地獄の年末年始【子宮体がん記録①】
こんにちは、富沢です。
更年期の女性として、N=1の記録を残すことが誰かの一助になればいい。
そんな思いでキーボードを叩いています。
リアルタイムすぎて、いろいろとブレブレでしょうがさらりと読み飛ばしてください。
では、行きます。
2025年1月17日。私は子宮体がんの告知を受けた。
現時刻でやっと24時間経ったところ。
思ったよりも落ち着いていて、変な感じがする。
まだ現実が追いついて来ていないだけで、どんどん時間が経つにつれ、感情が爆発していくのかもしれない。まだ何もわからない。分かっているのは、来月末に全摘手術をするという事実だけだ。
去年2024年8月に少しの不正出血で近くのレディースクリニツクを受診し、萎縮性腟炎ということで3ヶ月ほど膣錠で治療していた。
最初は順調だった。そのときは子宮の厚みもなかった。エコーだったけれど、薄っぺらかったので頸癌の検査だけだった。そっちは陰性で、どちらかというとホルモン値のほうでバタバタしていて、たぶん大丈夫、という流れになっていた。
11月ごろから、出血が増えてきた。
そのうち12月に入るあたりからは、ほぼ毎日出る。
なんかこれはおかしい。直感的が動いた。
すでに2ヶ月分まとめて薬を貰い、次回は年明けの予定だったが、年を越してはいけない気がして反射的にクリニックに予約を入れ、駆け込んだ。
私の勢いが気になったのか、できものが出来てるかもしれないと内診へ。
そこで「あれ、厚いな」と先生のつぶやきがカーテンの向こうから聞こえた。私の直感は「やっぱり」と反応していた。
内診後、先生は焦りを隠せていない表情で、大きな病院への紹介状を書くので絶対に行ってください、と言った。
こわばっている顔と声。ああこれは悪い方向で当たったっぽい。心が凍った。
日付は2024年12月26日。
あと一日で今年の病院は営業を終え、次は泣いても笑っても新年1月6日まで一患者である私にはなんにも出来ない。
絶望的な気持ちで病院を出た。
ああ本当になんで、連休だとか盆暮れのときに限って、病気になっちゃうのかな。
涙も出ないまんま、人生でいちばん辛い正月を迎える羽目になった。
鬱々と胃の痛みと動悸を抱え、せめて出来るだけ早めに紹介先の病院へ予約を入れたいと、翌朝を待つしかなかった。
翌日、早く起きて電話に臨もうとした私に変化が起きた。
朝起きたら、どばっと出血したのだ。
痛みはないが、生理初日のような出血。まあ焦る。そりゃ焦る。
クリニックへ電話したが、とにかく様子を見て年明けに大病院へで振られてしまう。
まちなかの小さなクリニックでは確かに対処出来ないだろうが、なんともしんどい対応ではあるが、もうどうしようもない。
ひどくなるようなら救急へ駆け込もうと決め、取り敢えず電話。
うちから徒歩10分のところにある地域医療の拠点となっている日赤病院。私はここへの紹介状を書いて貰った。
私の住んでいる町には、救急指定の高度医療対応拠点病院が3か所ある。
特に日赤病院はこの地域での駆け込み寺のような病院だった。
予約センターへ電話し、幸運なことに年明け初日の午前に予約が取れた。
ほんの僅か安心したが、出血に関してはホッとできない。
取り敢えず様子を見た。数年ぶりに生理用ナプキンを買った。
心の中で「実は閉経していなくて、超久しぶりに生理が来た、だから厚みがあったのかも」と思おうとしていた。実際その出血はほとんど生理と同じように約一週間ほどで大きな出血は落ち着いた。
途中、血の塊が出たり、ほんと生理だったのかもしれないと思うようにしている。
もう取ってしまうのでわからないけれど、私の子宮は頑張ってくれたのだと思った。
こうしてどっちつかずのお預け状態で不安なまんま、宙吊り逆さ吊りの気持ちで年を越した。
私はこの年末年始を一生忘れない。
つづく