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病床数に基づく医療

日本の病床数は1975年から1990年まで増え続けた。

https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/isc98_8/sec01.html
1975年から1993年まで増加し続けた病床数


そして、増加ペースに比して、減少ペースは緩徐である。

この病床数は先進国に比べて非常に多い。

https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000906892.pdf
一番上の赤色のグラフが日本、病床数が突出して多い
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000906892.pdf
一番左が日本、突出して長い平均在院日数

平均在院日数も、諸外国に比べて圧倒的に長い。

この経緯は、次のように考えることができる。

まず、1973年に老人医療費が無償化し、圧倒的な医療の需要が生まれた。
それにあわせて、病床数が増加していった。

病床数あたりの看護師数などの施設基準があるため、病床数というのは一定の維持費が必要であることに留意しよう。

そんな中、医療費の増大に対して、政府は診療報酬を削減ないし絞ることで対応した。

これに対して病院は、病床利用率を可能な限り高め、薄利多売の医療を実践するようになった。

つまり、病院は診療報酬の削減に対し、医療需要を維持することで対処した。

高齢化に伴う医療の需要は、数え方によってかなり変わる。
老衰と医療で改善可能な状況にはっきりと線を引くことはできない。

例えば超高齢者への大動脈弁狭窄症に対するカテーテル治療であるTAVIの適応に関して、ガイドラインでは適応をクリアカットに年齢で定めることはしておらず、高齢者に対しては慎重に判断しましょう、の記載にとどまる。

また、感染症を発症したフレイルな高度認知症高齢者にたいする治療として
訪問診療で緩和医療のみを行う場合から
人工呼吸器・人工透析・輸血・胃瘻造設を含めた最大限の医療を行うケースまで幅がある。

これをどこまで実施するかどうかは、基本的には主治医の判断に任される。

そして主治医は、病床利用率を高めるよう、上司から促されている。

本来最優先されるべき患者さんの意志だが、認知症が進行した場合どうしても医師の話しぶりに影響を受けてしまう割合が高い。
また、人生における重大な決断を行うための意志決定能力が、損なわれていることが多い。
さらに言えば、患者さんの家族は医療行為に伴う苦痛を直接体験するわけではなく、また家族の死を避けたいと思う傾向がある。また、死に繋がる意思決定を嫌う傾向もある。

どれも当たり前のことだ。

だからこうした感情に配慮しながら話をしなければ、以前からあまり話し合いをしていない場合は、延命治療を行う方向に話が進みやすい。

そして、治療を説明する医師は、病床利用率を高めたい理由がある。
そうなればどうしても、延命治療は行われがちになる。

病床利用率を高めるためには、緩和医療だけというのはできないだろう。何らかの急性期医療の形をとる必要がある。つまり、点滴をしたり抗菌薬を投与したり心電図モニターを装着したりする。急性期医療の形式をとることで保険点数を高めることができる。

そしてフレイルな高度認知症高齢者は、入院に伴い褥瘡、誤嚥、尿路感染症、転倒、骨折、電解質異常、心不全、腎不全、せん妄などを合併することがある。つまり、入院によってさらなる医療を要する状況になることが多い。

高齢化の進行にともない、こうした入院患者は増加している。
しかしこうした患者さんは、医療によって得られる利益が乏しく、医療による害を受けやすく、医療費が沢山かかり、病床を占有する期間が長い傾向にある。

もし日本の病床数が今の半分なら、こうした患者さんはなるべく在宅ないし施設で可能な範囲の治療をする選択肢が生まれるだろう。

つまり施設で発熱した場合は、抗菌薬や解熱剤を内服し、食事が取れなければ皮下点滴を考慮する、ということだ。

 ここまでの話をいったんまとめると、日本の医療の実践は少なからず、1973年の老人医療無償化に端を発する病床数の増加と、医療費の増大、それに対応する政府の診療報酬削減、さらにその対策としての病床利用率を高めた病院診療という歴史の流れに影響を受けており、結果として高齢者の入院が多くなり、平均在院日数も長くなった。
どのような医療を提供するかの倫理は、少なからずこの「病床利用率を向上させる促し」に影響されているであろうことを論じた。

 ちなみにだが、超高齢者においても訴訟リスクがあるのもこの流れに追随するものだろう。つまり、高齢で認知症が進み、衰弱していても医療の効果が期待できるという誤解を是正していなかったことの余波が超高齢者の予期せぬ状態悪化に対する医療訴訟なのだ。

 もし病院経営や病床利用率や訴訟リスクを考えなくてよいならば、多くの医師や医療スタッフはこうした医療を実践したくないだろうと考える。
なぜかと言えば、フレイルな認知症高齢者に対する医療は
効果が乏しく
手間がかかり
提供できる価値がはっきりせず
患者さんから感謝されることが少ない
からだ。

今後日本は人口が減少し、高齢者が増え、その高齢者も高齢化する。
一方で医療の進歩に伴って、65歳以下の患者さんで長期に入院が必要となる頻度は減った。
喫煙率の減少と動脈硬化リスク管理によって脳梗塞、心筋梗塞を若くして発症することは減った。
がんの治療は多くが外来で完結できるようになった。また手術も低侵襲化によって在院日数が短縮された。
糖尿病の治療薬も進歩した。正直SGLT2阻害薬とGLP1受容体作動薬を使用していて教育入院も必要な状況はあまりないのではないかと想像する。
感染症の治療で長期の入院が必要、というのは若い人ではあまりなく、さらに最近のトレンドは抗菌薬静注期間の短縮化だ。

そもそも医療のイノベーションの多くが米国発で、その米国は人口1000人当たりの病床数が日本の1/4以下と非常に少ない病床数で医療を実践しているのだから、この入院期間短縮の流れは当然と言える。

つまり、何もしなければ医療の進歩に伴い若い人の入院が減る。
人口動態の変化に伴ってますます超高齢者の入院が増える。
今のところ、そのインセンティブが是正される流れは非常に小さい。
確かに政府は病床数削減に対して補助金を出しているのだが…。

病床数がある限り、医療関係者はなかなか進行した老化に対する医療を諦めないだろう。

ここまで僕が考えてきたことをまとめよう。

老人医療無償化によって病床数が増えた。

病床数は維持費がかかるため、経営のため病床利用率を高めた。

医療費の高額化に対し、診療報酬が削減されたため、病院を維持するためにさらに病床利用率を高める必要が生まれた。

老化を医療で治療可能と考えると、医療需要は増加するため、病床利用率を高めるために高齢者の入院を増やした。

高齢者の入院増加に伴い、その医療を正当化する倫理が生まれた。

ポイントは、病床数増加が先で、倫理は後なのではないか、ということだ。

ちなみに、病院経営の悪化が語られているが、これは言い換えれば、入院需要が減ったことを意味する。病院の収入の2/3は入院収益で、1/3が外来というイメージであるが、特に入院が新型コロナウイルス感染症後、減っている。特に入院数の減少が目立っている。

これは単に、新型コロナウイルス感染症により医療が影響を受けた3年間のうちに、入院の需要自体が減ったからなのかもしれない。
特に療養病床の入院患者数が減っている。
これは恐らく、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い面会制限がなされ、病院によっては週1回、10分程度と制限されたことが関連しているのではないかと思う。


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