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医療費自己負担額に関する短い歴史と、なぜ医療費が高額になったかの一つの仮説

まず、医療費自己負担額の対GDP比と、高齢者自己負担額の変化を年表にまとめる。
最後になぜこのような医療の濫用が起きたのかについて考察する。


各種資料から詳細を除いてまとめた。主にglobal noteと日本社会保障の歴史を参考とした。

上の図表を要約すると、戦後に健康保険制度が発足した。高齢者医療費は当初自己負担5割だったが、1973年から無償となった。1983年に無償化が廃止され、ゆっくりと自己負担割合が増えた。
国民医療費の対GDPは、高齢者医療費を無償化してから増加し始めた。
GDP伸び率は時代とともにどんどん低下している傾向にある。

高齢者の自己負担率が緩徐に引き上げられているにも関わらず、医療費の対GDP割合は増加傾向にある。

これを上手く説明する方法は何かあるだろうか。

クラウド・アウト効果がその候補になる。
少し長いが、最後の太字だけ読めば要点はつかめる。

社会的な目標を達成するための経済的誘引――例えば公共財への寄付に対する経済的な助成――、それによってかえって高潔さや道徳に基づく動機が押し出されてしまう。こういった事例は多く見られる。この押し出し効果は「クラウド・アウト」と呼ばれる。では逆に、文明人としての美徳を促すように政策を作る、つまり「クラウド・イン」させることは可能なのだろうか。この記事では古代アテネを例に取り、近代の制度設計と公共政策に役立つ方策を探る。



リチャード・ティトマス(Richard Titmuss)の名著「The Gift Relationship: From Human Blood to Social Policy 」(Titmuss 1971)の要点を挙げると、高度な社会目標を達成するために経済的誘引を用いることは逆効果になりかねない、となる。彼によれば、罰金、補助金といった誘引は人に「取引感覚」を植え付け、それまでの行動規範となっていた文化的市民としての高潔さを損なうことになりかねない。
(中略)
よく引き合いに出される例として、ハイファの保育所の話がある(Gneezy and Rustichini 2000)。そこでは子供の引き取りに遅れた親に罰金を課したところ、親の遅刻は倍になった。12週間後に罰金は廃止されたが、増えた遅刻は元には戻らなかった。

これは通常、「押し出し効果/クラウド・アウト」によって説明される。かつては子供の引取りに遅れ保育所に迷惑をかけるのは後ろめたい行為だった。それが罰金によって、お金で買うことのできることとなってしまったのだ。

https://econ101.jp/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%80%8E%E9%81%93%E5%BE%B3%E6%83%85%E6%93%8D%E3%81%A8%E5%88%A9%E5%AE%B3%E6%84%9F%E6%83%85%EF%BC%9A%E7%B5%8C/
サミュエル・ボウルス『道徳情操と利害感情:経済的誘引は社会目的へと導くのか、壊すのか』(2016年5月26日)

「押し出し効果/クラウド・アウト」は高齢者が医療費を多く使う理由を上手く説明できる。
そして、自己負担額を緩徐に増加させても、使用頻度があまり変化しない理由も。

つまり、高齢者医療が無償化したときは、無料であるがゆえの使用へのためらいがあったはずだ。それが少量の自己負担額が必要になったため、対価を支払ってサービスを受けているという感覚になった。

その結果として、公共の資産である医療資源は限りあるのだから、適切に利用しようという感覚がなくなり、医療費の増加に歯止めがかからなくなった、ということだ。

しかし引用した記事に書いてあるような、医療保険を使用しなかったことを褒章によって称えることはできないだろう。

また、医療の適切な利用、遅刻と異なり相当にグレーな部分がある。
レカネマブはかなりグレーな部分を走っている。
恐らく抗認知症薬としての効果は、レカネマブ(体重50kgで年間298万円)、で、ドネペジル10mg(82円/日 年間 29930円)と比較して、値段は100倍だが、効果はほとんど変わらない。

最近の論文では、5100ドル(約76万)未満であれば、費用対効果が高くなると報告されている。

今回の記事では、高齢者は医療費が無料となり、徐々に自己負担割合が増加したため、クラウド・アウト効果によって自主的な医療資源の利用を差し控えることが難しくなったことを示唆した。

ここからは、悪者を見つけることはできない。

政治家・官僚が1971年に出版され、今に至るまで邦訳されていないイギリスの社会学者の著書を読むことを期待するのは現実的ではない。
(とはいえ、1973年に国立社会保障・人口問題研究所はティトマスの記事を書いている。同研究所は人口動態と社会保障に関する優れた(直球の)研究をしている。)

クラウド・アウトが有名になったハイファの保育所の事例は2000年だ。

つまり2000年まで、無償化からの緩徐な有料化に切り替えることによって、適切に利用しようとする倫理が失われ続けてしまうことは、予測が不可能だった。

使用者に罪はあるだろうか。彼らも無償化から緩徐に自己負担割合が増加したから、自分が医療費を適切に利用するという感覚が失われ、お金を払って対価としてサービスを利用する感覚に変わってしまった、なんて内省は抱きようがないように思う。

 まとめると、
2000年まで知ることが難しかった人間の性質(事実)

に配慮していない社会保障制度の設計と修正が行われ(事実)

高齢者の医療サービスに関する適正利用の感覚が養われず(仮説)

医療費が増加を続けている(事実)

これをどのように変えるのがいいだろうか

高齢者と医療従事者に医療を適正に利用する、という感覚を取り戻してもらうのは、一番良い方法かもしれない。

じゃあどうするのか?

高齢者は医療を対価を支払って受け取る当然のサービスだと感じる傾向がある。

一方で、医療従事者もパターナリズムからインフォームド・コンセントおよび共同意思決定に移り変わるなかで、不適切な利用だと指摘することも難しくなっている。

おまけに遅刻と違ってグレーゾーンは山ほどある。

ここから懸念されるのは、一律医療費自己負担3割だけでは、医療費負担が減らないかもしれない、ということだ。適切な対価を支払ってサービスを受けていると言って、色々な抜け穴を使って医療サービスを安価に受けようとする/させる可能性はある。
 だから自己負担割合を増やすアプローチ一本でやるなら、生活保護制度の改変まで必要になる。

 もちろん、自己負担割合を増やすのは一つの方法だ。
しかし、緩徐な高齢者自己負担割合の増加にも関わらず、対GDP比でみた医療費割合は増加している。

 自分たちの医療の実践がどのようなものかは、国民に監視されており、適切に医療費を使えば尊敬され、不要に浪費すれば軽蔑される、という感覚が医療従事者にも高齢者にも十分感じられるような仕組みが必要だ。

最近、診療報酬の不正請求がしばしば告発されている。

不正請求の証拠に最も簡単にアクセスできるのは、医療従事者だから、自分たち自身で告発していくことが、結局のところ医療の継続性を維持することに繋がるのだと思う。

 これはあくまで医療従事者の監視だ。高齢者・生活保護受給者が医療費を濫用している場合、誰に報告するのが良いのか?
本人に話すのはあまり良い手ではない。当然ながら反論され、それは他の患者の診療時間を削ることになる。
 端的な方法としては、不要だと感じたら、不要な受診である欄にチェックすることだろう。また、市役所の生活保護担当者に報告するのも手段だと思われる。

高齢者医療に関してはどうだろうか。
これは問い合わせの窓口がない。その上不適切な利用であるかの判断は、他の医療機関の受診情報も併せてみないと難しい。本人に聞いてみても、覚えていないことが多いし、忘れたふりはとても簡単だ。
現状では、その人がどれくらいの頻度で救急車を呼んでいるかも知ることができないのだ。

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