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「月」の間違い選択肢ー「源氏物語」夕顔とセンター試験過去問「雲隠六帖」より
さつき十日なるに、月のかすみて光りたる
フォローしている方が
素敵な月の歌と写真をあげていらっしゃるので、
ちょっと自分もベランダから
月の写真を撮ってみました。
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なんかこう、
素敵な方の写真の月の背景は
美しい夜の色なのに、
なぜオッサンの写真の月の背景は
どんより灰色なのか。
格差社会を感じる今日この頃です。
ためらう月、ためらう女
ちょっと季節外れですが、
個人的に月を描いた場面で好きなのが、
「源氏物語」夕顔で、源氏が夕顔を連れ出す場面。
塾のテキストに
問題として掲載されていた場面でした。
どこかの入試問題だったのかもしれません。
いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲隱れて、明け行く空いとをかし。はしたなきほどにならぬ先にと、例の急ぎ出でたまひて、軽らかにうち乗せたまへれば、右近(注:夕顔の侍女)ぞ乗りぬる。
訳:沈むのをためらう月のように、出し抜けに行く先も分からず出かけることを、女は躊躇し、(源氏が)いろいろと説得なさるうちに、急に月が雲に隠れて、明け行く空は実に美しい。(明るくなって人目につき)体裁の悪くなる前にと、いつものように急いでお出になって、軽々と(女を車に)お乗せになったので、右近も一緒に乗った。
「いさよふ」月は、
ここでは八月十五日の満月が、まるで
沈むのをためらっているかのような明け方の様子。
ちなみに「十六夜(いざよい)の月」も、
満月より少し遅れて出てくるので、
ためらっている月ですね。
その直後、「女は思いやすらひ」と続きます。
「やすらふ」は漢字で「休らふ」。
体や心が一旦停止する。
ここでは源氏に連れていかれることに対して
夕顔が少しためらっているということですね。
ためらう月に、ためらう女。
情景と人事が重なり合う、
本当にステキな描写です。
ちなみにこの2文だけでも、
重要単語
「ゆくりなし」「あくがる」「はしたなし」
「例の」の「の」は
連用修飾の「の」(~のように)
とかく「のたまふ」主体は源氏
←敬語を利用した主語判定
など、塾的には出題要素満載でございます。
「山の端」に入る「月」
そして、これで終わらないのが
源氏物語のすごいところ。
この直後、源氏にとある建物に
連れていかれた夕顔は、
このような歌を詠むのです。
山の端の心も知らで行く月は
うはの空にて影や絶えなむ
訳 これから沈んで行こうとする山の端の本心も知らないで沈んで行く月は、空の途中でもしかしたら光が消え果ててしまうのではないでしょうか。
山の端に「心」があり、
それを「知らない」で沈んでいく月。
当然ここでは
自然に人事を重ねていることになります。
山の端に沈んて行く「月」は、夕顔自身。
その月を受け止める「山の端」は、光源氏
ということになります。
直前で
ためらう「月」とためらう「女」を重ねておいて、
さらに「女」=夕顔が、
自分自身を「月」にたとえた和歌を詠む。
ジェットストリームアタックを食らったかのように
感動しましたね。
ドムも何となく紫色ですね。
こんなことを振り返って見ると、
やっぱり古文を好きになったきっかけは、
源氏物語かな~
と思うのです。
僕は素人から塾講師を始めているので、
源氏物語を全部読んだことがあるわけじゃない。
でも、入試問題として扱われている部分部分に
きらめきがあり、そこに感動してしまうのですね。
ちなみにフォローしている方が
源氏物語の訳に取り組まれています。
素敵な言葉で語られる源氏物語。応援しています!
出題者に共感!間違い選択肢の面白さ
さて、センター試験の過去問で、
「月」と「山」が源氏がらみで出題されたことが
ありました。
08年センター試験追試古文「雲隠六帖」。
「源氏物語」には光源氏の死を物語る
「雲隠」という巻名だけで本文のない巻があり、
その本文を書いちゃおうと
室町時代に成立した物語ということです。
愛する妻紫の上の死で悲しみに沈む
光源氏は、出家しようと、
すでに出家している
兄の朱雀院のいる山寺を訪れます。
一方、「世の親」源氏が急にいなくなったことで
都は大騒ぎ。
息子の夕霧や娘の明石中宮などの
嘆きが描かれますが、
もっともショックが大きかったのは、
桐壺帝と藤壺中宮の子でありながら、
実の父が光源氏と知ってしまっていた冷泉帝。
倒れて起き上がれません。
そんな冷泉帝が詠んだ歌が
出題箇所になっていました。
傍線部の和歌
「たらちねのおやまのすそに入る月の
影も残らぬ朝ぼらけかな」
の説明として最も適当なものを一つ選べ。
③ 「おやま」に「山」と「親」の意味を込め、「たらちねの」は「親」にかかる枕詞。さらに「おやまのすそ」は「親の着物の裾(すそ)」を暗示し、沈む月を山が抱くように自分を守ってくれた光源氏を思い出し、その父と二度と会えないことにうちひしがれている。
⑤ (正解の選択肢)「おやま」に「山」と「親」の意味を込め、「たらちねの」は「親」にかかる枕詞。さらに「月の影」の「影」は「親」の「姿」を暗示し、夜明け方、山に沈んだ月が見えなくなるように、どこかの山に籠った光源氏の姿が見つけられないことを嘆いている。
人生のかかる8点問題。
まあ冷静に考えれば
「光源氏がいなくなった」文脈ですから、
「月の影も残らぬ」の「月」は、
どう考えても光源氏。
ですから、③の選択肢
「月」が冷泉帝自身で、「山」が光源氏となる
この間違い選択肢で
生徒が迷うことはなかったですね。
月が山に入ったら二人が出会っちゃいますしね。
ただ、僕は思ったのです。
この問題の出題者は、源氏が「山の端」になる
あの夕顔の和歌を意識しているよな!
じゃないとこの③の選択肢は作らないよね、と。
そして、なんだか、
出題者、僕と好きな場面が一緒やないと?
会ったこともない出題者(きっとインテリメガネ美女)
と気が合った気がして、
ちょっとニヤニヤしてしまったのでした。
そんなことを思い出していると、
雨が降ってきて、
ためらう間もなく
月が見えなくなってしまいました。
入試問題に一生懸命立ち向かっていたあの頃が
ちょっと懐かしいな、と
センチメンタルになるオッサンなのでした。