
映画 未曾有の危機に直面した時、人はどういう行動を取るか?
※ネタバレ有
この記事には暴力的な表現やショッキングなシーンが含まれます。
また、特定の医療行為や治癒行為を推奨・批判するものではありません。
この映画を観て、人を選ぶ内容ではありますが、重要な問題を提起している素晴らしい作品だと思います
映画の理解を深められるよう、周辺知識含め、より掘り下げた内容をしたためました
映画の監督、プロデューサーによる舞台挨拶の様子も含めましたので、 映画理解の一助となれば幸いです
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その日は急にやってきた。
弟(本映画の監督)が高校2年生の頃、突然叫喚し始めた医大生の姉 弟は母と相談し、救急車を呼ぶことにした
大学で研究をしていた父のつてで、姉を精神科医に診てもらったが、お姉さんは全く問題ありません、と言われ、父は姉を家に連れて帰ってきてしまった
父母は姉が病院へ行くことを拒否した 密室化した家庭内で、姉は治療を受けられないまま悪化の一途を辿り、時間だけが過ぎていった
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監督が舞台挨拶の冒頭でも語っていたが、この映画は、ある家族が統合失調症という、今まで体験したことのない病気に直面したとき、それにどう対処していくか、を赤裸々に吐露した映画である
姉はかなり症状が進んでいる、映画の冒頭で大声で叫ぶ女性の声、あれは全て姉のものだ、と語ってくれた(舞台挨拶時の監督談)
統合失調症患者は幻覚や幻聴を訴えるものが多く、何者かが刃物を持って襲ってくる幻覚が見えたり、周りから誹謗中傷を言われる幻聴が聞こえたりする
刃物を持った男が家に侵入してきたと警察に通報してしまったり、家族が普通に話しかけているのにうるさい!と一喝したりするのはそのためである
占いに突如ハマり、何百万もかけて占いの本を自費出版していたのも、おそらく幻覚や幻聴を自分にしか聞こえない天啓として捉えた弊害だろう
また、昼間なのに姉の部屋のカーテンが閉まったままなのも、症状の一つといえよう
統合失調症患者は何者かに盗聴されたり、監視されたりしているという被害妄想に駆られる事がある
家族が話しかけても、目線がずっと泳いでいて目が合わないのも、言葉に詰まってなかなか返事を返してくれないのも、盗聴や監視を恐れているからである
また、舞台挨拶の最後に監督が話していた事だが、普通であれば明らかにおかしい事が起こっているにも関わらず、姉は病院に行くのを拒んでいたこと
(姉を車へ乗せて病院へ連れて行こうとしても、赤信号で車が停まるとドアを勝手に開けて出てってしまう、可能性があるとのこと)
について、
姉の見ている世界というのは、事実として起こっている事象と、幻覚幻聴によるフィクションの境目が非常に曖昧で、姉自身ではどれが現実でどれが非現実か区別がつかなくなってしまっている状態である
統合失調症になるとその位正常な判断力が衰えるということなのだ
そのため、姉自身で自分が病気であると自覚することはほぼ不可能に近い点も留意いただきたい
また、舞台挨拶時に観客からの質問で、よく撮ることに集中できましたね、姉や家族の身の危険を感じるときはなかったですか、という質問があったが、これも重要なポイントである
統合失調症には希死念慮というものがあり、気分が落ち込むと生きているのが無意味に感じられ、自殺を図る事がある
また、先述した刃物を持った男の幻覚を見て、自己防衛本能から、自分も刃物を持ってやり返そうとして、結果的に無防備な他人に暴力を振るってしまうこともある 幻覚や幻聴は非常に危険な状態なのである
上記のことからも、患者をひとりにさせないこと、なるべく誰かが一緒に付いていてあげることが必要になってくる
映画の様子から察するに、姉は非常に危険な状態であったといえよう
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姉が叫喚する様になってからも、父は姉に医師免許の資格取得をするよう勧めていたという話や、父と弟の最後の対話シーンから感じ取れたことは、自分の娘に明らかに異常があると分かっていても、親として病気を認めたくない、という頑なな意志がある、ということ
それは愛や思いやりではなく、自分のエゴだよ、と言いたくなってしまう
姉には姉の人生があり、自分の思い通りにそこに介入し人生を歪めてしまうべきではなかった、と思う
パンフレットの監督の言葉の端端からも、両親の子どもに対する厳しすぎるしつけや、子どもの自立性を軽んじ、子離れができていない様子が伺える
例えば父の単身赴任中、勉強の進捗を毎日電話で報告したり、お茶くみでの姉の反省や、「親が先回りして答えを出すのが一番良くないと思う」という監督のコメントなど、子どもが自主的に勉強に取り組んだり、好奇心を育て自発的に行動するきっかけを潰しているのではないか、という懸念が浮かぶ
この子どもの自発性が極端に押し込められた家庭内で、今まで経験したことのない病気が発生してしまった
自発性を失っていた姉にとって、姉を病院に通わせるには、彼女が尊敬していた父の合意が必要不可欠だった
昔だったため、病気に対する知見も少なかったこともあり、父母による独断が押し通ってしまった、というかなしみ
また、舞台挨拶の最後に監督から念押しされた話が印象的だった
家族が納得いく形で姉を病院へ連れていきたい、家族の同意なきままに無理やり病院へ連れて行くのは、その後の家族としての関係性の崩壊とトラウマになるから、と…
父母と仲違いしても姉を病院へ連れて行くことは、弟の望むところではなかったと思う 父母が論理的におかしい理屈で姉を家に閉じ込めていたとしても、通院を無理強いできなかったのには理由がある
先述したように、姉を車に乗せて病院へ向かっても、途中で逃げ出してしまう 仮に姉を無理やり車に押し込めて、手足をぐるぐる巻にして逃げ出さないようにして病院に連れて行くことは、本人の人間的な尊厳を無視しているのではないか?という思いから、監督は通院を家族の合意に委ねた
他人じゃない、家族だから、相手のことが大切だから、無理な結論を出したくない、という気持ちは良く分かる
固い表現で言えば姉の人権や父母の思いを踏みにじりたくないという気持ちだ
もし、ここで弟が無理やり姉を連れて行ったとしたら、それは父が通院させない決断を姉に強いたのと一緒になってしまうから、だから無理はさせたくなかったんだと思う
では彼らはどうすればよかったか?
この映画で事実を目撃したわたしたちはどうすればよかったか?
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最後に、動画を記録し映画を作り公開してくれた藤野知明監督と淺野由美子プロデューサーに多大なる感謝を申し上げます
舞台挨拶時の観客からの質問で、公開することの恐怖はありませんでしたか、という質問があった様に、この映画を公開するにあたって、世間から賛否両論の意見が寄せられることが想定できたでしょう
特に姉を何故何十年も野放しにしてきたんだ、責任はどうするんだ、といった世間の指弾を浴びる可能性もあるからです
そういった社会からの厳しい追及があるだろうと予想できるのに、それでも…!と振り切って公開された勇気には感服いたします
本当にありがとうございました