アンゼルム傷ついた世界の芸術家を観ての感想

※ネタバレ有

本映像はキーファーのドキュメンタリー映画となっているが、ヴェンダースの解釈したキーファーではなく、キーファーの作品を通じて得られた軌跡を描いている。

映像内の広大なキーファーのアトリエ、美しい画角、静謐な雰囲気、そして重厚なキーファーの作品群を観ていると、まるであたかも美術館の中に迷い込んでしまったかのような気分になる。

パンフレットのインタビューによると、ヴェンダースはあくまでもキーファーの芸術を理解するための映画を作りたかったからであり、キーファーの私生活には踏み込まないというスタンスでいることを指摘している。

本映画には貴重なキーファーのアトリエ内の映像や作画活動の様子が収められており、その点でも後世に語り継がれるべき名作である。

キーファーは1945年生で戦後の瓦礫の山となった街を見て育ってきた。彼の原体験は荒廃した土地にあった。キーファーが作品を発表した時代というのは、大戦後冷戦下で復興を遂げ経済成長していく西ドイツの姿であった。

敗戦し、ナチスの非人道的な過ちを知る大人たちは皆過去について口をつぐんだ。いや、沈黙せざるを得なかった。大戦からまだ間もない当時ナチについて公の場で話すことは憚られていた。ナチスの象徴のサインたちは使用が禁止され、教育の場でも避けて通っていた。

キーファーは作品の中でナチの象徴を用いたり、プロパガンダの作家たちをモチーフに作品を作り上げた。彼の意図はネオナチの支持や反ファシズムの支持ではないとインタビューで語っている。

キーファーは先の大戦で起こった陰惨な過去、愛するものの死、その結果母国は灰色に荒廃し、後に残された女性や子供や老人達で一から復興していかなければならなかったという事実をなかったことにしてはいけないと、世に問うているのである。

それはどの派閥を支持するという議論ではなく、事実として俯瞰的に見ているということである。キーファーの青年期は、冷戦後復興し街に明かりが戻ってきたが、復興にだけ目を向けて、過去に沈黙し続ける社会に対して疑問を抱き、アンビバレントな感情を持っていた時代でもあった。

冷戦下で緊張が高まっている中、彼が大戦の負の遺産を描き続けていたのは、危険を伴う勇気のいる行為であったことは想像に難くない。キーファーの作品というのは、大戦で犯した罪をずっと忘れないという意味で、人類史上非常に大切な作品だということが分かる。

キーファーがなぜ神話をモチーフとして描いているか、という論点は、西洋文化圏におけるエリート教育の賜物と言えよう。

西洋文化圏のエリートや貴族層というのは、幼い頃に古典古代(古代ギリシア・ローマ文明)から、キリスト教の勃興、現代に至る歴史までをみっちりと学ばされる。

幼い頃乳母から古代ギリシア神話(日本の昔話的な立ち位置だろうか)を聞いて育った彼らにとっては、神話に出てくる神や天使というのは論理や道理を超えた大いなる力なのである。

戦争という、自分達の力ではどうしようもない巨大な渦を目の前にしては、自分という存在は無力で軽い存在でしかない。

それ故、論理を超えた存在である神話が登場するのである。

キーファーの作品に繰り返し登場する白いドレスは、神話からの引用である。筆者は彼の女神信仰は、彼の幼少期の体験が元なのではないかと推測している。

彼の幼少期は大戦後復興に向けて皆一丸となっていた時代、残された女性達が社会進出し、男性の役務も行っていた。社会で働く気丈な女性達を見て、子供のこころに深く刻み込まれたのではないかとみている。


最後に、来年京都二条城でキーファーの大規模展示が行われる予定でし!みんなミルでし!


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