自己複雑化計画
心理学に「自己複雑性」という言葉がある。
もう20年くらい前の思い出。先輩がゼミで発表されたのを聞いて、妙に納得したのを覚えている。
今検索すると、https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/82/0/82_3EV-003/_pdfなんかがヒットする。
測定法とかの難しいことは置いといて、ていうか測定が難しいから思ったほど話題にならないのかもしれない(今の段階でnoteの#自己複雑性は1件、たぶんこの記事は2件目)が、話としては思い当たる節があるような気がして、とても面白い。
(ここから全く学術性のない話)
タスクマンの自己を表す側面として、
父としての自分"パパ"
夫としての自分''オレ(パパ)"
職場での自分"タスクマン先生"
楽団での自分"ボク(タスクマンさん)"
地元の友達彦島連合(暴走族じゃないよ)の中の自分"オレ(タスクマン)"
うーむ、人間関係としてはこんなものか。あまり複雑じゃないなあ。
日本語はそれぞれ自分の呼び方、呼ばれ方が役割で変わるのも面白い、って言う話は高2の国語の教科書で見たけれど。
職場でうまくいかなかったとき、
職場人間という自己の側面しかなかったら、その落ち込みは半端ない。
でも、家庭に帰ると妻と娘がいる。夫や父という自己の側面で自己肯定感を保つことができれば、否定的な感情の波及を抑えられる。
妻とケンカしても吹奏楽団の一員として演奏できれば落ち込みもある程度緩和する。
なるほどな。
でも、なんか年を重ねるにつれて、自己の側面が少なくなってきている。
と言っても人見知りなので、コミュニティ的側面は昔も今と変わらず多くない。
ただ、「自分とは何ものか?」を聞かれたときに、「〇〇が好きな自分」を堂々とあげることができていた。
昔は、
ガンダム好きの自分、絵のセンスゼロのくせにカンディンスキー好き(たぶん偽物でも感動する)の自分、レコ芸を中学生から買って宇野功芳カッケーとか言ってたクラシック好きのイタイ自分、金がないからしょうもないお土産品しか買えないのにぐい呑みとか集めてた自分、当時の彼女が愛読していてそれがオシャレと思っていた佐藤雅彦好きの自分、そして競馬好きの自分…。
要はバカだったから、何にでも新鮮に感動することができていた。これを多側面ということができるなら、結構な自己複雑マンだった。何にでも喜べる。
今は
美術館やコンサートはホントにここ10年行ってない。クラシックCDは引っ越しの邪魔で売ったし、IKEAの100円のプラスチックのコップで日本酒飲んでる。
でも、娘がちょっとでも笑うと、嬉しい。
うーむ、明らかに自己が単純になっておる。
逆に娘が不幸になったらもう立ち直れないんだろうな。
怖いのは、自己の側面が少ないと、ある側面でのイライラによって他の側面で当たり散らしたりする可能性があること。各側面の分化の程度が小さい時のリスクが大きいということですな。例えば職場のイライラを家庭に持って帰っている…たぶんあるよなー。
というわけで、自己の側面を増やしたい!
自己複雑化計画のまず手始めに、競馬好きの自分を復活させます。
スプリングステークスの本命は武豊のドーブネ!
勝ったら喜ぶ!負けたら娘に癒されることにします。
そういえば小倉競馬場で、帰りのモノレール代まで使って、小倉駅まで歩いたこともありました…若かりし複雑だった学生の頃のおもひで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?