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40代から発達障害と知る意味【ASD】
はじめに。今回の話題は人によって非常にセンシティブなものです。
あくまで私個人の経験談と私見で書いています。
十分ご注意ください。少しでも不快に感じた際は速やかに回れ右、窓を閉じて頭から削除してください。
ここ数年、発達障害バブルなんて言葉をよく見かける。
SNSでも動画でも記事でも見かけない日はないかもしれない。
特に目にするのがADHD、ADHDをパートナーに持つ方のカサンドラ症候群についての話題。もちろん成人の発達障害の方だけでなく、お子さんに特性があって試行錯誤されているご両親の話もたくさん見かける。
それだけ増えた、というよりも、世の中に【発達障害】という特性を持った人たちが声を上げ、認知されるようになったのだろうと捉えている。
特にいま私と同世代、40~50代で発達障害に気付いた方は、幼少期から小学生のあたりの頃、まだ日本では知的障害を伴わない発達障害という概念も、診断基準もなかった。それだけ発達障害に関しては、まだまだ医療現場でも追いついていないらしい。
その上で、コロナ禍後に顕著になってきた働き方改革で、急速に変化してきた仕事の方向性からこぼれ落ちてしまう一定数の中年期以降の人たちが、
社会生活や結婚、人間関係で躓いた時、本人だけではなく周りから「あの人発達障害なんじゃないの?」と言われたりもするようになった。
思い悩んで、精神科や心療内科、時にはちょっと怪しげな施設で「自分は発達障害ではないか」と診断を求める人が増えた。
ということは、知っていた。
しかし富澤はこのブームが起き始めた当初、ほぼ関心がなかった。
完全に蚊帳の外に立っていた。自分には関係ないと思っていたからだ。
同じ時期に流行っていたHSPにもピンと来なかった。
自身がポンコツなのは自覚していたけれど、障害と付くからには相当な苦労をしている人たちで、それなりになんとかやってこれている私には当てはまらないと思っていた。
率直に【私なんぞが発達障害では?と感じるのはおこがましい】と感じていた。単に私は性格に問題がある人格的に未熟な人間であり、それを言い訳ににしてはいけない。努力が足りないだけなのだ。
そんなふうに信じていた。
のちにこの思考自体が洗脳というか、まさに父や祖母から植え付けられていたものであり、その行為自体が精神的虐待で、複雑性PTSDの土台になっていると精神科医と心理士さんにより気付かされるのだが、それはまぁ置いておくとして。
蚊帳の外にいたはずの富澤は、なんと45才でASD(自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群)及び、LD(学習障害の一種・ディスカリキュア)と診断された。
当時の私は「え、うそ、本当に?」で、結果を告げた近しい友人知人は「まあそうだと思ってた」だった。
富澤だけが気付いてなかった。
そもそも何故診断を受けたのかの経緯はこのとおり。
1.先に双極性障害2型と診断され、数年治療を続ける中で主治医が【発達障害がベースにある二次障害】なのでは?と気付いた。
2.主治医の勧めのまま、紹介された某国立の大きな有名病院の精神科にて3日間の診断(問診・WAISⅣ+ASDスコアなどなど)を受ける。
3.初診から3ヶ月後、【ASD、学習障害、幼少期のネグレクトと性的虐待からくる複雑性PTSD】と診断が出た。
当初、手渡された紹介状の表書きを見て、施設名というか病院名にビビり、その時初めて「もしかして大事(おおごと)なのでは」と震えた。
鈍いにもほどがある。
私が受けた診断過程は、まず担当医師からの2時間にも渡る問診、次に心理士によるWAIS‐Ⅳ(16~90才が受けられる知能検査)や色々なテスト、最後に総合的に担当医が結果をまとめて、告知、というコース。
トータルで3日間、3回の通院が必要だった。
香山リカ先生著の本で見かけた、色んな診断方法の中のいわゆる【丁寧コース】だった。
すべて保険が適用されたので、交通費を除けば3日間で5000円もかからなかった。
のちに他のコースを調べて見たところ、自由診療扱いで高額だったり、回数も一回で当日結果が出たりと様々なようだった。
受けた施設によっては、正式な場面では認められず(つまり医師からの診断書として通用しない)問題になったりもするというから、とても難しい扱いの症状なのだろう。
富澤は診断を受けると決まってから、一切診断に関わる情報を調べないと決めてシャットダウンした。
下手な知識を入れていくと、結果が濁る。特に心理的なものは、簡単に見たもの聞いたものに影響を受けるから、よくない。
その代わり、ずっと考えていたのは、成人後、しかもそろそろ人生も折り返しに立つ年代の私が、いまさら発達障害を疑われ、医療機関で診断を受ける意味はあるのか?ということ。
この時点で私が発達障害に対して持っている知識と認識は、【子どもの発達段階で現れる傾向】【ADHDというジッとしていられない症状が発達障害と言われている】【そういえば最近ニュースや有名人が公表しているのを見かける(よく分かってない)】【片付けられない人、汚部屋になる原因らしい(分かってない)】程度である。
X(旧Twitter)で時折流れてくる、「実は発達障害でした」という見出しや記事を見かけることがあっても、流し読みしていたので、何も頭に残っていない。興味がない、つまりは自分ごとではなかった。
ごく僅かな身近の人も、その手の話題を出す人もいなかったし。無知であった。
ASDは興味がないと、本当に全部スルーする。私はこの件にまったく興味がなかったのである。
閑話休題。
余談だが、実は一回目の問診の時すでに担当医から「昔はアスペルガーと呼ばれていた、自閉症⋯ASDで間違いないと思いますが、しっかり調べましょう。何が出来て何が不得意なのかを」と告げられていた富澤。
初日で、「あなたはASDです、おそらくね」と言われてたわけで、ASDなのは確定していたと言ってもよい。
重要なのは【どの程度の】ASD特性があるのか、ということだった。
二日目、WAISⅣの数値結果は、以下の通り。
【全検査IQ】94
【言語理解】115
【知覚推理】93
【ワーキングメモリ】80
【処理速度】81
IQ=94となり、知的には同年代の平均水準に位置している。ただし、能力的なムラは大きく、言語理解が高いが、ワーキングメモリや処理速度は平均よりも下回っている。下位検査にも得意不得意が極端で、 空間認知や数的処理が絡む問題になると能力が低下しやすい。また、単純な書き写し作業でも不得手が見られており、作業速度は普通の人よりも遅いだろう。
全体的に得手不得手がはっきりしており、苦手なことは他の能力で代替することも難しいだろう。
というのが心理士さんからの診断コメントだった。
かなり不器用ですね。とはっきり言われた。
ぶ、ぶきよう。そ、そうか。不器用。
地味に一番ショックだった。
なるほど、だから本人的にはめちゃくちゃ頑張っても、同じ作業をしている同僚に追いつけず、イライラさせてしまっていたのだ。
マニュアルを読めば大体理解出来るのに、動画で見るとさっぱり理解が出来なかったり、目の前でお手本を見せられてもわからないのは、認知力の問題だったらしい。
視覚優位で聴覚が弱い為、聞き取りが苦手。特に聞きながらメモが取れない。手が遅いのと、耳と頭と手が連動しないからだ。
学校で板書出来なかったのもこれか。
人の話を一生懸命聞いていても、脳が処理するまで時間がかかる為、もう話題が次に移っているのに、急に前の話を振ってしまい、「は?」という顔をされる富澤。これが関係していたようだ。
つまり、とろい。鈍い。遅いのだ。
その他、AQスコア【自閉症スペクトラム障害(ASD)の特性を測定するための自己評価式の質問票】も受けた。
AQスコアは、0から50の範囲で評価され、スコアが高いほど自閉症の特性が強い。一般的に、スコアが26以上であれば自閉症の傾向があるとされ、29以上は臨床的に重要な自閉症特性を示す可能性があるとされている。
富澤は41だった。思いの外高い。
その他いろいろ受けたり、聞かれたりで、テストは3時間弱。終わった頃にはぐったりだった。
最終的にASDと学習障害が発覚し、先生にも心理士さんにも「ASDらしいASD」とやんわりはっきり言われ、「今までかなりご苦労されて来たでしょう」「頑張って経験値で切り抜けてきたのでしょう」と労られてしまったし、もとの主治医のもとへ帰ったときには「頑張った」と褒めてもらえた。
主治医になぜ今発達障害としての診断が必要だと思ったのかと問うてみた。
すると先生は言った。
発達障害自体は病気ではない。特徴です。
なのでこれから先、よくなることはありません。変わりません。生まれ持った脳の特性は、個性です。
ですが、自分の特徴や得手不得手が分かれば、対処出来る。
対策を練るための材料にもなるし、出来るだけ自分にあった仕事や思考へたどり着く手助けになる。
出来ないと悩んでいたことも、「これは特性なんだから自分のせい(人格や性格)ではない」といい意味で諦めをつけて、必要以上に思い悩まずに済むよう、考え方をシフトしていける。今後の人生を生きやすくするマニュアルを手に入れたと思ってみてください。
と。
すこーんと心に、そして腑に落ちる言葉だった。
生きやすくするための、マニュアル。
自分を責めすぎないための、ルールブック。
成人後、迷子になって自分を責め続け、人と同じことが出来ず、空気も読めず、「なんて私は駄目なんだ」「人と同じように、普通のことがなぜ出来ないのか」と常に苦しんできた私に、マニュアルが振ってきた。
とうぜんながら、そのマニュアル通りにはいかないことも多々あるだろうが、嬉しいと単純に思った。
その後、やっと情報解禁し、いろんな本や論文、体験談を見て学んだ。
首がもげるほど頷いてしまう、共感出来る【あるある】があった。
当てはまらない部分ももちろんあるけど、8割くらいが「あ、そうなんだ、私だけじゃないんだ」と分かったりして、安心したし心軽くなった。
反対に、「だからASDのこういうところが困る」「怖い」「おかしい」と思われている部分も理解し、落ち込んだりもした。
過去と照らし合わせ、やらかしてしまった黒歴史の言動に当てはまっていたりするから、申し訳無さしかない。
困りごとがある万人へ診断を受けたほうがいい、なんてお勧めはしない。
だけど受けられる環境やきっかけ、機会があれば、自分に思うところがあるならば、相談してみてもいいかもしれない。
少なくとも、私は自分が発達障害であったと知れてよかった。
正式に第三者から診断を受けると「私は発達障害がある」と言える。(めったに言わないが。それを免罪符にしたくない)心強いマニュアル。
自分がナニモノであるのか、他者から評価して貰える価値は、私にとってはとても高いものになった。
というわけで、今後、私にとっての【ASDあるある富澤編】を少しずつ書いていこうと思う。需要はないだろうけども。