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犬を飼い始めたときの話。

前書き

もう犬を飼い始めて8年になる。
もともと犬は好きだったが、知識もなく、飼うことは出来ていなかった。

私の妻は小さい頃から犬を飼っていて、僕と付き合い始めたときにももちろん犬を飼っていた。
そして一緒に暮らすことになり、「連れ子」の犬も一緒にやってきた。

僕としては長年の夢がかない、妻もドン引きするくらい溺愛することになる。
完全に犬にハマり、結婚する際にも二人で話し、婚約指輪の代わりにもう一匹犬を買って買うことにした(※結婚指輪は買いました)。
新婚旅行も海外には行かず、犬二匹も一緒に車で1週間、日本中を回りました。

そんな当時の話です。


三回回ってワンと鳴くことも出来ませんが(本文)

アインシュタインの相対性理論とは矛盾してしまうが、基本的に時間というのは平等なものであり、その変化に抗うことは出来ない。
木に年輪が刻まれていくように、万物は更新され続ける。
あとはそれを受け入れるのか、見て見ぬふりをするのか、その結果が「現在」というものである。

この夏から、家族が増えた。語弊がある。
DAIGOのように、女性に「KSK(結婚してください)」と言ったわけではなく、要は犬を飼い始めたのである。

ミニチュアダックスフント。名前はポテチ(仮名)。
溺愛している。可愛すぎる。
芸は何も出来ないバカ犬な上、部屋を汚しまくるウンコ犬だが、なぜか許せてしまう。
バカな子ほど可愛いというのはこのことである。
基本的にヒマな時はいつも構ってやっている。おでかけにもよく連れて行く。

朝、腹が減るとクンクン鳴いて、飛び跳ねて、しっぽでゲージをガンガン叩き、まるで一時期話題になった「引っ越しおばさん」のように起こされる。ソファーでせんべいを食べていると奪われる。散歩に行くと、真っ直ぐ歩いてくれず、草むらで種まみれになったりもする。
粗相をしないように、オムツをはかせて帰ってきたら、かってにオムツを外した上、それを食いちぎり、中身のビーズとウンコとオシッコまみれになっていた。

人間にはなつくくせに、スズメやバッタにすら怖がって逃げる。
折角買ってやった服やマットを噛んでダメにしてしまう。
なぜか僕の腕や足を掴んで交尾を始める。オレの手足は何に見えているのだろう。
エサを手にして「待て」を教えようとしたら、指ごと食われた。
従順なときはと言えば、メシを与える時と散歩に連れて行ってやる時(初めにリードを付けてもらう時だけ、おすわり、または伏せをする)だが、最近は何とかトイレは覚え、ソファーで構ってやれば落ち着く程度にはなったので、後はもういいやと全て諦めた。

ほんの3ヶ月前までいなかったのに、今ではコイツの世話をするのが当たり前になった。
手が掛かって腹立たしいが、不思議と嫌いになったことはない。
これほど人間を純粋な気持ちにさせるものが他にいるだろうか。
3年前、中学の担任を始めた時も、少し人間らしい気持ちを取り戻したような気がしたが、今度はこのバカ犬のおかげで、もう一段階、「人間」に近づいてきた気がする。

小さい犬なので、いつもトコトコと歩いているが、そんなペースで僕も、人の道を歩んでいるのかもしれない。


あとがき(8年後の現在)

今年6歳になる息子も、生まれたときから犬がいる環境で、一緒に遊びながらすくすく育っています。本当に、心から、犬を飼って良かったと思っています。

少し年を取ってきたな、と感じるけど、まだまだ元気です。子どももそのうち、親とは遊ばなくなるし、家族五人(うち二匹は犬)の思い出を、もっともっと作っておこう。


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エレカツ@国語教師
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