村上春樹さんの『猫を棄てる 父親について語るとき』
この本の父親というのは、私の予備校時代に古典を担任されていた、村上千秋先生のことです。
自分の知っている人物が本になるのは、不思議な感じがしました。
村上先生は京都の御公家さんのような雰囲気で、受験技術を教える予備校では異色の存在でした。時折、全く授業とは関係のない話をされることもありました。
印象に残っているのは蓴菜の話です。知人から美味しい食べ物があると、蓴菜の採れる沼に連れて行って貰ったことがあったそうです。採れたての蓴菜は美味しかったと、食べる仕草をしながら話されていたのを覚えています。
猫の話を読んだ時に、蓴菜の話の時の先生の顔が思い浮かびました。
少し困った顔だと、古典の文法の質問をした時のことを思い出します。教科書の杓子定規な書き方に、何か説明に困ったような表情をされていました。
そこに現代国語の先生が割り込んで来て、この教科書は○○さんの書いたものですね。と、教科書の批評が始まりました。
話が終わった時に、現代国語の先生が、村上先生の息子さんは村上春樹さんなのですよ。と話すと黙り込んでしまいました。
村上先生は他にも、秘伝の書の話をしてくれました。理由は知りませんが、そういうものを見る機会があったそうです。
熊を捌く秘伝の書には、包丁を水で濡らすことだけ書かれており、剣の秘伝の書には、ヤー!と刀を振る絵が一枚描かれていただけだったそうです。
この本で村上春樹さんが、成績の良くないご自分を責めるような話を書かれていましたが、あのおおらかそうな村上先生が、そんな風に考えるのだろうか?と思いました。
村上春樹さんでも、父と子というのは、思いが伝わり難いものなのだな、というのが率直な感想です。
また村上先生が暗い過去を引きずって生きているように書かれていましたが、心の底にそのような思いがあっても、私には新しい時代を生きているように見えました。
私は受験技術を磨いて志望校に合格することができました。年月が過ぎると小賢しい受験技術など、すっかり忘れてしまいました。
しかし、村上先生から聞いた色々な話や蓴菜を美味しそうに食べる仕草は、35年経った今でも覚えています。