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うつくしま、ふくしま。ジャーニーラン 2024 参戦記

意気込み

 『Backyard Ultra - World Team Championshipsの日本代表にもう一度なりたい!』
 2022年にBackyard Ultra - World Team Championshipsに参戦した直後からこの想いは変わっていない。2024年の参戦権は、覚悟も練習も足りていなかったため、49Loopで終わってしまい、獲得することが出来なかった。また、次の2026年の参戦権を得るためには2025年のバックヤード大会で結果を残す必要がある。今度こそ心と体を鍛えて走り続けるぞ!目指せ、無限Loopの達人!!
 それまでに何が必要かを考えた結果、2024年からウェイトを使ったファンクショナルトレーニングを週1回取り入れ、肉体改造に取り組み始めることにした。最初は新しい刺激が脚全体に入り、筋肉痛やら疲労やらで肝心のランニング練習がおろそかになってしまった。
 しかし、6月頃にはファンクショナルトレーニングとランニングの両立ができるようになってきた。7月に出場した第2回房総半島1周では、90km地点で股ズレが発生…。170㎞地点まで粘ったけれど、残りの120kmで激痛に耐えることができずDNF。しかも、6月のH3も120kmでDNFだったので、3連続DNFは絶対に避けたかった。
 そこで、股耐性を向上させるため取り組んだのが、
    ・インナーを変えて慣れること
    ・水を被ってビショビショ状態にして走り続けること
ちなみに、股耐性の向上については今考えるとマヌケなアイデアだけど、「紙やすりで毎日擦り続けたら皮膚が固くなるのかなぁ?」なんて真剣に考えている自分がいた。もちろん、実行する勇気はなく、結局普通に走ることを選んだけど…。

大会概要

 この大会の参加を決めた理由、それは開催目的に共感できたからだ。(決して信越五岳のクリック合戦に負けたせいではないw)


開催目的
①多くのランナーに、自らの脚で日本の原風景を残した「うつくしま、ふくしま。」の様々な魅力に触れながら豊かなときを過ごしていただくこと。また、その魅力を広く発信していただくこと。
②私たち(NPO法人スポーツエイド・ジャパン)が掲げる目的達成のために行う特定非営利活動の一環として、2011年に発生した福島第一原子力発電所の事故による甚大な被害を被った地域の復興に貢献すること。(開催要項より)

 部門は以下の3つで、
   ①250㎞
   ②前半の122㎞
   ③後半の128km
自分は迷わず250kmを選択した。

南相馬市をスタートし、福島市や郡山市を通り、猪苗代湖を回って郡山市へ戻る。
さすが福島県!という事で山間部が多く、獲得標高は約2800m D+。何度も峠走区間があった。

CP1後の序盤はまだ良いが、CP9以降にある190kmを過ぎてからの峠走はかなりキツかった( ノД`)

スタートまで

 開会式と競技説明が14時~、スタートが16時ということで、当日移動で福島県南相馬市へ向かった。スタート会場までは、大会が用意してくれた新宿発のマイクロバスで移動。バスは20名以上乗っていたが、残暑のせいなのか冷房があまり効かず、日差しが強い時間帯はかなり蒸し暑かった。途中からは曇ってきて涼しくなり、ホッとした。

こんな感じで補助席も使用したし、半分以上の人は荷物を抱えて乗っていた(>_<)

 途中パーキングエリアで休憩をとり、13時過ぎに会場に到着。結局寝たのは15分くらいだったけれど、目を閉じていたおかげで身体はなんとか休まったし、目的地まで運んでくれるのは本当にありがたかった。到着して受付を済ませ、近くのコンビニでおにぎりを買って食べた。ジャーニーランの大会なので、ほとんど知り合いはいなかったけれど、神奈川県から来た芳賀さんや、今回優勝した袴田さんが話しかけてくれて嬉しかった。その後、ヨーコさんとも挨拶でき、ワタルさんやリエコさんと楽しくおしゃべりしながら写真を撮った。房総半島1周でご一緒した荒井さんや池田さんとも再会し、心がどんどん温かくなっていくのを感じた。
 参加者みんなで集合写真を撮り、いよいよスタート!

ワタルさん、リエコさんと!
あれっ!?ひとりだけヒザの位置が…オレ低重心?w
クマ出没注意!!ということでロードだけど熊鈴着用。
カーリーが作ってくれた高松山グルグルクラブのワッペンを背負い、いざ出発!

スタート → CP 1 相馬市 フレスコ キクチ相馬店

 今回の作戦は "バックヤードを意識してキロ6分半~7分半位の出力をなるべく最後まで維持するのを試みる" とした。さらに、各エイドやコンビニでの休憩、中間地点での入浴&休憩の1時間を含め、バックヤードペースとなる37時間でのゴールを目標とした。
 スタートは122㎞の部のランナーも同時だったため、自分より速い人が多かったが、気にせずマイペースに走り続けた。気温22度でほぼフラットな道だったが、湿度は100%に近く、汗が全く乾かない状態だった。相馬市の街並みは築浅な家が多く、震災で建て直されたからなのかな?と思うと何とも言えない感覚が湧いてきた。序盤、昨年の女子優勝の向山さんが少し前を走っていた。力みなくラクに走ってるように見え、それでいて自分より速くて、気づいた時には見えなくなっていた。
 15kmくらいのところでワタルさんに追いつき、並走することができた。ワタルさんは、自主企画でロングランを色々やっている方で、自分のスタイルでランを楽しんでいる感じがとても素敵だった。その後、前回優勝者の三谷さんが横を通り過ぎて行った。三谷さんは2023年の福島のバックヤードで51Loopも走ってアシストになったとんでもない猛者だ。その実力にあやかりたいと思い、後ろから走りを観察した。身体の左右はもちろん、上下のブレもなく、本当に無駄なく進んでいたのが印象的だった。その後も、ワタルさんといろいろ話せたおかげでとても楽しく、アッという間にCP1に到着した。

CP1 (21km 2:17、26位) → CP2 伊達市 霊山こどもの村入口

 CP1は序盤だったので、焦らずしっかり補給することを意識した。うどん、おにぎり、ランチパック、梨、ドリンクをいただいた。2kmくらい走ったところでコンビニに寄り、「速攻元気」を購入した。これで速攻で元気になれるはずw
 そこから長い上り坂区間に突入した。標高が450m位上がるけれど、急な斜度ではなかったので淡々と走って登っていくことができた。街灯はなく、車もほとんど通らない静かで暗い峠道で、霧も出てきて全くどこを走っているかわからない状況だった。しかし、そのおかげで自分の走りに集中できて、何人か抜くことができた。

闇夜の中、前のランナーのライトを追いかけていた。

 登り切った辺りに自販機があり、そこでヨーコさんに会うことができた。お互いに元気な顔を見せ合いながら、飲み物を買い飲み干した。5㎞くらい走って次のエイドに到着。

 CP2 (区間27km 総距離48km 5時間33分、16位) → CP3 福島市 JR福島駅前

 エイドでは大好きなカレーを食べた。かなり美味しかったが、少しスパイシーだったので、中和するために飲み物をたくさん飲み、メロンや梅干しを食べて出発した。エイドの先はしばらく下る感じだったので、胃が揺れるのを避けるために6分/kmより速くならないように抑えめに走った。途中私設エイドが出ていて、飲み物を頂けて助かった。ただ、10㎞ほど下ったところで徐々に胃がムカムカし始め、気持ち悪さが出てきてしまった。早めの対処が肝心だと思い、ちょっとした登りのところで一旦歩きを交え、リフレッシュを狙うことにした。ちょうどよくコンビニも出てきたので、糖分の無い炭酸水を購入した。そのおかげで、30分くらい歩き続けたところで気持ち悪さはなくなり、走りメインに戻すことができた。
 徐々に街に近づいてきたタイミングで122kmの部の選手に追いつき、話をしながら進めたので心が少し楽になった。ここまでほぼ暗闇の世界にいたのに、福島市街地に近づくにつれ街灯が灯り、ネオンが光る繁華街に出て、酔っ払いにも遭遇するようになった。「これが都市の活気か…。」と実感しつつ、CP3のJR福島駅に到着した。

CP3 (区間27㎞、累積75㎞ 8時間56分 11位) → CP4 二本松市 智恵子の生家

 CP3では、うどん、おにぎり、稲荷、フルーツを頂き、元気を取り戻した。とはいえ、相変わらず胸やけが残っていたので、途中の補給は水だけにして進むことにした。しばらくすると、走っているのに力が入らない感じになってきた。「これはもしかして、エネルギー不足?」と思って補給をしたが、あまり変わらなかった。どうやら、エネルギー不足ではないようで、肉体的な眠気による出力低下が原因かもしれないと疑い始めた。
 ちょうど少し先にコンビニが見えたので、アイスカフェオレを購入して一気に飲んだ。2週間カフェイン断ちをしていたので、久しぶりのコーヒーはやっぱり格段に美味しかった~(´▽`)!!その後、15分ほどで力が入るようになり、いいリズムで走れるようになった。
 そのままCP4に近付いたが、道にあった智恵子の生家の矢印看板を誤認識してしまい、時計に入れていたマップと違う場所に行ってしまった。「これは迷子のフラグか?」と焦りながらも、5分ほど彷徨って無事にCP4に到着。無事に辿り着けてホッとした。

高村光太郎の奥様智恵子の生家。

CP4 (区間19㎞、累積94㎞ 11時間26分 12位) → CP5本宮市 JR 本宮駅前

 このCPはエイドがなかったため、スマホで通過登録だけ済ませて走り続けた。途中、街中にある坂は歩いたが、それ以外は6分半ペースで順調に進むことができた。その結果、CP4から4kmほど進んだところで、久しぶりにランナーを発見!CP3から約3時間ぶりに出会ったランナーに少しテンションが上がり、身体がほんのり軽くなった。追いつくと、リエコさんや122㎞の部に出ていた小松さんを含む4人の集団だった。互いに調子などを話し、辛いのはみんな同じだとわかり、リラックスできて良いリズムで走り続けることができた。次第に空が明るくなり、心地よい気分でCP5へ到着することができた。仲間と同じゴールを目指して進むのはやっぱり心強いなと感じた瞬間だった。

CP5 (区間14㎞、累積109㎞ 13時間05分 7位) → CP6郡山市 まねきの湯

 エイドでフルーツポンチとうどんを食べているとき、自分のことを知っているスタッフの方と話しながら休憩できて、とても和むことができた。エイドでは三谷さんに会えたり、折り返し区間では、小松さんやリエコさんとスライドでき、それぞれ応援し合えたのが嬉しかった。

CP5のエイド食。食べ物も飲み物も色々ありどのエイドも待ち遠しかった!

 途中、橋の工事の影響で迂回ルートとなり、距離が伸びた区間があった。誰もいないのを確認して、「なんで距離増やすんだよー(ノД`)・゜・。」って独りでグチろう思っていた矢先、朝6時前にもかかわらず私設エイドを出してくれている方を発見。お陰で元気パワーをもらえたので、グチはどこかへ飛んで行った。「単純だなオレ…w」と思いながらも、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 そこからさらに5kmほど走ったところでまた別の方が私設エイドを出してくれていた。少しだけ酸味のあるリンゴをいただき、胸やけに効きそうだと思え、より美味しく食べることができた。CP6の直前でエネルギー&水切れ感が出たので、自販機でアロエジュースを買って、無事にCP6に到着した。

CP6 (区間15㎞、累積124㎞ 15時間04分 7位) → CP7郡山市 萩姫ポケットパーク

 この大会の大きな特徴の1つである中間&ゴール地点であるこのCPの「まねきの湯」に入るのが楽しみでしょうがなかった。このお風呂の案内をしてくれたのは、房総半島1周で一緒に走った6日間走日本記録保持者の吉沢さんだった。世界大会で足を痛めたと言っていたが、そんな中でもボランティアをしながら歩いている姿には驚かされた。
 お風呂ではしっかり身体を洗いながら股ズレチェックを行ったが、インナーとタイツの組み合わせ、そしてトイレのたびにボディグライドを塗っていたおかげで、ほぼ無傷だったことに安堵した。その後、冷水→ぬるま湯→冷水と繰り返して身体をスッキリさせた。
 しかし、ここで重大なミスに気付いた…。後半戦のために準備していたインナーの丈が短かったのだ。内ももが直接当たるような丈だったので、内ももにもワセリンをこれでもかと塗りたくった。太陽が出ていたのはこのCPに入る直前の1-2時間だけだったにもかかわらず、かなり肌がヒリヒリしていたので、暑さ対策もしっかりしなければ…と日焼け止めも塗り、足首にテーピングをして出発した。
 ここでの時間は漫然と過ごさず、自分の狙い通りに行動することが大事だと思った。計画通りほぼ1時間で再出発出来たが、今回2位だった池田さんは「ジャーニーランは楽しまないとねっ!」と笑顔で言いながらお風呂の後に朝食&仮眠を取ってから出発していた。やっぱ猛者の余裕は違うなぁと感心した(;゚Д゚)
 CP6を出たあとは、脚にはまだ余裕があったが、気温の高さと日射しの強さが昨年の房総半島1280kmの2日目を彷彿とさせ、苦戦を強いられる予感がした。昼前後からは雨予報だったので、雨が降って気温が下がるまでは無理せず体力を温存する作戦を取ることにした。内モモのスレが気になったので、最初のコンビニで大きめの防水ばんそうこうを買って貼った。その後、どんどん気温は上がり日射しもきつくなり、ほぼ歩きになってしまった。コンビニを見つけアイスと水を買い、水は補給だけではなく自分にかけて体温を下げるのに使った。人の体は面白いもので、体温が下がると一時的に走れるようになることを発見した。体を冷やしたい!!という欲望のままに、コンビニを見つける度にアイスと水を購入した。あまりの暑さで心が折れかかり、この区間で初めて「やめたい病」が顔を出した(T_T)けれど、ほぼ一緒にCPを出た初めましてのすがぽんさんと前後する事で何とか救われた。

暑かった証拠を残すために、外気温計を撮ったがほぼ見えないw 32℃と表示されていた。

 次のCPまであと3㎞くらいというところからはすがぽんさんと一緒に進んだ。すがぽんさんは大江戸小江戸260kを完走した強者で、歩くスピードも速く、引っ張ってもらう形でようやくCP7に到着した。ここまでの道のりは辛かったけれど、仲間の力を借りて乗り越えた達成感があった。

 CP7 (区間19㎞、累積143㎞ 19時間09分 6位) → CP8猪苗代町 JR 翁島駅前

 このCPにもまた吉沢さんがいて驚いた。暑さのせいか胸やけに加えて少し気持ち悪さが出てきたため、うどん以外は食べるのをやめ、アクエリを多めに飲んで少しゆっくりした。すると徐々に風が出始め、天気の変化を感じた。ここから先は5kmで300m弱上がる長い上り坂なので、「早く曇ってくれ~。」と願いながら出発した。
 出発直後は力が中々入らず、1km進んだところにあるコンビニで購入したガリガリ君と水で体内を冷やした。そのおかげで気持ちも少しスッキリしてまた前へ進めるようになった。まだ日射しがあり登りだったので、ボルトに入れていた水を定期的に腕と首に掛けながら歩いた。この区間は交通量が多い国道にもかかわらず、歩道がないためかなり気を使ったが、車が真横を通るたびに風が起こり、それがとても心地よかった。少しずつ日射しが雲に遮られ、体温上昇が抑えられたおかげで、ゆっくりではあるが自分の走りを取り戻せるようになった。徐々に楽しさが増し、気付いたら気持ちよく走って進んでいた。
 ようやく上りが終わり、もう少しで猪苗代湖というところで今度は雷が鳴り始めた。最初は遠くで鳴っていた雷も、だんだん近づいてきて、あっという間に土砂降りに巻き込まれた。慌ててレインの上を着て事なきを得たが、苗代湖の向こうは半分雨で隠れており、これから先は雨との戦いになることがわかった。

ようやく猪苗代湖に着いたが、左半分は土砂降りのため真っ白。のちにこの土砂降りにやられた。

 その後、ちょうどコンビニが見えてきた。雨の中だと自分は補給を面倒臭に感じてしまうので、次のエイドまでの1時間半分のエネルギー摂取を意識して、速攻元気とザバスを飲み出発した。そこからCP8までの10kmは強い雨が降り続き、レインを着ていても少し寒いぐらいだった。国道を走っている車に何度も水を掛けられたが、むしろそれすらも楽しめる濡れっぷりだった。この時、インナーもびしょ濡れでオナラの抜けが悪く、放屁後にインナーが膨れて一瞬漏れてしまったのではと勘違いしてめっちゃ焦った(。-`ω-)。そんなイベントも気を紛らすいい機会になったな、なんて思いながら走りを続け、少しだけ雨が弱まってきたタイミングでCP8に到着した。

CP8 (区間24㎞、累積167㎞ 22時間58分 5位) → CP9会津若松市 JR 会津若松駅前

 まだ胸やけは取れていなかったがお腹は空いていたので、うどんやフルーツを食べた。ここでもエイドのスタッフに優しくしてもらい、楽しい気分で出発。その直後にすがぽんさんとすれ違い、挨拶して走り出した。この区間は下り基調なので、リズムを取り戻すための大事なパートだと思っていた。
 強い雨のおかげで集中力は増しており、下りはいいペースを保てた。しかし、登りになると歩きも混ざるようになってきた。次のCPまで約7kmのところでようやく雨が弱まったのでレインを脱いだが、その辺りで股ズレだけでなく、内ももズレの痛みが気になり始めた。ずっと雨で走りに集中していたため、スレのケアが疎かになっていたのだ。見ると、両側の内ももがスレて一皮剥けた感じになっていた。次に出てきたコンビニでストッキングを購入し、太ももの患部を覆う形で巻き付けた。このおかげで痛みが和らぎ、また走れるようになった。街中に入り、歩行者も増えてきたところでCP9に到着した。

CP9 (区間19㎞、累積186㎞ 25時間36分 5位) → CP10会津若松市 背炙山レストハウス

 CP9はエイドがなくスタッフもいないため、通過を携帯で連絡するだけだった。なんとなく証拠として出せるよう写真を撮って出発。観光客と思しき人たちもいて、久しぶりに人々の賑わいを感じた。

CP9会津若松駅。二晩目が始まろうとしていた。

 会津若松駅周辺のアーケード街を抜けて、2kmくらい進んだセブンイレブンに寄り、これから訪れる今大会最大の難所、背炙山への峠走の準備をした。この先、約9㎞で600mの上りが待ち受けており、さらにここから50kmはコンビニもないため、コーヒーを飲みエネルギーを摂取し、補給用の「速攻元気」をザックへ入れて出発した。
 その直後、妻から「今、那須塩原を通過したよ!もう少しで福島だー!」と、こちらに向かっている連絡が入った。残り65km、諦めずに頑張ろうと思えた。やはり応援されると元気になり、身体も動くようになるんだなーと実感しながら、いよいよ峠走に突入。
 最初は歩こうと思っていたが、歩くと左スネが痛むのが気になり始めた。歩きよりは走りの方が痛みが弱かったし、筋肉はまだ残っている感じもあったので、行けるところまで走る作戦へ切り替えた。体感的には10-15%ほどの傾斜が続いていたため、速くは走れずキロ8分ペースで粘り続けた。5kmほど走り続けたところで歩きを交えるようになった。ただ、歩くとキロ12分ペースになってしまったので、できるだけ早めに走りに戻せるように意識した。
 途中から霧が出始め、視界が足元の上り坂のみになったため、無限坂地獄へ迷い込んだかのようだった。それでも、この峠道を8割以上走れたことで根拠のない自信が湧き、難所の終わりが近付いてきていることに嬉しさを感じ、少しポジティブ思考に変わっていった。そして、どうにかCP10へ到着した。

CP10 (区間14㎞、累積200㎞ 27時間57分 5位) → CP11郡山市 舟津公園

 このCPでは温かく迎えてもらい、2時間ぶりくらいに人に会えて心が和んだ。また、そこには房総半島1周で一緒に走った荒井さんが横になっていた。約5時間ぶりに参加者にも会えて少しテンションが上がった。股ズレの痛みのせいか、眠気は全くなかったので、コーヒーは飲まず、スパゲティと卵スープを選んだ。カレーもあったが、まだ胸やけは続いていたので断念した。すると、タイミングよく妻と息子が到着して元気をもらった。荒井さんと少し言葉を交わし再度寝るとのことだったので、先に出発することにした。長い下りでスピードを上げたい気持ちはあったが、ゴールまではまだ52km。股ズレや左スネの痛みがいつ爆発するかが気になったため、キロ6分半ペースでひたすら走り続けた。
 序盤は霧があったが、それも途中で消え、暗い山中で白い世界が黒い世界に変わっただけだった。途中で風力発電機が見えたが、回っていなかったのが惜しかった。しばらく下ってほぼ平坦になり始めると、急に身体が重たく感じるようになり、痛みも増していった。相当歩きたくなったが、筋肉はまだ残っている感じがあるし、仲間や家族の応援や同日開催されていた信越五岳で頑張っている仲間のことを思い出して心を奮い立たせた。
 「痛いのは気のせいだ」とか、「苦しみから早く解放させるための囁きだ」と、根拠のない言葉を自分に投げかけながら、できるだけ歩かず走るようにしていた。この区間は、コンビニどころか民家もあまりなく、車もほとんど通らず何もイベントがないのでより長く感じた。ゴールまでの距離が42kmを切り、解放へのカウントダウンが始まったが、痛みが増し不安と戦いながら「何とかゴールしてやろう」という気持ちも強くなっていった。
 まずは最後のCPに着く事に集中していたが、CP手前3kmくらいのところで意識していなかった急なプチ峠に驚かされ、さすがに歩いてしまった。歩くことで自分のボロボロさに気付いてしまったが、数分で下りになり、重力を使って再び走り出せたことでマイナスな気持ちを長引かせず、最後のCPに到着した。

CP11 (区間22㎞、累積222㎞ 30時間55分 4位) → ゴール郡山市 まねきの湯

 ゴールまでラスト30㎞。次のコンビニまでは約20㎞あるので、しっかり補給をすることにした。うどんとおにぎりを食べ、妻から応援をもらい、早々に出発した。長く休みたかったが、早く痛みから解放されたい気持ちの方が強かった。
 この区間は最初7kmくらいはほぼ登りだったが、斜度はそれほどキツくなく、淡々と走り続けることができた。すると徐々に股ズレの痛みが和らいでいるのに気付いた。最終区間に入ったことでアドレナリンが出始めたのかと思い、ひたすら走り続けていた。
 しかし、途中で寄ったトイレで、インナーと一皮剥けた皮膚がくっつき、一体化していたことに気付いた。剥がさないと用を足せない…。軽く引っ張っても全然剝がれる感じがしない。覚悟を決めて一気に引き剥がした・・・Σ( ̄□ ̄|||) その瞬間、股間が爆発した。衝撃が走り、目の前が真っ赤になったような感覚になった。その直後に股間が燃え上がったかのような熱さを感じ、遅れて激痛が股間から脳天へ抜けていった。深夜の真っ暗な誰もいない山道で「だぁぁぁぁぁぁーーーーー( ノД`)ーーー。」と悲痛な叫びが響いた。
 そこから痛みが和らぐまでの時間が地獄のようだった。1歩歩くごとに叫び声が出るほどの痛みで、あと20kmもこの痛みには到底耐えられず、リタイアが頭をよぎった…。今年の房総半島1周に続いての股ズレリタイアはさすがに避けたかった。歯を食いしばり、なんとか歩き続けると、徐々に皮膚とインナーが再び付着し、痛みも耐えられる程度まで軽減され、ジョグを再開できた。ただ、再度インナーを剝がすのか…と考えるだけで心が折れそうだったため、残り20kmは「絶対にトイレには行かないぞ!!」と決心し、水分補給量も抑えることにした。
 程なくして峠を越え下りに突入したが、股ズレだけでなく左スネ痛も悪化してきたので、足をなるべく身体の前に出さないように意識しながら下り続けた。ラスト15kmほどで平坦になり始めると身体が重く感じ始めたが、キロ8分ペースで進み続ければ35時間を切れそうだったので、色んな痛みを押し殺してキロ7分半ペースで進み続けた。
 残り7km位のところで、今回女子1位総合3位だった廣澤さんに追い付いた。今度は6時間ぶりの選手との遭遇で、声を掛けると相当な睡魔に襲われているようで、すぐ先のコンビニで対応するとのことだった。自分はあちこち痛すぎて睡魔にやられる心配がなかったため、先行することにした。しかし、残り5㎞で左スネの痛みが悪化し、全く走れなくなってしまった。「あと5kmくらいならもういいや…」と心にブレーキがかかり、35時間切りを目指す気持ちが薄れていった。最後の最後で弱い自分が出てしまい、悔しいし痛いし情けない気持ちになった。そして、ゴール手前2km弱のところで復活した廣澤さんに抜かれた。その後も歩き続け、ゴール手前で待ってくれていた息子に気付いたが、一緒に走ることすらできず、トボトボと歩きながらようやくゴールに辿り着いた!!

色々なものから解放され安堵できた

 結果は、35時間21分。総合4位(男子3位)だった。痛みの地獄から解放され、家族や運営の方々に温かく迎えられ、何とか辞めずにゴール出来て本当に良かったと思えた。代表の舘山さんやウッチーさんの奥様や他のスタッフに3位入賞を祝福してもらえたのも、とても嬉しかった。本当にどうもありがとうございました!
 ゴール後、息子と一緒に風呂に入る時に脱衣所でもう1度股間が爆発。精魂尽き果てた(=_=)

男子3位に入ったご褒美(賞品)にジェルをもらえました!

レース後の振り返り

 目標だった37時間切りは果たせたものの、最後の5㎞の大失速が悔しかった。また、房総半島1周と同じスレ系のトラブルを起こしたことも反省点だ。さらに、胸やけにはずっと苦しめられたので、今後は走っている時のカレーは我慢したいと思った。(球磨川でカレーの危険性を学んだはずなのに、また同じ過ちを繰り返してしまった…。)

前半と苦戦したCP7への区間が遅い。また最終区間で堪えきれなかった。
この中では、前半は遅いし速度の落ちっぷりも変わらないため勝負にならず。一方で、後半はそこまで落ちずバックヤードペース(6.7km/h)をギリ維持できている区間もあり、粘れるようになってきているのかもしれない。トップだった袴田さんは最初から速いうえに落ちが少ないのが凄い。
区間タイムと、順位。結果として、後半順位を上げられたのは良かった。

 結果を見ていると、レベルアップするためには最初からもう少し速いペースで入り、それを維持できるようになる必要があるように感じる。そのためには、日ごろのジョグの巡航速度を上げ、距離を稼ぐ練習が必要だ。
 ただ、その前に解決しなけらばならない問題がある。まずは、股ズレと内もものスレ問題、次にスネ前の痛みの問題だ。スレについては、とりあえず色々なスパッツや保護テープを試してみたい。スネの痛みについては、引き続きフォーム改善に取り組むつもりだ。脚全体の筋肉量とキャパシティが増えたおかげか、スレとスネ以外のダメージがあまりなかったのは嬉しい成果だと感じている。「痛み」との付き合い方を考えつつ、今回露呈した改善点と成長した部分を融合させれば、バックヤードで72時間超えも見えてくるだろう。これからもコツコツと積み上げていきたいと思う。そうすれば、無限Loopの達人になる夢も現実味を帯びてくるはず!

今回も家族の応援は力になった!

STRAVAの記録はこちら➡LINK


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