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ワインコラム43:カレーにまつわる話

タイトルデザイン☆Ryoko Sakata
写真☆Masaru Yamamoto

店を閉めていたコロナの時期に、1日1軒、カレーの食べ歩きをしていたことがある。
その頃の日課は、朝食後はのんびり過ごし、昼食はカレー。午後に帰り読書やコラムを書く。夕方買い物に行き夕食を作っていた。このコラムは、コロナで時間が出来たので書き始めたものだった。

何故カレーなのか?
緊急事態宣言下では、飲食店でのアルコール提供は出来なかった。

私的な意見ですが、和食には日本酒が付き物だ。
洋食が出るとワインが飲みたくなる。カレーなら水でやり過ごすことができる。そんなことを思ってカレーにしたのだった。もちろん“カレーが好き“ということもある。

私の好みは、やや日本寄りのスパイシーなインドカレーか南インドカレーだ。  
そんな店を調べて30軒くらい行ってみた。私の好みではないカレーもあったが、また行ってみたいと思わせるものもいくつかあった。

私の理想のカレーはしばらく新宿「中村屋」のチキンカレーだった。
中村屋のカレーはインドカレーではあるものの、日本寄りの味になっている。職業としてカレーを作るようになっても、そのカレーをお手本にしてきた。他のカレーを口にする時も、中村屋のカレーと比べている自分がいた。

数年前久しぶりに中村屋に行ってみたのだが、スパイスがおとなしくなっていて、全体的にマイルドになっていた。
残念なことに私の好みではなくなっていた。

40年ほど前、国分寺に「グルマン」という店があり、そこで中村屋のものとそっくりのカレーを出していた。 
最近見たテレビで、竹中直人が20代を過ごした国分寺を語っていた時、グルマンのカレーについて触れていた。1部の人には根強い人気のあった店だった。

本格的なカレー(ルーから作るもの)を初めて作ったのは、私が20歳の時だ。
雑誌の記事を参考に友人と2人で、当時住んでいた下宿の台所で作ったものだった。クミンやカルダモンなどをホール(実のまま)で買い求め、薬研(やげん)で砕いて、カレー粉から作ったことを覚えている。

薬研などという言葉は、もう日本人の半分くらいは聞いたことが無いであろう。
漢方医などが生薬を粉末にするのに用いるものだ。台所に薬研があったというのも時代を感じる。

今、店で出しているカレーはこれが原点になっている。
とにかく薬研でカレー粉から手作りしたので、あの時のカレーは、現在店で出しているものよりスパイシーであったことは間違いない。この時の経験は、私のカレーの概念を確立した出来事だった。

カレーはスパイスが強烈で、これに合うワインは無いと言われている。
しかし酸味の強いインドのワインは、どことなくインド料理に合うような気がする。

スパイシーな店のカレーが、マンサニージャ(ドライシェリー)に合うことを発見した時、その理由は酸にあるような気がした。
強い酸がスパイスをねじ伏せている。

スパイシーなカレーは、ドライシェリーとの相性が良いようだ。


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