自分で判断して、自分で選択して、自分で築き上げる。
私の人生はずっと主役が不在だった。
何を判断するにも、他人の目を気にして、親の目を気にして、、、
自分が本当に何をしたいのかさえ、わかっているようでわかっていなかった。
何を選択するにも、他人の意見に左右されて、親が喜ぶだろう道を選んで、、、
自分が本当はどう生きて行きたいのかなんて、考えてもいなかった。
ただ「普通に」「親が安心する道」を歩めていることが正解だと思っていた。
まわりから「浮く」事を極端に嫌い、まわりの「目」を常に気にして生きている両親に育てられ、その姿を見て育つうちに、無意識に自分の中に染み込んでしまった思考。
昔の田舎での生活においては、それは必要なことだったのだと思う。
そういう時代だったと思う。
自分が親でもある今、両親も不器用なりに一生懸命育ててくれたと感謝している。
でも、「主役不在」の私の人生はまるで修行かのように辛かった。
どうして私の人生ってこんなに生きづらいんだろう、、、
そうして私の人生ってこんなに辛いことばかりなんだろう、、、
それはそうだ。
「私」が心地いい道ではなく、他人の価値判断で選択している道なのだから。
心地いいはずがない。
今ならそうわかるけど。
当時はモヤモヤと違和感はあるものの、それに気づくことはできなかった。
「主役不在」の人生は、離婚により新生活をスタートすることで終止符が打たれた。
「親」としてタッグを組んで子育てしていくはずが、一人となった。
離婚できてホッとする反面、「これから」を考えると、冷や汗が出るほどの不安と恐怖も感じていた。
子どもたちをしっかり守らなければ。
子どもたちの人生をしっかり守らなければ。
経済的な安定も、、、生活も安定させていかないと、、、
自立しないと、、、
そう思うと、責任の重さをより実感してしまって冷や汗が出た。
どうして私の人生はこうも波乱万丈なんだろう、、、
どうしてこうも辛いことがやってくるのだろう、、、
そういったやるせない気持ち。
と同時に、そんな風に右往左往して、考えても仕方ないことをいつまでも考えてばかりいて決断しない、できない自分に対する怒り。
不安と怒りの間で冷や汗かきながら右往左往。
今なら「ちゃんと調べて後は動くだけだよ!動けば明るい未来が見えてくるよ!」
なんて言ってあげたくなっちゃうけど。
当時は、何か調べると「自分には不可能だ」と言うことがはっきりするんじゃないか、その現実を突きつけられるんじゃないか、という怖さもあって「調べる」ということにも一瞬ためらった。勇気を出す必要があった。
そのくらい「自信」がなかった。
自分には経済力もないし、貯金も心もとない。頼れる人もない。
何か手に職があるわけでもないし、華々しいキャリアがあるわけでもない。
ゆえに「自信」もない。
そんな私を突き動かしてくれたのは、まだ生まれたばかりの子どもたちの「笑顔」と「ママだいすき!」という言葉。子どもたちの存在が私に勇気をくれた。
この尊い笑顔を守ってみせる!
子どもたちは私の宝。
この子たちを守れるのは私だけ。
何がなんでも守るんだ!
そんな風に思うと「断固たる決意」ができた。
子どもたちの笑顔を見ると、不思議と強くなれて勇気がでた。
今までやったことのないことも、自信がない私でも、なんとかやれた。
行動力がないと思っていた自分でも、次から次へと動けた。
ここからは、ただひたすら「自分で決めた人生」を突き進んできた。
自分のために、子どもたちのために。
人生は選択の連続。
何気ない日々にもたくさんの選択が迫られる。
迷ってる暇などなかった。
ただひたすら、子どもたちのしあわせを願って進んできた。
子どもたちの存在が私に力を与えてくれた。
自分で判断して、自分で選択する。
そうした日々を積み上げて「自分の人生」を築いてきた。
今の私にはその自信がある。
子どもたちも自分たちらしく、のびのびと育ってくれている。
今ではその子どもたちの姿を見て毎日しあわせを感じている。
一人で頑張ってきたこの道も、今では子どもたちと協力し合って進んでいる。
子どもたちの成長を感じるたびに感謝の気持ちでいっぱいになる。
私も子どもたちに負けないように成長していくぞ!と元気をもらっている。
子どもたちには自由に生きて欲しいし、そのように導ける親でありたい。