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ワインコラム44:居候(いそうろう)

タイトルデザイン☆Ryoko Sakata
写真☆Masaru Yamamoto

23、4の頃に西荻窪の私の部屋に、1週間ほど居候していた男が居た。
いつの間にか転がり込んできたという印象がある。その頃私の良く行く酒場で知り合ったのだ。年格好も同じぐらいで話題も合った。

頭文字からKとしておく。

Kとの話題は音楽と本の話が主だった。 
あの年頃の若者の常で、少ない知識をふくらまして、背伸びして議論していた。熱かった時期だった。あの時代の生意気な自分を思うと、消え入りたい心地がする。

Kは根室の出身で、偏差値が高めのミッション系の大学に入ったのだった。
失礼を承知で言えば、“辺境“とも言える根室からその大学へ行くということは、Kはちょっとした優等生だった。優等生らしく、“何者にかに成れる“という自負があったのだろう。少し冷めていた私と違ってKの語りは熱かった。

短い時間話しただけで、スッと相手の心に入ってくる人がいる。
Kはそんな種類の人間だった。いつの間にか、私はKを部屋に招き入れていた。暑い季節だったが扇風機が1台あるだけの狭い部屋だった。

その頃の私は大学を辞め、バイトをして生活をしていた。
大きな目標も無く、バイト先と酒場を往復する毎日だった。
人生の道の前でウロウロしていた時期で、ここに当時無職だったKとの共通点があった。

Kに合鍵を預け私はバイトに行った。
なんと無防備と今なら思うが、あの頃は深く考えもしなかった。Kは西荻窪にある、ライヴ演奏をやっていたジャズバーの常連だったようで、ほとんど毎日通っていたらしい。

1週間ほどして、Kは置き手紙を残して出ていった。
来た時と同じように突然だった。Kの書き置きは原稿用紙3枚あった。2枚には、お礼と根室に帰ること、実家の住所、電話番号などが記されていた。

Kらしいと思ったのは、1枚は自作の詩で埋められていたことだ。
Kらしく熱く気負った詩だったことを覚えている。

翌年、或るツテがあり、私は就職することになった。
入社まで1ヶ月の空き時間が出来たので北海道旅行を計画した。久しぶりにKに連絡したら、「泊まっていってくれ」とのことだったので、根室に寄ることにした。

生家は兄夫婦が床屋をやっており、Kはそこで寝起きをしていた。
仕事に就いていたようで、Kを包んでいた熱気は落ち着いていた。この時がKに会った最後になる。

私も新しい環境に慣れることに忙しく、Kのことは忘れがちになっていった。 
そのうち思い出すこともなくなっていた。

東日本大震災があった後、何人かの人に安否確認の電話をしたことがある。 
その時Kのことが頭をよぎった。根室は内海に面しているので、大きな被害は被らなかったと思うが、それとは別にKのことが知りたかった。

古い手帳に生家の電話番号があった。 
30年振りの電話だ。Kの兄がでた。Kの今の様子を尋ねると、Kは千葉の或る“施設“に居るという。

彼のちょっと突き放したような言い方と、30年振りに電話した負い目のようなものがあり、それ以上詳しいことは聞けなかった。
施設に居るということは、程度の差はあれ、世間から隔離されているのだろう。どんな施設(千葉には刑務所もある)かわからないが、50代でそこに居るのであれば、Kは不遇な人生を送ったように思える。

私は電話を終え、酒場で熱く語っていたKを思い出していた。

あの夏から随分経ったけど、60代、70代になっても、文学やジャズを熱く語るKでいて欲しかった。


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