『動機』と『やること』の関係性
この所、自分の人生がうまくいっていない時は、
状況把握がうまくできていない時だと知った。
なので、自分の普段の情報処理の仕方と、何が必要なのかを記録しておく。
【現在の前提】
・私は、あらゆることに対して体験・経験が乏しい
・私は、人からの話をまず初めに『言葉』に重きを置いて捉え、
理解しようとする。
【普段の私の情報処理とものごとの受け取り方】
①相手の『言葉』を聴いた時に、
自分が知らないこと、初めて触れるものについては特に、
頭の中で『この人はこういうことを思い浮かべ、こういうことを
伝えているんだろうな』と推測をする
②私が推測で思い描いたことを、私が頭の中で思い浮かべる
③私が相手の言葉から推測で思い描いたことと、
相手が思い浮かべたことをすり合わせず、自分の推測だけで事を進める
=状況把握力が乏しい。
(11月のせかすくふれんずBIZにて知った私の状態)
【すりあわせない理由①】
分からない自分、知らない自分は
「恥。他者に分からないことを何度も聴くなんて迷惑。いないほうがい
い。」と思っていて、相手に尋ねないことで、”分かっている、知って
いる自分”を守ろうとしている。
【すりあわせない理由②】
相手と自分の違いを知り、それでも分かり合いながら
ことを進めていくことが面倒だと感じている。
④相手は、相手が思い描いたこととあまりにも違うことを私がやっている
ので、驚く。
⑤わたしは、自分の思い描いたことが、相手の思い描いたことと違うと
いうことを受け入れがたいので、いじけて自分を責める思考になる。
(私だって考えているのに、とか、右耳が悪いから聞き間違えたんだ、
とか、はいはい私が全部悪いです、等、後付けの理由、というか、
言い訳をひねり出す。)
⑥そもそも。
わたしも相手も『動機』を話していない時、関心を持っていない時に、
大きくすれ違いが起こる。そういう時は自分も相手も「やること」(どう
やって動機を叶えるのか、その方法や手段)の詳細な検証に入ってしま
い、そもそもの『動機を叶えること』に焦点をあてなくなってしまう。
わたしやあなたの『動機』を叶えるために、「やること」があるのだ。
わたしは、他者に、自分の行動の動機を委ねて生きてきた時間が長
い。その習慣が染みついている。
やることだけをやっても、
何を叶えているのか分からないまま生きるのは、
全てにおいて実感が薄く、空虚だなあ。。。
相手が私にしてほしいことを聴いた時に、
その動機(何故、私に今それをしてほしいのか)を聴かずにすると、
『やることだけをやる』ことになる。
反対に、私が相手にしてほしいことを伝える時も、自分の動機を伝えて
いない時に、相手へのただの指示・命令になる。
相手も「やれと言われたことをただやる」ことになり、そこに、お互いの
どんな希望があったのかを全く重要視していないから、何事においても実
感が薄い日々になり、不満足が溜まっていく日々になっていく。
限られた自分の時間も、相手の時間も大切にしていない。
”動機は■■。そのためにやることは〇〇。
そのやることの中でも、△△という方法が、
最も動機を叶えるのに適しているのではないかと思うけど、どうかな?”
動機を伝えあい、すり合わせ合うことに、一番時間を使おう。
やることをやって満足していた私は、
そろそろ、それでは不満足になりつつある。
また「やること」も、その通りに出来ていない自分も、大いに不満足だ。
私は、相手の動機と私の動機、相手の思い描いていることと私の思い描いていることをすり合わせ、「やること」は、アイデアを出し合い、工夫し合って、協力し合って生きていこう。
『私が居なくなるか、相手が居なくなるか。』という
『私が死ぬか、相手が死ぬか』という排除し合う世界から
『みんながありのままでいて、それが一番の平和につながっている』
という世界を私は観たいし、その世界を創りあげる一員になりたいのだ。
今日のお昼ご飯は、パートナーむねじのリクエストで、
ベトナムフォー風にゅうめんに決定した。
私は、今日リストアップしたしたい仕事もやりつつ、
ベトナムフォー風にゅうめんも作って、パートナーと一緒に、
はふはふ食べるのだ。
限られた時間を、沢山のやりたい事がある私は、
自分の願いも誰かの願いも叶えながら、大切に生きよう。
私の人生を生きる大きな動機は
『魂は不変でも、この身体とこの環境で過ごすのはこの一度きりだか
ら、この一度きりの人生を楽しみ尽くしたい』。
今世死ぬときに『もー満足。あー楽しかった。じゃねー♪』って言っ
て、死にたいな。