ワインコラム41:私にとっての「未知との遭遇」
タイトルデザイン★Ryoko Sakata
写真★Masaru Yamamoto
先日行った盛岡で、「ウニのワタの塩辛」と言うものを食べてきた。
ウニの中に有る茶色のヒモみたいなものを集めて、塩辛にしたものだそうだ。1人前大さじ山盛り1杯ほどでウニ50個分のワタが必要と聞いた。味は、というと渋みのある磯の味がした。
私は若い時分から、食べたことの無いような珍しい物に目がないたち(質)で、一にも二にもなく飛びついてしまう。
仕事で未知の造り手のブルゴーニュワインに出逢った時も、ワクワクしてしまう。未知の食べ物ならなおさらである。
フランスの美食家ブリア・サヴァランの名言にもある。
「新しいご馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである……」
開高健著『新しい天体』の書名はここからきている。
自分の人生を振り返って、言わば「新しい天体」への情熱の萌芽と言おうか、その情熱が顕在化した象徴的な事件が中学生のときに有った。
その頃、自宅の庭に蜂が巣を作り盛んに出入りしていた。
それを眺めていた或る時、どうしても蜂の子が食べてみたくなった。蜂の子を食べる地方が有るということを、予備知識として持っていたのだと思う。
「蜂の子はどんな味がするのだろう」「蜂の子を食べてみたい」という抗しがたい欲求が湧き上がってきた。
それからの行動は早かった。
直ぐに煙を出す花火を買ってきて、火を点け、蜂の巣に向けた。煙にまぎれて巣を捕り、安全なところで巣を壊して蜂の子を取り出した。巣が小さかったので20匹ほどしか採れなかったが、フライパンで炒って食べてみた。初めて虫を食べてみたが、バターのような味がして美味かった。
長野辺りで食べているのは「地ばち」という種類の蜂の子らしいが、当時私の食べたものは、足長蜂の子と思われる。
後年、何回か蜂の子の缶詰を食べる機会があった。しかし、缶詰の蜂の子は味付けが濃いので足長蜂との比較は難しかった。
あの時のことは親にも内緒でやったことで、友人にも言ってない。
大人になってから何人かの友人に、面白おかしく話したことはあるが、
中学生当時あの行動が理解されるとは思ってなかった。それでもあの行動は、少年の大いなる好奇心を満たしてくれた。
10年ほど前、知人から冷凍の荷物が送られてきた。
40センチ四方くらいの箱だ。何だろうと開けてみると、一面黒いものが目に入った。良く見るとそれは黒い毛に覆われていた。
「これって……クマ?」「熊の手?」
熊の手(前足)2個が詰められていた。
最初訳が分からず呆然としていた。
少し経って思い出したことがある。新潟の知人の友人に猟師がいるというので、半分冗談で、熊の手が欲しいと言ったことがあった。彼が律儀にも送ってくれたのだった。
中華料理で熊の手(後ろ足を含む)を使う料理があり、それを軽い好奇心で作ってみたいと思ったのだ。
しかしその料理は、軽い好奇心で手に負えるものではなかった。煮たり、蒸したり本を見ながら途中までやってみたが、時間が足りなかったのだろう。ゼラチン質のような手のひらは噛み切れないほど硬かった。
情けない話だが、その時点でそれ以上調理する気力が失せていた。
どうやら熊の手の料理は私の手に余るものだった。